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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「Love Me Do」の謎~ジョンにハーモニカのテクニックを伝授した男(405)

ハーモニカを演奏するジョン

1 なぜ「I Saw Her Standing There」でデビューしなかったのか?

(1)アップテンポでキャッチーな曲

Love Me Do」の謎~なぜデビュー・シングルに選んだのか?」というテーマで前回の記事を書きました。それについて読者の方からコメントをいただいたので、ちょうど良い機会ですからここで触れておきたいと思います。

前回のテーマを違う角度から検討すると、「『I Saw Her Standing There』をなぜデビュー・シングルに選ばなかったのか?」という疑問になります。この曲は、アップテンポなノリノリのロックで、初めてこれを聴いたイギリスのティーン・エイジャーたちは、サウンドを耳にした途端、イスから跳び上がって踊り狂ったに違いありません。そして、ビートルズがこの曲でデビューしていれば、間違いなくチャート1位を獲得していたでしょう。

 

 

(2)間に合わなかった

これは、元々ポールが制作した曲で、ジョンの助けを得て1962年9月頃に完成させたと言われています。ですから、「Love Me Do」のレコーディング及びリリースにギリギリで間に合っていた可能性があります。

ただ、「Love Me Do」がリリースされた10月5日の2日後の7日に録音されたと思われるリヴァプールのキャヴァーン・クラブでのリハーサルを録音した音源を聴いてみると、ハーモニカが入っていてテンポも少し遅いアレンジになっています。ロックンロールというより、リズム・アンド・ブルースという感じですね。

どうやら、ビートルズは、この曲はこの時点で「一応できあがってはいた」ものの、「レコーディングできるほどには仕上がっていない」と考えていたようです。アルバム「Please Please Me」のレコーディングの段階で完成したとみるべきでしょう。

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2 「How Do You Do It?」でなくて良かった

(1)オリジナルでデビューしたことが重要

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個人的な意見ですが、私は、ビートルズがミッチ・マレーの「How Do You Do It?」でデビューしなくてつくづく良かったと思っています。ビートルズが拒否したこの曲は、ジェリー&ザ・ペースメイカーズに渡され、彼らは、この曲で1963年にチャート1位を獲得しました。当然、ビートルズがリリースしても1位を獲得できたのは確実です。ペースメーカーズは、ビートルズのアレンジをほぼそのまま使っていましたから。

しかし、仮にそれで彼らが一時的な成功を収めたとしても、それと引き換えに「デビュー曲が他人の制作した曲だった」という事実は、歴史に永遠に刻まれてしまいます。その代償は、あまりにも大きかったでしょう。

(2)「Please Please Me」で見事にリベンジ

なんといってもビートルズのウリの一つは、「自分たちで作詞作曲して演奏する」というスタイルでした。それにこの曲は、ビートルズが頑張って彼らなりにアレンジしたものの、彼らにふさわしいとはいえません。彼らのルーツにあったのは、モータウンサウンドを中心としたブラック・ミュージックでしたから。

これでデビューしていたら、彼らは、チャート1位を獲得したとしても素直には喜べず、ずっと後悔したのではないかと思います。たとえ自分たちで制作した「Love Me Do」が1位を獲得できなかったとしても、それはそれで仕方ないと割り切って次の曲で頑張ろうと考えたでしょう。実際、彼らは、次作の「Please Please Me」で見事にリベンジしました。

それにEMIが全くプロモーションもしなかった無名の新人が、17位を取っただけでも大したものだと思います。「Love Me Do」に対する並々ならぬ自信を持っていたビートルズと、それを受け入れたマーティンの度量の大きさが彼らを成功に導いたといえます。

 

 

3 ハーモニカの謎

(1)マーティンの提案だったのか?

ジョージ・マーティンがビートルズと出会ったとき――Love Me Doの物語 - BBCニュース

さて、「Love Me Do」に話を戻します。この曲のキャッチーなところは、イントロと間奏に流れるハーモニカのブルージーサウンドです。ロックバンドとしては珍しくハーモニカを取り入れたこの楽曲について、そもそもこれを使うというアイデアを誰が考えたのかという疑問があります。

これについて、当初、ビートルズがレコーディングした時は、ハーモニカを使っていなかったという説があります。それは、1962年9月4日のレコーディングで「ビートルズのリハーサルを聴いた後、プロデューサーのジョージ・マーティンが『もっとブルースっぽくしたいな。誰かハーモニカを吹けないか?ジョンはどうだ?』と尋ねた。それで、急遽、ジョンがハーモニカを吹くことになった。」というものです。これは、ポールも自身のブログで同じことを唱えています。

