★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ディック・ジェイムズのマジックに取り憑かれたブライアン(305)

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Thank Your Lucky Starsに初出演したビートルズ(1963年1月19日放映)

1 前回の記事の訂正

前回の記事で「エルヴィス・プレスリーは、自分の楽曲の著作権を持っていなかった」と書きましたが、実は「ハートブレイクホテル」などの一部の楽曲については「共作」という形ではありますが、彼の名前がクレジットされているものがあります。フェイスブックのお友だちからご指摘を受けたので、その点を訂正しておきます。

2 レコード会社と音楽出版社との関係

一つの会社で例えるなら、製造部門と営業部門というところでしょうか?つまり、レコード会社がレコードを制作して、それを音楽出版社が色々な所へ売り込むということです。EMIも子会社としてアードモア&ビーチウッドという音楽出版社を持っていたのですが、業界ではいかんせん力不足でした。

ブライアンは、ジェイムズにビートルズはメジャーデビューしたものの、EMIのプロモーションがなく困っていると窮状を打ち明けました。「Please Please Me」を聴いたジェイムズは、「この曲は、チャート1位を取れるよ。私が保証する。」とブライアンに太鼓判を押しました。

ブライアンは、この曲をヒットさせるにはどうしたらいいかをジェイムズに尋ねると同時に、もし、彼にその力があるならビートルズの出版社になってもらうつもりだと付け加えました。彼にしてみれば、ワラにもすがる思いだったのでしょう。

3 「ディック・マジック」

(1)自分がいかに大物かを見せつけた

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Thank Your Lucky Starsの出演者たち

ジェイムズは、いかに自分が業界に大きな影響力を持っているかをブライアンに見せつけるために、古典的なセールスマンの手口を使いました。 彼は、ブライアンの目の前で7年前に歌手だった彼をプロデュースしたフィリップ・ジョーンズに電話をかけました。ジェイムズとジョーンズは、昔から家族ぐるみの付き合いがあったのです。

そして、ジョーンズは、イギリス全土で毎週土曜日の夜に放映されていたテレビの人気音楽番組である「Thank Your Lucky Stars」のプロデューサーだったのです!その番組はティーンエイジャーが熱心に観ていて、そこで紹介されたシングル曲の多くがヒットしていました。

「フィリップ、ビートルズってバンドを聞いたことがあるかい?」「あるよ。ファースト・シングルはそこそこ売れたんだよね。」

流石ですね。「Love Me Do」は17位どまりでしたが、ジョーンズは、すでにこの曲もちゃんとチェックしていたのです。

「次のシングルは、ヒット間違いなしだよ。僕は、それを聴いたんだ。それで、彼らを君の『Thank Your Lucky Stars』に出演させてやって欲しいんだ。」

(2)電話1本で人気番組への出演を取り付けた

ジョーンズは、いくらジェイムズが友人とはいえ、番組に出演させる以上、そのレコードを聴いてみないと出演させられるかどうか判断できないと応えました。そりゃそうですよね。大したことがない曲だったら、番組の評判が下がってしまいます。

「分かった。じゃあ、今から聴かせるからちょっと待っててくれ。」そう言うと彼は、レコードをプレーヤーにかけ、電話越しにジョーンズに聴かせました。それを聴いて納得したジョーンズは、1963年1月19日、つまり、「Please Please Me」がリリースされる8日後にビートルズを出演させることを決めました。

音楽業界にはズブの素人だったブライアンは、電話一本で人気番組のプロデューサーにまだチャート1位も取っていないビートルズの出演を承諾させるなんて、ディック・ジェイムズとは何てすごい人なんだと思ったでしょう。「この人についていけば、ビートルズはスターになれる。」そう思ったとしても不思議ではありません。

残念ながらその時の動画が見つからなかったので、代わりに1963年12月15日にビートルズが同番組に出演した映像をご紹介します。モロに口パクですが、テレビ局の音響機器が良くなかった当時はこれが普通だったんです。

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4 出版権を譲渡した

ジェイムズの手際の良さに感嘆したブライアンは、「Please Please Me」と「Ask Me Why」の出版権を約束通りジェイムズに譲渡しました。42歳で経験豊富なジェイムズは、正にブライアンが必要としていた人物でした。彼は、音楽出版業界において確固たる地位を築いていたのです。

