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ジョン、ストーンズの映画「ロックンロール・サーカス」に出演(325)

初ブルーレイ化!ローリング・ストーンズ『ロックンロール・サーカス』4Kレストアのブルーレイ+DVD+2CDデラックス盤復刻|ロック

1 「マジカル・ミステリー・ツアー」に刺激を受けた

(1)サーカスと音楽を融合した

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ローリング・ストーンズは、ビートルズが制作した映画「マジカル・ミステリー・ツアー」に刺激され、自分たちもテレビ特番を製作したいと考えました。そこで彼らは、イギリスのBBCテレビで放映することを目的として、少人数の観客を対象としたサーカスの幕の合間の余興という設定で音楽を演奏してレコーディングするという、「ロックンロール・サーカス」という映画を製作しました。サーカスといえば、ビートルズのアルバム「Sgt.Pepper」に収録されている「Being For The Benefit Of Mr. Kite!」を連想しますが、それがストーンズの映画のテーマに影響を与えたのかどうかは分かりません。

大きな屋根の下で行われたこの「サーカス」には、屈強な男たち、空中ブランコ乗り、ボクシングをするカンガルー、生きたベンガル虎まで登場しました。ストーンズが構想した「ロックンロール・サーカス」は、フォーセット・サーカス団から雇った団員のパフォーマンスと音楽を融合させた作品でした。そのサーカス団は、ロバート・フォーセット卿が創設したイギリスで歴史と伝統のある有名なサーカスです。

監督はマイケル・リンゼイ・ホッグ、カメラマンはトニー・リッチモンドで、この2人は、後にビートルズの「ゲット・バック/レット・イット・ビー」プロジェクトに参加しました。

(2)豪華な出演者たち

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勢ぞろいした出演者

出演をオファーされたジョンは、ヨーコを伴ってゲスト出演しました。ビートルズとしてのライヴは嫌がっていたのに、他のミュージシャンとのライヴには気軽に参加したのは、主役ではないという気楽さとビートルズのメンバー間の確執から解放されたかったのでしょう。

他にも、エリック・クラプトンジェスロ・タル、女優でありミックの恋人のマリアンヌ・フェイスフル、ザ・フー、ドラマーのミッチ・ミッチェル、ピアニストのジュリアス・カッチェン、ブルースシンガーのタージ・マハールなど錚々たる顔ぶれが揃っています。ただ、ジェスロ・タルは、まだメジャーデビューしたばかりの新人で、ホッグ監督が起用しました。また、トラフィックやクリームといったバンドも招待されていましたが、撮影直前にどちらのグループも解散していました。

1968年12月6日にマーキー・クラブでリハーサルとカメラテストが行われ、8日にはロンドンのオリンピック・サウンド・スタジオで予備レコーディングが行われました。ジョンは、どちらにも出席しませんでしたが、8日と9日にロンドンデリー・ハウス・ホテルで行われたリハーサルには参加した可能性があります。

 

2 圧巻だったジョンのパフォーマンス

(1)バンド名はダーティ・マック

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(左から)クラプトン、ジョン、ミッチェル、リチャーズ

ジョンのパフォーマンスは、10日に撮影されました。彼は、リチャーズ、クラプトン、ミッチェルと一緒に、「ダーティ・マック」というバンド名で「Yer Blues」を演奏しました。このバンド名は、当時すでに人気バンドになっていたフリートウッド・マックにちなんで名付けらたものです。

しかし、ダーティ・マック(汚いマック)とはねえ…💦いくらポールとの仲が険悪になっていた時期とはいえ、ちょっと酷いんじゃないですか?皮肉屋のジョンらしいですが。

ジョンは、この時、バンドメンバーを彼らのステージネームで紹介していましたが、自分は「ウィンストン・レッグ・タイ」と名乗っていました。この名前にどんな意味があるのかは分りません。

この日、ジョンは、「Yer Blues」のリハーサル以外にも、ミックやクラプトンとバディ・ホリーの「Peggy Sue」を演奏したり、エルヴィ・プレスリーの「It's Now Or Never」を歌ったりしていました。結構リラックスしていたんでしょうね。

 

(2)本番

www.youtube.com本番でジョンらのバンドは、「Yer Blues」を演奏しました。これは、今観ても素晴らしいパフォーマンスです。ジョンは、溜め込んだいたストレスを全て吐き出したかのように生き生きして、演奏の後半では笑顔も垣間見えます。その後、「Whole Lotta Yoko」という即興曲を演奏しました。

この曲は、ヨーコの即興のヴォーカルにジャズやブルースを組み合わせたエキセントリックな曲です。ヨーコは、ステージ上の黒い袋から出てきて、バイオリン奏者のイヴリー・ギトリスと一緒にダーティー・マックの12小節のブルースを即興でヴォーカルを入れました。

まあ、ヴォーカルといってもただ奇声を発しているようにしか見えませんが(^_^;)ただ、この時は不思議にバッキングの演奏とマッチしていました。一流のアーティストが勢揃いしただけあって、素晴らしく息がぴったり合っています。「Her Blues」も演奏しました。

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(3)脱退後のソロ活動への布石だったのか?

