1 アルバム「Two Virgins」のリリース
1968年11月11日、ジョンとヨーコは、二人のファーストアルバム「Unfinished Music No. 1: Two Virgins」をリリースしました。ジャケットの表紙と裏表紙にジョンとヨーコのヌードが掲載されたこのアルバムは、長年にわたって「一度も演奏されたことがないと話題のアルバム」と皮肉を込めて論評されてきました。
このアルバムは、1968年5月、ジョンとヨーコが初めてジョンの自宅で一夜を過ごした時にレコーディングされました。ヨーコは、「私たちは、何も話さなかった。」と語っています。ジョンは、彼女に「音楽を作りに2階に上がらないか?」と語りかけました。それに応えて彼女は、「そうね。私たちは、そうすべきだわ。」と応えて、二人は、音楽ルームに上がりました。そのレコーディングは、即興で行われました。
このアルバムは、ランダムなノイズや金切り声、逆回転のテープループなどが奇妙に混ざり合っているのが特徴です。ですから、ビートルズの「White Album」の収録曲「Revolution No.9」が苦手という人にはあまり向いてないでしょうね(^_^;)
2 ヨーコには音楽の素養があった
(1)大学で作曲を学んでいた
ヨーコが前衛芸術家として活動していたことはよく知られていますが、彼女が正当な音楽教育を受けていたことはあまり知られていないかもしれません。彼女は、1950年代にサラ・ローレンス大学で作曲を学んでいたのです。
この大学の卒業生には他にシンガーソングライターのカーリー・サイモンがいます。そして、何とポールの妻のリンダ・マッカートニーも卒業生なんです!何という偶然でしょう。
しかし、銀行員の父から「この分野は女性には向いていない」と忠告されていました。何しろお父さんは、日本興業銀行総裁を務めたエリート中のエリートですからね。あの時代に女性が作曲家の道に進むといっても、到底、許してはもらえなかったでしょう。もっとも、結局は、前衛芸術家になるんですけどね。
その後、ニューヨークの前衛コミュニティに身を置いたヨーコは、ファウンド・サウンド(通常は特に「音楽的」とは見なされない一般的な物体から引き出されたサウンド)や偶然性を利用した電子音楽、ミュージック・コンクレートなどの作曲技法に精通していました。彼女の最初の夫は、日本人作曲家の一柳 慧(いちやなぎ とし)であり、彼は、ニュースクールでジョン・ケージ(アメリカの作曲家、詩人。実験音楽家として、前衛芸術全体に影響を与えた)の作曲コースを受講していました。
(2)前衛音楽の素養もあった
つまり、彼女自身が基本的な音楽や前衛音楽の技法などについて知識を習得していただけでなく、彼女の前夫も前衛音楽家だったので、何らかのサジェストを受けていた可能性もあります。
アジアの芸術に造詣が深いニューヨーク出身の学芸員であるアレクサンドラ・マンロー博士は、ヨーコをはじめ草間彌生など多くのアーティストの展覧会を企画しました。彼女は、こう語っています。「ヨーコの音楽は、詩や映画、コンセプチュアル・アートと同様に、常に形式を超え、変化させている。彼女は、前例や流行を意識しながらも、その外側で自然に活動しているのだ。」
大衆には受け入れられないかもしれませんが、ヨーコは、アートのみならず音楽の分野においても基礎を踏まえて、そこから発展させた音楽を制作していたのです。むやみやたらに叫んでいた訳ではありません。ただ、それが一般大衆に受け入れられたかはまた別の問題です。
(3)当時の評論家には酷評された
「Two Virgins」では、口笛、ピアノの音色、メロトロン、テープループやリバーブなどのエフェクトで強調された電子音の唸るようなサウンドなど、陽気で、時に奇妙なサウンドのつづれ織りを楽しむことができます。このアルバムを聴いた評論家たちは、口を揃えて酷評しました。
ジョンのシングル「Cold Turkey」のB面としてリリースされた「Don’t Worry, Kyoko」について、パンクロックのカリスマであるセックス・ピストルズのマネージャーのマルコム・マクラーレンは、この曲を「最初のパンク・レコード」と呼びました。つまり、彼は、「世界初のパンクロック」と評価したのです。ヨーコは、そのことに触れ、「最初のレコードがどれほど物議を醸し、混乱を引き起こしたかは想像に難くない。」と語っています。
3 ポールはアルバムを支援した
(1)アルバムのリリースを支援した
驚くべきことに、このアルバムを早くから支援していたのはポールで、彼は、ジョンとヨーコを連れてEMIレコードの会長であるジョセフ・ロックウッド卿のオフィスを訪れ、EMIがこのアルバムを販売することを許可するよう説得しました。