(2)最初から取り入れていた

しかし、ジョンのハーモニカのパートが元からあったことは、アンソロジー1に収録されている6月6日にレコーディングしたヴァージョンから明らかです。ポールによるとマーティン自身の記憶も曖昧で、「私が『Love Me Do』を取り上げたのは、ハーモニカの音に惹かれたからだ。ソニー・テリーやブラウニー・マクギーのレコードを思い出したんだ。確かな魅力があると感じたんだ」と語っていたりするんです。

ソニー・テリーは、アメリカのブルース・フォークミュージシャンで、エネルギッシュなブルース・ハーモニカを得意としていました。ブラウニー・マギーもアメリカのフォーク・ブルースの歌手およびギタリストであり、テリーとコンビで1940年代から80年代まで活躍していました。

(3)情報が混乱しているが

どうやら、マーティン自身の記憶も混乱しているようですね。ビートルズがまだ無名の頃のレコーディングでしたから、それも仕方がなかったのかもしれません。前回でもご紹介したように、ジョンは、1963年のインタビューで「僕らは、イギリスのグループで初めてハーモニカを使ったレコードを作りたいと思っていたんだ」と答えていますから、この曲が最初からハーモニカを使っていたことは明らかです。ということは、マーティンの発想でハーモニカを取り入れたというのは、彼の勘違いかどうかは置いておくとしても間違いだということです。

(4)マーティンも悪くないと思っていた

ホーナー社製のハーモニカ(シグネチャー)

結論としてビートルズは、「Love Me Do」をブルースっぽい曲にしたかったため、最初からハーモニカを取り入れており、決してマーティンのアドヴァイスによって取り入れたのではないということです。そもそもマーティンは「How Do You Do It?」の方をデビュー・シングルとしてビートルズに勧めていたのです。

しかし、「Love Me Do」を聴いて気が変わったのは、そのブルースっぽい曲調に魅力を感じ、1位はムリだろうがこれはこれで悪くないと考えたからです。ところでジョンが使ったのは、ドイツのホーナー社製のテンホールズ・ハーモニカ(商品名:シグネチャー)だとされています。

 

 

4 ハーモニカのテクニック

(1)ハーモニカの名手デルバート・マクリントン

ブルース・チャンネルのポスター(ビートルズがオープニング・アクト)

ジョンは、叔父のジョージの勧めで幼い頃からハーモニカを演奏していました。前回の記事でもご紹介しましたが、ビートルズは、アメリカのシンガーソングライターであるブルース・チャンネルが、ハーモニカ奏者のデルバート・マクリントンをメンバーに加えてリリースした「Hey! Baby」を早い時期にレパートリーに加えていました。この曲は、アメリカのチャートで1962年3月10日の週から3週間にわたって1位をキープしていたのです。

同年6月21日にチャンネルが、リヴァプールのタワー・ボールルームに出演した時にビートルズがオープニング・アクトを務めました。このライヴをブッキングしたのは、ほかならぬプライアン・エプスタインです。その時に撮影されたと思われるのが下の写真です。その際、マクリントンがジョンにハーモニカの奏法についていくつかアドヴァイスを与えたと伝えられています。

1962年6月21日、左から3人目がデルバート・マクリントン、隣がブルース・チャンネル)

(2)ジョンにアドヴァイスを与えた

インタヴューに答えたマクリントン

レニー・アンスワースというジャーナリストが、マクリントンにインタヴューし、その内容がコンパス・マガジンのHPに2014年4月4日に掲載されました。

コンパス「ジョン・レノンにブルース・ハーモニカを教えたのですか?」

デルバート・マクリントン「そうだな、1962年に彼に少し教えたよ…これはずいぶん昔のことだ。当時は、みんな世界を変えようとしていた…ということを視野に入れなければならない。みんな若くて、夢と希望に満ちあふれていた。私は、ブルース・チャンネルと世界的なヒット曲『Hey! Baby』を携えてツアーをしていた。」

「イギリスで演奏したとき、ビートルズがオープニング・アクトとして数回出演した。ジョンは、私に何かヒントを与えてほしいと依頼してきたんだ。私は、数日間、彼と8時間余りを過ごした。」

「今となっては、それは石に刻み込まれたようなものだ。ロマンチックな話になった。私は、彼に教えたのではなくヒントを与えたんだ。どこで吸ってどこで吹くか、私がやっていることを彼に見せたんだよ。それ以上のことはしてない。ほんのちょっとのことだったけどね。」

クリントンは、「ほんのちょっと」とあっさり答えていますが、8時間も過ごしたんですから、かなり念入りにアドヴァイスしたのではないかと思います。その真偽については、次回で明らかにします。

(参照文献)ビートルズ・ミュージック・ヒストリー、ビートルズ・バイブル、ザ・ポール・マッカートニー・プロジェクト、コンパス・マガジン

(続く)

 

 

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