正午に行われたフォトセッションでは、出演者がコスチュームを着て登場しました。ジョンは、キラキラしたジャンプスーツに黒い帽子と紫のスカーフ、ヨーコは、黒いマントに魔女の帽子を被っていました。

そして、彼らと他の出演者が「ビッグ・トップ」と呼ばれるエリアに入り、様々な楽器を演奏するマネをする様子が撮影されました。ジョンが手にしていた楽器は、トランペットでした。

ライヴを頑なに拒否していたジョンがロックンロール・サーカスに参加したのは、近い将来、ビートルズを脱退した後に始めようと考えていたソロ活動への布石のつもりだったのかもしれません。

 

3 デビッド・ダルトンのレヴュー

(1)アレンジはレコードと同じ

Meet the Swedish Artist Who Hooked British Rock Royalty on Her  Revolutionary Crochet | Collectors Weekly

ローリング・ストーン誌の記者だったデビッド・ダルトンは、こう語っています。「スーパー・グループのためにシンプルなステージが用意された。ジョンは、リーヴァイスの服を着ており、ミッチ・ミッチェルは、金髪のストレートヘアで(ジョンと)ほとんど見分けがつかなかった。キースは、シンプルなベースラインを弾き、エリックは、卓越した平静さで演奏した。」

「ジョンは、少し不安そうな顔をしていたが、演奏が始まるとリラックスしてカメラに背を向け、典型的なジャムの姿勢をとるようになった。ヨーコは、ステージに上がり、黒いバッグに入って、休憩時間にはジョンの手を握っている。彼らの演奏を観ている間も、これが目の前で実際に起きていることだとは信じられなかった。」

「ミッチのドラミングは少しギアがアップし、シンバルをコントロールするようになったが、これはジャム・セッションではなかった。実際、『Yer Blues』は、アルバムで演奏された曲とほとんど同じアレンジだった。なぜ、エリックは、これほどまでにレコードに忠実に演奏したのか?不思議なパラドックスだが、これだけのマジシャンが一緒にいるというだけで、その存在感に完全に圧倒されてしまう。これ以上、何が言えるだろうか?」

(2)ライヴは圧巻の迫力だった

The Dirty Mac Photos (6 of 6) | Last.fm

「しかし、『Yer Blues』をライヴで聴くのとレコードで聴くのとでは、その印象が大きく異なる。まず、ジョンがこの曲のすべての歌詞に魂を込めていることは明らかだという点である。彼は、麻薬によってもたらされる幻覚症状を究極的に表現する手段としてブルースを用いていた。」

「歌詞の『Even hate my rock and roll』の箇所は、悪夢にうなされているかのようにリスナーに向かって叫んでいた。前日のリハーサルでは、ジョン、ミック、エリックの3人で『Peggy Sue』を演奏し、ジョンは、エルヴィスの大ヒット曲『It's Now Or Never』を軽快に演奏していた。『Yer Blues』の後は、ヨーコがマイクの前に立って泣き叫び、名バイオリニストのイヴリー・ギトリスが、まるで田舎のヴァイオリニストさながらノコギリで弾くようにヴァイオリンを弾き、その後ろでスーパー・グループが演奏している。観客は、完全に魂を奪われており、誰一人動くことも話すこともなかった。息を呑むような光景だった。」*1

Yer Blues」は、レコードとほとんど同じアレンジだったにもかかわらず、全く違って聴こえたというのです。このライヴがいかに鳥肌物の圧巻のパフォーマンスだったかが伝わってくるコメントですね。

 

4 公開は見送られた

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主役であるローリング・ストーンズのソロ・パフォーマンスは、翌朝2時に始まりました。この時、ジョンとヨーコは、BBCラジオ番組でインタヴューに応ずるため現場を後にしていましたが、ストーンズの演奏の途中で戻ってきていました。また、この日のオフステージの様子も撮影されており、ジョンとミックは、「ダーティ・マック」を紹介するシーンでジョークを交わしていました。

撮影後の製作作業の問題やフィルムの紛失などの諸事情により、この映画は、長らくお蔵入りしてしまいました。それがようやく日の目を見たのは、撮影から27年後の1996年でした。

もっとも、この作品が日の目を見なかった最大の理由は、この映像を観たストーンズが、ゲストのパフォーマンスが素晴らしすぎて、主役の自分たちが霞んでしまったと感じたことです。ただ、作品自体は、お蔵入りとなったものの、この空前絶後のフェスティヴァルには、音楽の歴史に残る重要な瞬間が数多く残されていました。その意味において、その後のロックの発展に大きく貢献したといえるでしょう。

(参照文献)ザ・ビートルズ・バイブル、カルチャーソナー

(続く)

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*1:デビッド・ダルトン「1970年3月19日発刊 ローリング・ストーン」