★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ディック・ジェイムズは悪いヤツだったのか?(307)

Beatlemania: the Fab Four's Irish concerts, 50 years on

1 画期的なビジネスモデルだった

「デビュー間もない新人が自分の会社を設立した」というニュースは、イギリスの音楽業界に衝撃を与えました。画期的だったのは、ソングライターが音楽出版社と合同で自分の会社を設立したことです。それまでのミュージシャンは、楽曲を制作したり、演奏したりしてギャラを得ることにしか関心がありませんでしたが、彼らが始めて自分のビジネスを立ち上げることに目覚めたのです。

しかもビートルズは、まだシングルを2枚出しただけなのに、もう自分の会社を設立したというのですから、業界人が驚いたのは無理もありません。そんな画期的なビジネスモデルを思い付いたジェイムズは、やはり相当な先見の明があったといえるでしょう。

これは、他のミュージシャンを俄然やる気にさせました。楽曲を他人に提供してもらわなくても、自分で制作すれば印税収入が得られるのです。ミュージシャンの地位向上にも大きく貢献したといえるでしょう。

 

2 話が違う!

(1)持株の過半数を握られた!

A Beatles Buzzfeed Bonanza | Beatle Me Do

ノーザンソングス社の当初の株式資本は、1株あたり100ポンドでした。ディック・ジェイムスは、彼の会計士であり金融パートナーであるチャールズ・シルバーと同様に、株式の25%を受け取りました。ジョンとポールにはそれぞれ20%が与えられ、ブライアンには10%が与えられました。

ノーザンソングス社は、ディレクターのブライアンとジェイムズとともに、ディック・ジェイムズ・ミュージック社によって管理されていました。実際の契約がこの通りであれば、ビートルズ側とジェイムズ側の株式の持株比率はともに50%で対等だったということになります。

 

とここまで聞くと、この取引が公正だったようにみえます。しかし、そこにはからくりがあり、実際にはジェイムズとシルバーは、ビートルズ側よりももう1%多く株式を持っていました。これが、後年、ジョンとポールに壊滅的な打撃を与えることになったのです。

「ジェイムズは、常に我々より優位に立っていた。我々は、49%しか株式を保有していなかったのに対し、彼らは、51%を保有していた。ジョンと私は、我々が自分の会社を持てると約束されていたのに、実際にはその会社は、ディック・ジェイムスの会社の中の一部になっていたことに我々はとても驚いた。我々は、不公平だと思ったが、これが彼らのを我々の目をくらますやり方だった。我々は、クリエイターとして次々と作品を創造していたので、一年休暇を取ってビジネスを整理している暇はなかった。我々は、チャールズ・シルバーという男に会ったことがない。ずっと裏方にいた男だ。」*1

(2)将来の著作権まで譲渡してしまった

Music Friday: The Beatles Sing About Buying a Diamond Ring 'If It Makes You  Feel All Right' in 'Can't Buy Me Love' | The Jeweler Blog

ジョンとポールは、「Please Please Me」「From Me To You」「Thank You Girl」の3曲の著作権をノーザンソングス社に譲渡しました。この時点ではまだこの3曲だけだったのです。ここで引き返していれば、傷は浅くて済みました。しかし、1963年8月14日、ジョンとポールは、1963年2月28日から3年契約で全楽曲の著作権まで譲渡してしまったのです。この瞬間に彼らがこの期間に制作した楽曲は、彼らのものではなくなってしまったのです。これが致命的なミスでした。

ジェイムズが自分の会社として経営するディック・ジェイムズ社は、ノーザンソングス社のマネジメントの仕事を引き受ける手数料として、総売上の10%を何と10年間、1973年2月10日まで受け取るという契約を締結しました。まだセカンドシングルがチャート2位をとったばかりのバンドと10年間もの長期契約を締結したとは驚きです。だって、一発屋で終わってしまう可能性の方が高かったわけですし、殆どのミュージシャンがそうやって消えていきましたから。よくまあこんな長期間の契約を締結したものだと思います。

まあ、ジェイムズにしてみれば、別にビートルズが売れなくなったところで損をするわけではないので、どうということはなかったのでしょうが、結果的にこれが大成功を収めることになりました。彼は、ビートルズが楽曲を制作すればするほど、何もしなくても巨額の収入を得ることができたんですから。

 

3 詐欺ではなかったのか?

Beatles song John Lennon regretted Paul McCartney writing

ここが私の一番納得できないところなんです😠契約書にサインする時、ポールは、ジェイムズに対して自分たち自身の会社を持てるのかと尋ねたところ、彼は、それを肯定したのです。しかし、実際の持株比率は、ジェイムズ側が51%、ビートルズ側が49%で過半数を制していたのは、ジェイムズ側ということになっていました。

株式会社の特徴は、持株比率によって会社の支配権が決まるということです。つまり、発行済株式総数の過半数を持っている人が株主総会の議決権を握っているので、その会社の経営を支配しているということになります。取締役の選任など重要な事項は、すべて株主総会で決定されますからね。

 

ジェイムズがジョンとポール、ブライアンに話しを持ち掛けたときは、それぞれで50%ずつという約束でした。それがいつの間にジェイムズ側が51%を所有することになったのでしょうか?口頭で交わした約束の重要な部分を契約書の中で気づかれないようそっと変更したということですよね。しかも、サインする際にポールはジェイムズに念押ししたんですよ?

