1 「The Long And Winding Road 」のストリングスについて
(1)従来の通説
前回、ポールが「The Long And Winding Road」にストリングスを入れることについて、積極的に考えていたとの記事を書いたところ、一部の読者から意外な反応が返ってきました。彼は、ストリングスを入れることそのものに反対していたにもかかわらず、プロデューサーのフィル・スペクターが壮大なオーケストラを無断で入れたため激怒し、結局それが最後の引き金となってビートルズを脱退することになったのではないかという主張です。
確かに、これは長らく唱えられてきたことですし、私もずっとそう思っていました。しかし、必ずしもそれが真実ではないと気づいたのは、このブログを書くようになってからです。解散の話題の一環で、「『The Long and Winding Road」の意味するもの(317)』」というタイトルでこのことについて触れています。
(2)ポールはオーケストラを外せとは言わなかった
オーケストラを無断で入れられたことに激怒したポールは、1970年4月14日付けの手紙でスペクターに対し激しく抗議しました。しかし、彼は、その抗議文の中でオーケストラを外すことまでは要求していませんでした。彼がその中で要求したのは次の4点です。
1.弦楽器、管楽器、ヴォーカル、その他すべてのノイズの音量を下げること
2.ヴォーカルとビートルの楽器の音量を大きくすること
3.曲の最後のハープを完全に消去し、オリジナルのピアノ・サウンドを代りに使用すること
4.このようなことは二度とやらないこと
上記から明らかな通り、ポールは、オーケストラの音量を下げろとは要求しましたが、削除しろとまでは要求していません。このことからも彼がオーケストラの導入に必ずしも反対していたわけではなかったことが窺えます。
(3)ストリングスの導入に賛成したシーン
そして、映画「Get Back」PART3の冒頭から18分39秒が経過したシーンで、コントロール・ルームでポールが「何曲かはストリングスやブラスを入れる気だった。それをバックにレイレッツ(レイ・チャールズのバック・ヴォーカルを担当したガールズ・グループ)が歌う。」と語り、「♪~The Long And Winding Road~」とヴァースを歌いながら、ストリングスを入れるというマーティンの提案に「悪くない。いいね。」と笑顔で答えている映像がはっきり確認されました(この記事で見せられないのが残念です)。彼は、ストリングスやコーラスを入れることまで考えていたのです。これだけ事実が重なればもう充分でしょう。
2 論理が誤っている
(1)長きにわたり誤解されてきた
「ポールは『The Long And Winding Road』にオーケストラを入れることに反対していた」という考えが今まで通説のように主張されてきたのですが、その原因の一つには、前作の映画「Let It Be」の影響もあるかもしれません。確かに、彼が壮大なオーケストラに明らかに不満な態度を示していたシーンがありました。
ですから、前作だけを観た人は、当初からポールが反対していたと思っても無理はないでしょう。しかし、上記の抗議文と今回のシーンを併わせて考えれば、ポールもストリングスの導入にむしろ前向きだったことが分かります。
(2)誤った三段論法が展開されている
では、なぜ彼がストリングスの導入そのものに反対していたという風に考えられてきたのでしょうか?それは、次のような三段論法が展開されていたからだろうと思います。
1 大前提 ポールは、オーケストラの導入に反対していた
2 小前提 フィル・スペクターは、オーケストラを導入した
3 結論 だから、ポールは激怒した
三段論法は、論理的推論の一つであり、正しい結論を導くとされていますが、それには「大前提が真実である」ということが絶対条件です。しかし、上記の三段論法では「そもそも大前提が間違っている」ため論理が破綻しているのです。ポールは、オーケストラの導入に反対していたわけではありません。
ポールが激怒した原因の一つは、スペクターが無断でオーケストラを導入したことと、もう一つはそのアレンジがポールが考えていたものより過剰だったことからです。つまり、彼の怒りの矛先はあくまでもその2点に向けられていたのであり、決してオーケストラの導入そのものに向けられたものではないのです。
彼の怒りの原因は、もう少し複雑なことにあったはずなのに、それがいつのまにか単純化され、彼がオーケストラの導入自体に反対していたかのように短絡的に結論付けられてしまったのです。私は、抗議文を見た時点で自分の誤解に気づき、さらに、映画「Get Back」中のシーンで確信を持ちました。正に「百聞は一見に如かず」です。
