★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョンとポールはDNAの二重らせん構造だった(298)

The Beatles: La canción que John Lennon decía podría haber cantado mejor que Paul McCartney

1 ジェフ・エメリックの観察

THE BEATLES SOUND ENGINEER GEOFF EMERICK'S RECORDING WORTH $5m – Beatles  Magazine

EMIのチーフ・エンジニアとしてビートルズと長らく一緒に仕事をしてきたジェフ・エメリックは、このジョンとポールの二人が一つの創造的な存在を形成していることを最初から認識していました。彼は、回顧録「Here, There and Everywhere」の中で「最初の頃からずっとアーティストは、ビートルズではなくジョン・レノンポール・マッカートニーだと感じていた。」と記しています。

ジョンとポールが別々の存在であると考えたくなる理由の一つは、後期になって彼らの音楽性の違いがあまりにも明確になったからです。アビイロードのスタジオ2のコントロールルームのガラス越しに二人を観察していたエメリックは、彼らの奇妙なパートナーシップに魅了されました。

ポールは、几帳面で身の回りをきちんと整理整頓し、いつもノートを持ち歩いて歌詞やコードを変えると、それらをきちんとした筆跡で几帳面に書き留めていました。それとは対照的に、ジョンは、雑然とした生活をしているように見えたのです。

ポールは、自然なコミュニケーション能力を持っていましたが、ジョンは、自分の考えをうまく表現することができませんでした。ポールは外交官で、ジョンは扇動者でした。ポールは、柔らかい口調でほとんど揺るぎなく礼儀正しく、ジョンは、大声でかなり無礼な態度を取ることがありました。

 

2 好対照の二人

(1)破天荒なジョンとストイックなポール

Paul McCartney & John Lennon

これは私の推測ですが、ジョンは、アイデアが頭から溢れ出してまとまらなくなったんでしょうね(^_^;)それを形にしたいんだけど、自分でもコントロールできなくてイライラしていたんだと思います。ベートーヴェンの自筆の譜面は、音楽家を悩ませるそうです。次々と曲想が浮かんでくるのに、譜面を書くペンが追い付かないため、なぐり書きのような譜面になってしまい、彼の作品を演奏しようとする音楽家たちが読めないんです。

ジョンは少し違っていて、こんな風にやりたいとアイデアは浮かんでいるのに、それを他人に上手く伝えられなかったんだと思います。彼のアイデアはいつも革新的で、他人の理解を超えるものでした。そこへ薬物中毒が酷くなって、さらに拍車がかかりました。でも、彼の機嫌を損ねると大変なので、後期になると周囲は腫れ物に触るような扱いでした。

ジョンに対し、ポールは、自分のアイデアを上手くまとめ、スタッフに伝えることができました。ポールは、納得がいくまで長い時間を費やすことをいとわず、ジョンは、せっかちで、常に次の作業にかかろうとしていました。ポールは、大抵、自分が何をやりたいかを正確に知っていて、しばしば自分に対する批判に怒りを覚えていました。実際、彼は、納得がいくまで何度でもやり直しました。しかし、それに付き合わされた他のメンバーの反発を招くことにもなったのです。ポールと仕事をするのもなかなか大変だったんですね。

(2)お互いを必要としていた

扇動者と外交官。踊り狂う人と几帳面な人。ジョンとポールと一緒に時間を過ごしていると、人々は、彼らの人格の違いに心を打たれずにはいられませんでした。「ジョンは、ポールの細部への注意力と粘り強さを必要としていた。」とジョンの最初の妻シンシアは語りました。ポールは、ジョンの無政府主義的な水平思考(直感的な思考)を必要としていた。」彼女の指摘は、すこぶる簡潔に彼らのパートナーシップがいかなるものであったかを表現しています。

ジョンにとってポールの丁寧な楽曲制作は、とても参考になるものでしたし、逆にポールは、ジョンの破天荒な発想を必要としていました。後期になると、彼らの敵対心ばかりが強調されがちですが、必ずしもそのような単純なものではなく、互いに「この野郎」と思いつつ、それでも「アイツはスゴい」とも思っていたのではないでしょうか?

(3)アポロンディオニュソス

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アポロンディオニュソス

ジョンとポールは、無秩序と秩序を具現化した典型のように見えました。彼らの関係は、ギリシャ神話に登場する二人の神、アポロンディオニュソスになぞらえることができるかもしれません。古代ギリシャ人は、ギリシャ神話として理性的で自己管理された人間を象徴するアポロンと、自然発生的で感情的な人間を象徴するディオニュソスという二人の神に、人間の本性のこれら二つの側面を具現化しました。

哲学者のフリードリヒ・ニーチェは、アポロンディオニュソスの相互作用こそが創造的な仕事の基礎であると提唱し、現代の創造性研究は、この洞察を確認し、破壊と創造、挑戦と精錬、破壊と組織化の間の重要な関係を明らかにしています。アポロンディオニュソスは、全く性格の異なる神でありながら決して対立するわけではなく、相互に作用して様々なものを創造するのです。ジョンとポールの関係は、まさにこのようなものであったのではないでしょうか?