とすれば結局、ジェイムズがビートルズやブライアンを騙したことになりませんか?いくら彼らが契約書にサインしたとしても、ジェイムズは、彼らが著作権に関する知識に乏しいことを利用して、それを彼らから取り上げる契約をさせたことになります。

イギリスの民法を調べてみたのですが、どうやら日本の民法の詐欺にあたる規定はなさそうです。ただ、彼らがジェイムズの仕掛けた巧妙なワナにはまったことに気づいた時点ですぐに腕利きの弁護士を雇い、ジェイムズがビートルズやブライアンの無知を利用して不利な契約を結ばせたと主張すれば、契約の無効を主張できたのではないでしょうか?

仮にそこまでできなかったとしても、契約したばかりの段階であれば、何らかの代替案を提示して著作権を取り戻すことはできたのではないかという気がします。ただ欧米は、日本以上に契約について厳しい国なので、一度サインしてしまうと相手方が承諾しない限り、どうしようもなかったのかもしれません。

明治時代に制定した民法で詐欺による取消しを認めていた日本でも、詐欺には当たらない巧妙な手口で消費者を騙す悪質な業者が後を絶たず、消費者を守る特別法が制定されたのは随分後になってからでした。ですから、当時のイギリスでは違法ではなかったのかもしれませんが、それにしてもやり方が汚いじゃないかと思います💢

4 ジェイムズは悪いヤツだったのか?

Who was Elton John's publisher Dick James and who plays him in ...

こうしてみてくると「ジェイムズは、ビートルズの無知につけこんで、彼らから著作権を騙し取った悪いヤツだ。」となりそうです。っていうか、私にはどうしてもそう思えちゃうんですけどね(^_^;)ただ、そういうマイナス面も否定できませんが、ビートルズがデビューした頃から、彼らが成功するために相当力を貸してくれたのも事実です。そこは、私も認めざるを得ません。

ジェイムズは、メジャーデビューしたばかりのビートルズのために懸命に働き、彼らのパートナーとして信頼されるようになっていました。彼は、ビートルズの初期の曲を積極的に広報し、他の演奏家にカヴァーさせるのを促したり、楽譜の販売による印税の徴収を監督したりしました。また、彼らの曲が過剰にカヴァーされないように気を配り、リリース前に無断で新作が放送されないように、ラジオ局に法的な通知を出したりしました。

すでに成功を収めているミュージシャンがビートルズの楽曲をカヴァーしてくれることは、その楽曲やビートルズ知名度を上げるうえでとても有益なことでした。しかし、だからといって過剰にカヴァーされてしまうと、彼らのオリジナル曲と勘違いされてしまう可能性があります。また、カヴァーのできが良かったりすると、そちらの方が売れてしまうおそれもあります。

実際、「Twist And Shout」はトップ・ノーツのオリジナル曲であり、それをカヴァーしたのがアイズレー・ブラザーズで、カヴァー・ヴァージョンの方がヒットしました。さらにビートルズがカヴァーしたヴァージョンは、ビルボードのチャートで4週連続2位をキープしました。ですから、カヴァーさせるのもほどほどにしてきちんとコントロールしておくことが重要だったのです。

また、おろしたての新曲が先にラジオで放送されたりすると、新鮮味が失われてしまってレコードの売上げに響いてしまいます。最も効果的なのは、新曲を出すと宣伝してファンを焦らし、彼らの早く新曲を聴きたいという欲求がピークに達したタイミングでリリースすることです。ジェイムズは、こういった戦略的なことにとても長けていて、ビートルズの楽曲が売れるように細心の注意を払っていたのです。

こんな鮮やかな手腕は、音楽業界に全くの素人だったブライアンにはとてもマネできませんでした。つまり、ビートルズの成功は、ジェイムズの力に負うところが大きかったのです。

さらに、ジェイムズは、ブライアンのビジネス・アドバイザーとしても活動し、彼の報酬がその仕事に見合うよう支援しました。ジェイムズは、ブライアンをニューヨークの弁護士ウォルター・ホーファーに紹介しましたが、彼は、ブライアンがアメリカに進出する際に大いに活躍し、エドサリヴァン・ショーの交渉にも協力しました。

ビートルズは、ジェイムズが太って禿げていたことを「ステキな美しい曲だ」などとからかっていましたが、彼が音楽業界に精通していることに対しては敬意を払っていました。このあたりは、本当にビートルズのためによくやってくれていたんですがねえ~…。

 

(参照文献)ザ・ビートルズ・バイブル、ノーザン・ソングス

(続く)

*1:ポール・マッカートニー「Many Years From Now」バリー・マイルズ