3 歴史は研究により変わる
(1)編集で作品の方向性が決まる
もちろん、今回の映画でも編集という作業が入っているため、そこには制作者サイドの価値観や主観が入り込んでいることは否定できません。しかし、それは、映画という作品を制作する以上当然のことであり、むしろ、それがなければ単なる記録フィルムに過ぎず、芸術作品とは言えません。あまり意図的に視聴者を誤解させるような印象操作はNGですが、そうでない限り、そこに製作者の意図を込めることは必要です。
今回の映画では、今まで明らかでなかったことがたくさん表に出てきました。「ゲットバック・セッション」といえば、どうしても暗いイメージが付きまとっていたのですが、必ずしもそうではなかったことをこの映画は教えてくれました。ダラダラとセッションを続けているシーンは観ていて辛いものがありますが、そういったことも含めて、やはりビートルズは、最後の最後まで固い絆で結ばれていたということを改めて確認できて、ホッとした気持ちになりました。
ボールは、今でもライヴで盛んにこの曲を演奏していますが、バックにオーケストラを入れています。もちろん、レコーディング当時こそオーケストラは不要だと思っていたが、後になって入れた方がいいと考えを改めたと考えられなくもありません。しかし、上記の2つの事実から推論すれば答えは明らかです。細かいことかもしれませんが、真実は何だったかということはハッキリさせておく必要があると思ったので、あえて前回の記事を補充することにしました。
(2)都市伝説
「ビートルズは、『Abbey Road』をラストアルバムにするつもりだったから、あれだけの傑作ができた。」という話もよく耳にしますが、これも都市伝説に過ぎません。リンゴは、そんなつもりは全くなかったとインタヴューで明確に否定したのですが、それでもなおそう信じ込んでる人がいるんですね。また、うまい具合に「The End」が一番最後の曲になってますし。
でも、仮にそうだとしたら、ちょっと話ができすぎでしょ?それに本当にそれだけの覚悟をもってアルバムを作ったのだとしたら、メンバー全員が腹をくくって公式に解散を表明していたはずです。
ポールが単独で脱退を表明したのは、あくまでハプニングだったんです。これは、ファンの「そうであって欲しい。」という願望が、いつのまにか「そうであったという仮想真実」にすり替わってしまった典型例の一つです。
(3)歴史は研究により書き換えられる
歴史は、新しい研究の成果によって書き換えられるのです。例えば、長らく鎌倉幕府の成立は、源頼朝が征夷大将軍に就任した1192年だとされてきました。しかし、近年の研究では諸説ありますが、全国に守護・地頭を設置した1185年であるという説が最も有力に主張されています。
ビートルズの歴史も例外ではありません。今回の映画でこれまで唱えられてきた主張が随分くつがえされました。また、これからも新たな資料が発見され、あるいは研究が進んでこれまでの見解が改められることは十分に考えられます。重要なのは、従来の見解にこだわって新しい研究成果を否定することではなく、それが十分信頼のおける根拠を持ったものであれば、素直に受け入れる柔軟さです。
4 ジョージが「Old Brown Shoe」をピアノで演奏
撮影18日目の27日を迎えました。ビートルズは、しばらくオールディーズを演奏しました。ジョージが「昨夜は作曲で夜更かしした。違う要素を合わせた。ハッピーでロックな曲だ。おかげで朝食がまだだ。」ここで、彼は、ジョンに語りかけました。「寝なきゃと思うんだけど、10年前の君の声が聞こえる。『曲を書き出したら最後まで仕上げろ。昔言ったろ。始めたら終わらせろ。』」
10年前というとジョージは、まだ作曲をしていませんでしたが、ジョンは、作曲の先輩として心構えをアドヴァイスしたのかもしれません。良いアイデアが浮かんだ時は、最後まで一気にやってしまわないと、途中で止めたら完成しないことが多いのでしょう。ジョージは、その言葉を覚えていたんですね。そう言ったはずのジョンは「自分じゃできない。それが一番理想なんだがね。」と話しました。でも、若い頃は、それこそ寝るのも忘れて作曲に没頭していました。
珍しくジョージがピアノの前に座りました。手書きの歌詞が置かれており、ジョージは、プレストンにコードについて色々と尋ねました。そして演奏し始めたのが「Old Brown Shoe」です。
(続く)
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