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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズ、自分の楽曲の著作権を持ってなかったってよ(マジかい💦)(304)

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ディック・ジェイムズ(左から二人目の人物)

1  著作権と解散との因果関係

(1)信じられない話

Let It Be' 50th anniversary: Looking back at the Beatles' final album

ビートルズは、自分の楽曲の著作権を持っていなかった。」というと、ビートルズにあまり詳しくない方は驚かれるかもしれませんが、ファンや音楽関係者の間では有名な話です。エルヴィス・プレスリーは、素晴らしい歌手でしたが自分で曲は作りませんでしたから、著作権を当然、持っていませんでした(「ハートブレイクホテル」などの一部の楽曲については「共作」としてクレジットされています)。

それに対して、ビートルズは、初期のカヴァー曲を除いて自分たちのオリジナル曲を数多く制作し、それらは大ヒットして全世界の人々がカヴァーしました。ところが、彼らは、それらの楽曲の著作権というコンポーザーとしては命の次に重要ともいえる大事な権利を手放してしまったのです。

(2)解散との関係

youtu.be

ビートルズ著作権を持っていなかったことが解散と何の関係があるんだ?」といぶかしく思われる方も多いでしょう。確かに、その二つの間に直接因果関係があるわけではありません。しかし、いくら素晴らしい楽曲を制作しても、それが自分のものではないとなると、フラストレーションが溜まるのは当然のことです。彼らに印税として入ってくる収入も大きく違ってきます。

家族のビジネスがうまくいかず、そのことによって家庭不和がもたらされ、やがて家庭が崩壊してしまうというのは別に珍しいことではありません。ビートルズの場合もそれと似たようなことが起きたとも言えるでしょう。

もし、彼らが著作権やその他様々な知的財産権をしっかりと管理していて、それらから十分な利益を得ていたのであれば、彼らが経営していたアップルコア社も経営危機に陥ることはなかったでしょう。彼らがあれほど険悪な関係になってしまったのは、音楽の方向性の違いもありましたが、むしろ、ビジネスの面での対立が大きかったのです。

2021年に公開が予定されている映画「Get Back」では、彼らがスタジオで楽しくセッションしたり、談笑しているシーンがPR用に公開されています。このシーンを見る限り、スタジオにおける彼らがずっと険悪な関係だったわけではなかったということが分かります。

そして、彼らのビジネスがうまくいかなくなった発端となったのは、彼らがメジャーデビュー後の早い段階で著作権を失ってしまったことでした。ですから、彼らが著作権を持っていなかったことも解散の要因の一つに挙げて良いのではないかと考えられます。

 

2 触れてこなかったテーマの一つ

著作権記号

私がビートルズの問題について触れてこなかった二つのテーマがあります。一つは「解散」であり、もう一つは「著作権」です。

解散については、1970年に公開された映画「Let It Be」に象徴されるように、メンバー同士が険悪な関係になってしまい、ケンカ別れというような形で解散してしまったため、そのことが私にとってトラウマになってしまって、なかなか触れにくかったという事情がありました。しかし、解散から50年という節目を迎えたことで、いつまでもそのままにはできないだろうと、書くことに覚悟を決めました。

これに対して、著作権の問題についてはそのようなことはないのですが、いかんせん問題が複雑すぎて、私の手に負えないと感じていました(^_^;)私自身、著作権そのものについてどれだけ理解できているかということもありますし、日本とイギリス、アメリカの制度はまた違いますから。

しかし、これもビートルズを語る上で外せない重要な問題であることには変わりありません。そこで、この機会にこの点についても触れてみたいと思います。自分なりに研究してみたのですが、やはり正直に言ってこの問題は理解するのがなかなか困難です。ですから、極力真実に近づこうと努力はしていますが、何分未消化な部分があることもご了承の上で以下をお読みください。

 

3 ディック・ジェイムズとの出会い

(1)レコードデビューしたものの

ビートルズは、記念すべきファーストシングル「Love Me Do」でデビューを飾ったのですが、チャートでは17位でした。これでも、全く無名の新人のデビューとしては上々だと思いますが、マネージャーのブライアン・エプスタインは、この結果に不満を抱きました。

そして、EMIのプロデューサーであるジョージ・マーティンにEMIの音楽出版部門であったアードモア&ビーチウッドが、ロクにプロモーションしなかったからだとグチをこぼしたのです。まだこの会社は、設立されてからそれほど年数が経過しておらず、業界の大手ではありませんでしたから無理もなかったでしょう。

