★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ブライアンが生きていたとしてもビートルズは解散しただろう…おそらく(303)

 

1 契約が切れることはお互いに分かっていた

前回は、ビートルズとブライアン・エプスタインとの間のマネジメント契約について色々な見解をご紹介しました。はっきり断定できるのは、1967年10月8日をもってマネジメント契約が満了することでした。問題はそこから先です。契約を更新するつもりだったのか、そのつもりはなかったのか。

ブライアンが亡くなったのは8月27日、つまり、契約の期限切れまでもう2か月を切っていました。さすがにこの時期になって、お互いに何も検討していなかったはずはありません。この問題をどう処理するかについて、それぞれに思惑を持っていたはずです。あるいは、水面下ではもう交渉を始めていたのかもしれません。前回にご紹介した通り、グールドは、ポールとブライアンがアップルコア構想について話し合ったとしています。

2 語りづらくなった

もっとも、ここから先の事実を解明するのがとても難しいんです💦というのも、ブライアンが不慮の事故死という悲劇的な結末を迎えてしまったため、関係者、特にビートルズがこの問題について語りづらくなってしまったのです。もし、ビートルズがブライアンとの契約を更新しないつもりだったとしたら、ちょっとそれは言いづらいですよね(^_^;)

いや、もちろん更新するもしないもそれは彼らの自由ですから、更新しなかったからといって何ら責められることはありません。ですが、ブライアンが亡くなってしまったため、ビートルズが契約を更新しないつもりだったとすると、何か彼を見捨ててしまったかのようなイメージを世間に与えかねません。さらに穿(うが)った見方をすれば、ビートルズがブライアンを見限ったためにそれを悲観した彼を自殺とは言えないまでも、薬物の過剰摂取による事故死に追い込んでしまったとも言われかねません。

口さがないマスコミの連中がこの情報をかぎつけたなら、喜んで書き立てたでしょう。実際、自殺説もささやかれていましたから。ですから、このことについては、どうしても関係者の口が重くなってしまうのは致し方ないところです。

 

3 アップル構想はブライアンのアイデアだった

(1)シンシアの証言

ここでジョンの妻であったシンシアの証言に耳を傾けてみましょう。彼女は、ずっと後の1980年に出版した著書の中で、アップルを作るアイデアを持っていたのはブライアンだったと語っています。

「ブライアンは、公の場に出ることがなくなり、色々な意味で疎外されていた。そこで、彼は、何かを仕掛ける、つまり、ビートルズを興奮させ、彼とのビジネスに彼らを巻き込むような何かを考え出さなければならなかった。」「ブライアンが思いついたアイデアは、アップルと呼ばれる会社の設立だった。アップルのブティック、アップルのポスター、アップルのレコード…そういった一連のものに投資することだった。ブライアンは、自分の無限のエネルギーのはけ口を必要としていた。彼は、ビートルズから必要とされる存在でありたいと思っていた。」*1

(2)ジョンも裏付けた

ブライアンが手塩にかけて育てたビートルズは、世界的なスーパースターとなり、もはや、彼の手助けを必要としなくなっていました。彼らがツアーを止めたことがさらに「ブライアン無用論」とでもいうべき機運に拍車をかけたのです。このままでは切り捨てられてしまうと危機感を覚えた彼は、ビートルズ独自の会社を設立するという構想を持ち出しました。

ビートルズ自身の会社を設立するということになれば、彼らもそれに関心を抱いて自分を必要としてくれるだろうと考えたのです。彼らがどう思っていたかはともかく、少なくともブライアンは、ビートルズとの関係を継続したかったんですね。そして、このシンシアのコメントは、ジョンによっても裏付けられています。

「アップルは、ブライアンが亡くなる前の67年にエプスタイン家から実際に我々に対して提案された。ブライアンと彼の弟で家具のセールスマンだったクライブからね。」*2ジョンもシンシアも揃って、ブライアンがアップル構想をビートルズに提案したことを認めたのですから、これは真実と考えて間違いないでしょう。

 

4 ビートルズはどう受け止めたのか?