しかし、時の経過とともに、非常にうまくいっていたこの関係もきしみ始めます。それでも絶妙なアートワークのように、危ういながらもバランスを保っていたのです。しかし、何度も内から外から様々なストレスがかかり、ついにそのバランスが崩れて、アートワークは粉々に砕け散ってしまいました。

 

3 正にDNAのような存在だった

(1)普通のことが大嫌いだったジョン

ジョンは、しきたりを破壊しようとしていました。ビートルズの初期のライヴでは、ポールが観客を魅了した後、ジョンは、わざと顔を捻じ曲げたり、猫背のポーズをとったり、ギターで不協和音を出したりしていました。時々、彼はわざとギターのチューニングを少し崩したままにしていましたが、それが作曲家のリチャード・ダニエルプールのいう「生々しくて不愉快なサウンド」に貢献していました。

ジョンは、記者との付き合い方が難しく、時には拒否することもありました。スタジオでは、彼は、いつも違うことをしたいと切望していました。彼は、天井から吊るされてマイクの周りを振り回されたいと思ったり、背後からレコーディングされたいとも思っていました。つまり、普通のことをやるのがイヤで仕方がなかったんですね。

(2)二重のらせんの絡み合い

DNA structure test

ジョンが形式を壊したのに対し、ポールはそれを実現しようとしていました。彼は、スタジオではバンドの事実上の音楽監督であり、外では容赦ないチャンピオンでした。「何をやるにしても、プレイするかしないかのゲームがあるんだ。私は、とても野心的で、プレイしたいと早い段階で決めていた。」「ビートルズ時代、私は、記者を座らせて『こんにちは、お元気ですか?何か飲みますか?』と言って彼らを気遣っていた。」と語っています。

違いを明確にすることは、創造的であるペアを紹介するのに良い方法です。しかし、重要なのは、その部分がどのように組み合わされているかということです。だから、ジョンが記者を侮辱したのに対し、ポールが記者を魅了したことに焦点を当てるのは正しいとはいえません。

ジョンが遠慮なく記者を侮辱することができたのは、ポールがフォローして彼らを魅了したからです。彼らの音楽も同じように、一本の糸が相互に強化されたDNAのような二重のらせんが絡み合いながら生まれてきたのです。

 

4 二人はいかに助け合っていたか?


John Lennon Help piano demo 1970 full version

「Help!」は、ジョンが「窓から飛び降りたくなるような」うつ状態に陥っていた時に書きました。感情的に生々しく、当時の彼の心境を積極的に告白するような曲です。この曲のオリジナルの音源は、ゆったりとしたシンプルなピアノ曲で、ブルースのうめき声のように感じられました。それを聴いたポールは、カウンターメロディーで軽快なハーモニーをメインの歌詞のバッキングとして歌うことを提案したのです。

ジョンが歌詞の中で「誰か、助けてくれ!」と懇願したことは偶然ではありません。このままでは、彼が宙に浮いてしまいそうだったので、ポールは、彼の足を掴んで地面に戻したのです。この曲は、ジョンのオリジナルですが、ポールもさりげなくサポートしたのです。

ジョンは、ポールの「Getting Better」のような甘く楽観的な歌詞に批判的だったとされています。しかし、ポールは、こう回想しています。「私は、座って『Getting better all the time』って歌っていたんだけど、ジョンがあっさりと『悪くなることはないよ。』と言ったんだ。私は、ああ、素晴らしい!と思った。これこそが、ジョンと一緒に書くのが好きな理由なんだ。」この曲についてジョンが批判的だったと言われますが、実際には必ずしもそう単純なものではなかったんですね。

ホワイト・アルバムのレコーディング・セッションは、しばしば緊張して不愉快なものではありましたが、ビートルズは、歴史に名を刻む名アルバムを生み出しました。ジョンが制作した作品は、難解なものや精神的な疲労を感じさせるものになりがちでしたが、ポールのそれは、明るく無邪気なものが多く含まれていました。確かに、雑然とした印象の強いアルバムではありましたが、ビートルズ・マジックは、こんな二人の相互作用から生まれたのです。

 

(参照文献)ジ・アトランティック

(続く)

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