1 「Friends」は再評価されている
1968年当時、ビーチ・ボーイズの「Friends」とビートルズの「White Album」は、批評家のリストでもチャートでも、比較されることはありませんでした。しかし、現代では、インターネットの普及によって等しく競争の場が与えられたことにより、この二つのアルバムは、ポピュラー音楽における偉大なランドマークとして同じように注目されるべき存在であると評価されています。
今日、偉大なアーティストも小さなインディーズバンドも、評論家のリストやSpotifyのプレイリスト、さらにはグラミー賞の出場権を定期的に争っています。「Friends」が商業的に成功しなかったことや、ビーチ・ボーイズのファンからも見過ごされていることはもはや問題ではありません。その芸術的価値は「White Album」に匹敵するともいわれています。
2 1969年~二つのバンドの明暗
(1)ビートルズは絶好調
このように「Friends」と「White Album」は、半世紀を経た今となってはより比較しやすくなっています。ただ、そうはいっても、1969年のビートルズは、ビーチ・ボーイズよりもずっと成功していたことは間違いありません。ビートルズは「Yellow Submarine」のサウンドトラック・アルバムに続いて「Abbey Road」をリリースしました。後者は、いつの時代でも彼らの最高傑作と評価されています。もっとも、バンドの崩壊も刻一刻と近づいていました。
一方、絶好調だったビートルズに対して、ビーチ・ボーイズにはかつての勢いはありませんでした。ブライアンは「Smiley Smile」以降、すでにバンドのリーダーとしての役割から身を引き、他のメンバーに楽曲を提供させ、曲作りに協力するという姿勢に変わっていたのです。
(2)ビーチ・ボーイズは停滞
1969年の「20/20」の制作時点で、ブライアンは、精神的な問題が深刻化して入院しており、アルバムの作曲とレコーディングの過程のほとんどに参加していませんでした。彼が参加しなかったことで、このアルバムは、ビーチ・ボーイズのどのアルバムよりも間に合わせ的なものとなりました。
ブライアンが参加した曲のうち、「Our Prayer」と「Cabinessence」は「Smile」セッションからの付け足しで、「I Went to Sleep」と「Time to Get Alone」も「20/20」セッションより前のものです。アルバムのオープニング・トラックである「Do It Again」(ブライアンとマイク・ラヴの共作)は、バンドの初期のサウンドへ回帰しようと意識した作品です。この時期にビートルズが大きく前進したのに対し、ビーチ・ボーイズは、もはや前進することを止めてしまったかのようにもみえました。
3 「Abbey Road」のリリース
「Abbey Road」は、ビートルズにとって、またしても前作を超える傑作となりました。バンドが解散へと向かう中で、かつてのサイケデリック路線を捨て、彼らは、より成熟し、以前の作品と同様に画期的なアルバムを制作したのです。
8分近い「I Want You (She's So Heavy)」は、「Helter Skelter」よりもはるかにヘヴィで、この時代の他のほとんどのポピュラー音楽も含めて、プログレッシヴ・ロックとヘヴィ・メタルの形成に貢献した曲といえるでしょう。このアルバムには、ジョージの珠玉の2曲「Here Comes the Sun」と「Something」、そしてリンゴの名曲「Octopus's Garden」、そして、B面には高い評価を受けたメドレーが収録されており、ポピュラー音楽界におけるまたとない偉業となりました。
なお、このアルバムへのビーチ・ボーイズの影響という点に関して言えば、「Smile」のセッションに参加していたポールが「Abbey Road」のメドレーにおいて、「Smile」から何らかのインスピレーションを受けたと噂されることもありますが、あまり関係はないと思います。それはともかく、解散の危機に瀕していたバンドが最高傑作と称されるアルバムを制作したという事実だけでも驚異です。
4 1970年~ビートルズの解散
(1)「Let It Be」をリリース