「Please Please Me」は、ジェイムズの予想通り非公式ではあったもののチャート1位を獲得し、以来、ビートルズとジェイムズは、共同で仕事をすることになりました。ビートルズがテレビに出演したことは、彼らの知名度を上げる上で計り知れない効果がありました。

ジェイムズは、ビートルズをスターダムに押し上げることができる人物であることを証明したのです。彼は、ビートルズとは世代こそ違ったものの、自分がプロの音楽関係者であることを充分認識していて、業界を生き抜くコツをつかんでいました。

ビートルズは、1963年2月11日にデビューアルバムと3枚目のシングル「From Me to You」「Thank You Girl」をレコーディングしました。これらのレノン=マッカートニーの出版権もブライアンからジェイムズに譲渡されました。

5 ブライアンに代理権はなかった

(1)コンポーザーはジョンとポール

ここがよく分からないところなんですが、コンポーザーは、あくまでもジョンとポールであり、著作権を持っているのも彼らです。ですから、彼らの承諾なしにブライアンが譲渡することはできなかったはずです。イギリスと日本の法律は違うとはいえ、著作権に関しては国際条約が結ばれていますから、どこでもそう大きな違いはありません。

ブライアンは、マネージャーではありましたが、全権を委任されたわけではありません。ビートルズのために仕事を取ってくるのが彼の主な仕事であり、そのために必要な権限は与えられていましたが、それを超える権限はありませんでした。

(2)著作権と出版権は違う

Paul McCartney still imagines how John Lennon would react to his music

著作権と出版権は異なります。著作権は、すべての作家が作品を作成するとすぐに自動的に完全な著作権を所有し、それらを保護するための法律が存在します。英語では「copyright」と翻訳されます。

資料によるとブライアンは、ジェイムズに上記の楽曲の「publishing rights」を与えたとされています。ですから、著作権を与えたわけではありません。これは日本語では出版権と翻訳されます。 

出版権とは、他の人が自分の作品を出版することを許可したときに、作家が販売、譲渡、ライセンス供与、またはその他の方法で引き渡すものです。作家は、自分の作品に出版権または複製権を割り当てて、他の人が作品を出版できるようにすることができます。著作権を木の幹に例えると、出版権は枝のようなものでしょうか。

(3)ブライアンに代理権はなかった

当然のことながら、出版権も、著作者自身しか他人に譲渡することはできません。一般的にどこの国の法律でも、ある人が自分に代わって法律行為をする代理人を定めることができますが、そのためには、本人が代理権を代理人に与えることが必要です。しかし、ジョンとポールがブライアンにそれを与えた事実はありません。

となると、ブライアンがジェイムズに出版権を与えた行為は、無権代理として無効ということになります。もっとも、彼らがそれに対して何ら異議を唱えなかったので、事実上追認して有効になったということになるのかもしれませんが。

6 ジェイムズの力が必要だった

ビートルズがメジャーになるためには、音楽業界に強い影響力を持っているジェイムズの力が必要だったことは確かです。たとえ素晴らしい楽曲であっても、それが一般大衆に知られなければヒットすることはないからです。

十分な広報活動がなされずに、ヒットすることもなく埋もれてしまった名曲は数多くあります。ビートルズは、「Twist & Shout」に代表されるように、そんな埋もれた名曲を探す名人でもありました。 

ビートルズがジェイムズの力を必要としていたとしても、出版権そのものを譲渡してしまったのは失敗だったと評価する人がいるかもしれません。確かに、ライセンス契約に留めておくべきだったとも考えられます。しかし、当時の音楽業界における力関係からすると、ジェイムズが象とすればビートルズはまだアリのようなものでした。ですから、出版権を譲渡してしまったからといって後付けで批判するのは、いささか酷ではないでしょうか?

この業界は「売れてなんぼ」の世界です。ブライアンにはビートルズを大々的に売り込んでくれる力を持ったジェイムズが必要でした。それに譲渡したといっても、この段階ではまだ3曲だけで、しかも、出版権を譲渡しただけですから、譜面などの出版者から印税を徴収できるだけで、楽曲をカヴァーした人からは徴収できません。ですから、この段階で留めておけばまだ傷は浅かったはずです。

ビートルズとブライアンが致命的なミスを犯すのはもう少し後になってからです。

(参照文献)レイ・コールマン「マッカートニー:イエスタデイ…アンド・トゥデイ」

(続く)

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