では、ブライアンの提案をビートルズはどう受け止めたのでしょうか?実は、肝心のこの部分がはっきりしないんです。上記のジョンの発言も提案されたことは認めていますが、それに対してどう反応したかについては触れていません。

ビートルズにとってブライアンは、無名の時から彼らを一生懸命支援してスターダムに押し上げてくれた大恩人です。そのことについては、とても感謝していたことには違いないんですが、彼は、ビートルズの楽曲の著作権をノーザンソングス社に売り渡してしまうという致命的なミスを犯してしまいました。おそらく、彼がビートルズのビジネス上で犯した最大のミスでしょう。

特にジョンは、このことについて彼に対して強い不満を抱いていました。ですから、彼らがもうブライアンとは再契約しないという選択肢を選んだとしても何ら不思議ではありませんでした。しかし、後にアップルコアとなる会社を設立し、ブライアンがそれに関わっていたことを見ると、結果的には、彼らが提案を受け入れたということになります。

5 会社設立は初めてではなかった

ビートルズが最初に設立した会社はアップルコアだ。」と思われがちですが、実はそうではありません。ビートルズの成功が確実視され、イギリス全土での名声が高まるにつれ、ブライアンは、彼らの法務およびビジネス業務を管理するために、1963年6月20日、「ザ・ビートルズ・リミテッド」を設立しました。

ビートルズのビジネスの多くは、引き続きNEMSエンタープライズが管理していましたが、新会社の設立により、楽曲の著作権以外でビートルズに関連して得られた収益について、個人よりも低い法人税率が適用されるようになりました。1967年4月、ザ・ビートルズ・リミテッドは、ザ・ビートルズ&カンパニーと社名を変更し、それが1968年にアップル・コアとなったのです。

 

6 もしブライアンが生きていたら

(1)ビートルズはビジネスに加わらなかっただろう

ここからは、完全に「たられば」の話になります。こうなった可能性が一番高かったのではないかと考えられるストーリーとその理由を示します。ここは、皆さんで自由に空想してください。

私の推測はこうです。おそらく、アップルは、ブライアンの管理下で発足し、ビートルズは、株式を所有しても経営には加わらないで彼に任せたのではないでしょうか?現実には彼らが直接経営したわけですが、それはブライアンが亡くなってしまったからであって、彼が生きていれば管理を任せた可能性が高いと思います。

ただし、手数料が25%というのは、彼らをスーパースターにするまでは妥当な比率だったでしょうが、もはやスーパースターとなってからは高すぎるとして10%程度に引き下げられたでしょうね。ブライアンは、アップル社の株式を何パーセントかは所有できたでしょうから、その配当が得られたはずなので、ビートルズからの手数料は少なくても十分収入は得られたでしょう。そして、ビートルズは、音楽活動に専念できたのではないでしょうか?上の写真の中央には本来ならブライアンが座っていたと思います。

(2)ブライアンは解散を阻止できたか?

それで、彼とビートルズの解散との関わりなんですが、「仮にブライアンが生きていたとしても解散は避けられなかった可能性が高い」というのが私の結論です。解散が様々な要因の複合的な絡み合いの結果であり、彼の死はそのワンピースを構成していたとしても、というよりワンピースであったからこそ、彼が生きていても解散を押し留める大きな抑止力にはなり得なかったと思います。

もっとも、彼が生きていればホワイトアルバムの制作やゲットバックセッションのような、メンバー間のギスギスした関係は、彼が緩衝材となることによって相当和らげられたのではないかという気がします。1969年1月にジョンが、2月にジョージとリンゴがアラン・クラインとマネージャー契約を締結し、その期限が1973年3月までとされたことを考えると、少なくとも彼らは、直ちにビートルズを解散する気はなかったと考えられます。

ジョンが一番ビートルズを脱退したがっていたのですが、彼も1973年まではメンバーとして留まる契約書にサインしたのですから。なので、仮にブライアンが生きていれば、少なくとも1973年まではビートルズは解散せず存続したのではないかと思います。ただし、アルバムのリリースなどのバンドとして音楽活動をしたかどうかはまた別の話です。ビートルズは存続しても実際にはバンドとして殆ど活動せず、それぞれのメンバーがソロ活動に力を入れていた可能性も大いに考えられます。

しかし、少なくともケンカ別れのような形での解散という「最悪のシナリオ」にはならなかったのではないでしょうか?メンバーがきちんと話し合って合意し、記者会見を開いてファンも納得する形で円満な解散ができたのではないかと思います。あくまでもたらればの話ではありますが、そうならなかったことが残念でなりません。

そして、ブライアンは、ビートルズの楽曲の著作権を取り戻そうと必死にノーザンソングス社に働きかけたでしょう。これが彼にとって最大の負い目でしたから、全財産を投げ打ってでも取り戻しにかかったのではないでしょうか?実際、後に同社は全株式を売却しましたから、可能性がなかったわけではありません。もし、それが成功していたら歴史は大きく変わっていたかもしれません。

 

(参照文献)エピ・ラヴァー、ビートルズバイブル

(続く)

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*1:シンシア・レノン「A Twist of Lennon」146ページ

*2:チェット・フリッポ「イエスタデイ:ポール・マッカートニーの非公認の伝記」248ページ