いくらミュージシャンに実力があっても、プロモーションがまずければ成功しません。それは、現在の音楽業界でも同じです。ただ、現在ではミュージシャンが動画サイトなどを有効に活用して、直接リスナーに発信することができるようになったので、随分と状況は変わりましたが。

(2)音楽出版社の影響力

そこで、彼は、違う音楽出版社にコンタクトすることにしたのです。当時、音楽出版社は、音楽業界にコネがあり、ミュージシャンがテレビやラジオへ出演する橋渡しなど様々な形でサポートしていました。

そういう意味においては、ミュージシャンを売り出す上で、レコード会社より影響力があったと言えるでしょう。いかに優れたミュージシャンであり、良い曲を持っていても、それを広く一般のリスナーに届けるのは至難の業なのです。

この頃のレコード会社は、所属するミュージシャンのプロモートにはまだ関心が薄かったのです。彼らが積極的に有望な新人を発掘し、プロモートに力を入れ始めたのはビートルズの成功が大きかったのではないでしょうか?

音楽出版社は、売れそうなミュージシャンを熱心に探し出し、業界に売り込んでいたのです。彼らが売れてくれれば、自分たちの発行する譜面の売上も伸びるし、手数料が稼げるなど利益が上がったので死活問題だったのです。逆に、ミュージシャンは、彼らをリスナーに紹介してくれるスタッフが必要でした。

ブライアンの求めに応じてマーティンが知り合いの人物を何人かあげましたが、結局はディック・ジェイムズを紹介しました。ジェイムズはやり手で、1961年に自分の音楽出版社を設立し、イギリスの音楽業界では大変な成功を収めていたのです。

ですから、マーティンがジェイムズを紹介したのは、必ずしも間違いだったとはいえません。ブライアンは、彼ならビートルズを成功に導いてくれるだろうと期待しました。

 

4 運命のすれ違い

(1)ディック・ジェイムズとは?

ディック・ジェイムズは、ポーランドの移民の息子で元々は歌手でしたが、現役を退き音楽出版ビジネスを手がけるようになりました。業界でメキメキと頭角を現し、次々とスターを送り出して誰もが知る存在になったのです。

実は、ブライアンは、彼と会う前にもう一人別の音楽出版社の人物と会う約束をしていました。ところが、どういうわけかその人物が約束の時間になっても現れなかったので、結局ジェイムズと会うことになったのです。

ブライアンが合うはずだった人物が誰だったかは、今となっては分かりません。しかし、本人は、さぞかし悔しがったことでしょう。遅刻さえしなければ、億万長者になっていたかもしれないのですから。

(2)他にも似たような例があった

コンピューター業界では有名な話ですが、ゲイリー・キルドールが開発したコンピューターのオペレーティング・システムであるCP/MIBMが買収しようとした時のことです。IBMは、当初、マイクロソフトが開発したと勘違いして連絡を取りましたが、それを開発したのはキルドールだと教えられてコンタクトしました。

しかし、彼は、すでに成功を収めていて、IBMとなかなか会おうとしませんでした。彼にとってはコンピューター業界の巨人IBMといえども、単なる商売相手の一つに過ぎなかったのです。

急いでいたIBMは、やむを得ずマイクロソフトビル・ゲイツに商談を持ちかけました。オペレーティング・システムの重要性を理解していたゲイツでしたが、1年以内に納品せよというIBMの厳しい要求にはとても応えられないと考えていました。

ところが、ティム・パターソンがCP/Mのクローンである86-DOSを開発していたことを知り、ゲイツは、早速、それを買い取って改良を加え、その後全世界で使われることになるMS-DOSを開発し提供しました。そして、マイクロソフトを世界有数の巨大企業にしたのです。キルドールがIBMの商談にすぐに応じていれば、彼が億万長者になっていたはずです。世の中、いつチャンスが転がり込んでくるか分からない。絶対に商機を逃がすなという教訓です。

(3)こいつは売れる!

リヴァプールの人間にとっては敷居の高かったEMIやデッカと違って、ジェイムズは、ブライアンを快く迎え入れてくれました。ブライアンは、ジェイムズにビートルズが制作してレコーディングしたばかりの「Please Please Me」のアセテート盤を聴かせたのです。

ビートルズにとって2枚目となるシングルでしたが、リリース後、チャート2位を勝ち取るという大成功を収めました。ジェイムズは、この曲を聴いた瞬間「こいつは売れる」と直感しました。スタートのゲートが開いた瞬間です。

 

(参照文献)ノーザン・ソングス

(続く)

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