ポールは、ヨーコに対して「ジョンをたぶらかす悪女」という印象を抱いていたはずですが、彼らのファーストアルバムがEMIからリリースできるよう取り計らったのです。ポールが本当にこのレコードを素晴らしいと思っていたのか、あるいは、自分から離れていくジョンの心を繋ぎとめようとしたかっただけなのかは分かりません。
そういえば、ジョンが「The Ballad of John and Yoko」をレコーディングしたいと、突然ポールの下を訪れた時にも、彼は、快くそれを受け入れて二人でレコーディングしました。あれは、ヒット間違いなしのいい曲でしたから、あっさりレコーディングに応じたのも納得がいきますが、いずれにせよ、この辺りもジョンとポールの不思議な関係を示しています。
この頃、もう二人の関係はかなり険悪になっていました。これから1か月後の12月にジョンは、ローリングストーンズ制作の映画「ロックンロールサーカス」に参加して「ザ・ダーティー・マック(汚いマッカートニー)」と呼ばれるバンドを結成して演奏したのです。自分のアルバムのリリースの時に、EMIの会長に直談判までしてくれたポールに対してそれはないだろうと思いますが…。
ロックウッドが、なぜヌード写真を掲載したアルバムを出したいのかと二人に詰め寄ると、ヨーコは「それはアートよ。」と応えました。ロックウッドの応えは、「だったら、ポールのヌードを見せればいいじゃないか。彼の方がずっと格好いい。」というものでした。二人の一糸まとわぬフルヌードですからね。さすがにジャケット写真に使うわけにはいかなかったでしょう。
(2)シンシアの回想
このアルバムが発売されたのは、ジョンとヨーコがロンドンでリンゴのモンタギュー・スクエアのアパートに滞在中、マリファナで逮捕された数週間後のことでした。多くの店では、茶色い紙に包まれた「Two Virgins」しか置いていませんでした。そうじゃないと、店も陳列できませんからね。
ジョンの元妻だったシンシアは、ジョンとの離婚が成立して「Two Virgins」が発売された頃を亡くなる直前に振り返っています。ジョンが自分と息子のジュリアンを捨ててヨーコと駆け落ちしたことに対して、その数週間の間に夫妻が麻薬で逮捕されたことが「インスタント・カーマ(瞬時の因果応報。悪いことをするとすぐ自分に跳ね返るという法則)」だと感じていました。この言葉は、ジョンの楽曲のタイトルです。
彼女は、こう語っています。「そう、彼らは逮捕されたのよ。私は、『アクション・リアクション』という言葉を信じている。彼らは、自分たちがやったことをすべて残酷な方法で公表したのだから、その反動で何かが起きるだろうと思った。そして何が起こったかというと、警察が彼らを見せしめにしようと決めたことよ。」
彼女は、自分と幼い息子を捨てたジョンとそうさせたヨーコに対して、麻薬で逮捕されたことが因果応報だと感じていたのです。
(3)ポールの焦燥
ポールは、ジョンがヨーコに夢中になればなるほど、ビートルズの時代が終わりつつあることを実感していました。彼は、こう語っています。「ジョンがヨーコにぞっこんだった頃、それは明らかに......それ以降、元へ戻ることができないのは明らかだった。つまり、私は... . .彼が彼女の世話をするために、彼が我々の仕事場を片付けなければならないと思っているとずっと感じていた。」
ポールの苦渋に満ちた言葉です。彼は、ジョンの気持ちが自分からどんどん離れていき、ビートルズが終わりを迎えつつあるのを肌で感じていたのです。妻であったシンシアはすでにジョンに捨てられ、今度は長年の相棒である自分が捨てられようとしていました。それは時の流れであり、誰にも止められなかったのです。
4 売り上げは芳しくなかった
こうして「Two Virgins」はアップルレコードからリリースされましたが、EMIとそのアメリカの子会社であるキャピトルは、ジャケットを理由に販売を拒否しました。イギリスではザ・フーのレーベルであるトラック・レコードが販売し、アメリカではテトラグラマトン・レコードが販売しました。
当時のイギリスでの売り上げは5,000枚、アメリカでの売り上げは約25,000枚でした。しかし、3万枚は、ニュージャージー州ニューアークの倉庫でわいせつ物取締法により押収されました。
ジョン・レノンの初のソロアルバムということもあり、1969年初頭のアメリカのビルボード・アルバム・チャートでは124位にランクインしましたが、イギリスではチャート入りしませんでした。同じく実験的だった「Revolver」「Sgt.Pepper~」のようにはいかなかったのです。
しかし、「このアルバムがなかったら、ルー・リードの『Metal Machine Music』は存在しなかった。」とも言われており、何人かのアーティストに影響を与えたことは確かでしょう。
(参照文献)ヴァーミリオン・カントリー・ミュージック、ザ・ニューヨーク・タイムズ
(続く)
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