「Abbey Road」は、ビートルズにとって実質的に最後のアルバムですが、同時期のアルバムとして「Let It Be」があります。これは「Abbey Road」とほぼ同時期にレコーディングされ、後にブライアン・ウィルソンの強力なサポーターであるフィル・スペクターのアレンジで装飾されました。もっとも、皮肉なことにそれがポールとジョージ・マーティンには気に入らず、ポール脱退の引き金になりました。
バンド解散後にリリースされ、必ずしも高い評価は得られていませんが、「Across the Universe」「Get Back」「Let It Be」「The Long and Winding Road」といった素晴らしい作品が収録されています。私は、個人的にはもっと評価されるべきではないかと思っています。
ビーチ・ボーイズの「20/20」は、メンバー各自がプロデュースし、「Let It Be」は、ブライアンが信奉するスペクターによってプロデュースされましたが、「それまでビートルズが信頼してきたマーティンはプロデュースしませんでした。明確な方針を持たないままセッションを始めたこともあって、リリースされたアルバムは統一感には欠けるものの、ビートルズ最後の名曲が収録されています。
(2)競争は終わりを告げた
一方、ビーチ・ボーイズは1970年に蘇りました。彼らは「Pet Sounds」以降のベスト・アルバムのひとつ「Sunflower」をリリースし、「This Whole World」「Deirdre」「All I Wanna Do」「Our Sweet Love」といったブライアン自身の作曲または共作の素晴らしいな新曲に加え、最終的に「Smile」に収録されなかった優れた残り物「Cool, Cool Wate」、デニス・ウィルソンの「Forever」などがあります。
デニスは、ビーチ・ボーイズにおけるジョージのような存在で、「Forever」は、彼の「While My Guitar Gently Weeps」あるいは「Here Comes the Sun」に匹敵し、彼のベストソングというよりビーチ・ボーイズ史上最高の曲ともいわれています。ブライアンは、この曲を「今まで聴いた中で最も調和のとれた美しい曲であり、ロックンロールの祈りである」と高く評価しています。
「Sunflower」と「Let It Be」は、どちらも少し収録曲にバラつきがありながらも、非常に素晴らしい瞬間があるという類似点があります。「Let It Be」は、絶頂期を迎えていたはずのバンドの終末を、「Sunflower」は、停滞していたバンドの静かなカムバックを示しており、この二つのバンドのそれぞれの相反するストーリーを図らずも描いています。そして、ビートルズの解散により、彼らのバンドとしての競争は終わりを告げました。
5 二つのバンドが残した偉大な功績
もちろん、彼らの音楽活動がそれで終わったわけではありません。ビートルズは、解散後も4人が活発にソロ活動を続け、ビーチ・ボーイズは、レコードをリリースし続けました。ビーチ・ボーイズのローファイなホーム・レコーディングが、ポールの1970年のソロ・デビュー・アルバム「McCartney」に影響を与えたのではないかともいわれています。
「Sunflower」に続くレコードの中には、1971年の「Surf's Up」、1973年の「Holland」そして1977年の「Love You」のように、60年代の全盛期と同等の創造性を発揮した瞬間もあります。中でも「Surf's Up」の「Til I Die」は、チャートこそ低位に留まりましたが名曲と評価されています。
ビートルズは、1970年に解散して二度と再結成しませんでしたが、メンバーそれぞれがソロとして充実した活動を続けました。ビーチ・ボーイズは、その後何十年も活動を続け、ブライアンが2004年にようやく「Smile」を再レコーディングしてリリースし、長年背負い続けてきた重い十字架をやっと降ろしたのです。
60年代、この二つのバンドは、お互いに競争し合いながら素晴らしい作品を残してくれました。彼らにとっては楽しくてワクワクする競争だったかもしれませんし、あるいはとても辛い競争だったのかもしれません。しかし、そのおかげで我々は、今でもそしてこれから先も彼らの作品を楽しむことができるのです。
(参照文献)ブルックリン・ヴィーガン
(続く)
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