★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

チャート1位を獲得したビートルズと「ジャンピング・ビートルズ」を撮影したカメラマン(426)

ジャンピング・ビートルズ

キャヴァーンクラブで演奏するビートルズ

今回は、チャート1位を獲得したビートルズを撮影したマイケル・ウォードと、「ジャンピング・ビートルズ」を撮影したフィオナ・アダムスを紹介します。

1 マイケル・ウォードとは

屋外でお茶を飲むビートルズ

1963年11月、マイケル・ウォードは、1960年4月に創刊した若い女性向け雑誌であるハニー誌から依頼され、ビートルズという新進気鋭のグループを、彼らの故郷であるリヴァプール周辺で撮影しました。彼は、一日を彼らと過ごし、ビートルズのキャヴァーンクラブでのパフォーマンスを記録しました。この日撮影された写真は、1960年代の文化革命を象徴するグループとなったビートルズの貴重な記録として残されています。メジャーデビューしてからのキャヴァーン時代の彼らを撮影したカメラマンはあまりいません。

1964年、ウォードは、サンデー・タイムズ紙で多くの主要な記事を担当し、当時の著名人を撮影する実りある長いキャリアをスタートさせました。ウォードは、同紙で30年のキャリアを積み、ビジネスや政治、戦争、演劇やファッションの舞台裏などでフォト・エッセイを執筆しました。

ウォードは、こう語っています。「報道写真家として撮影に行くと、何枚かの写真を撮ってプリントするものを選び、あとは忘れてしまうことが多いんだが、今回もそうだった」彼は、ビートルズの写真を数多く撮影したのですが、その後、それを忘れてしまい、未公開になっていた貴重な写真が残されていたのです。

 

 

2 チャート1位を獲得した日に撮影

A Day In The Life, The Beatles - Photographs by Michael Ward

「マイケル・ウォードは、ビートルズが初めて1位を獲得した日、偶然にもビートルズを撮影していた。その朝、彼らは、憧れのポップアイドルとして目覚めたのだ。彼らはその夜、スターとして眠りについた」*1ビートルズが一夜にして無名のローカルバンドからポップスターとなった瞬間でした。

1963年2月19日、ビートルズは、「Please Please Me」がイギリスのシングルチャートで1位になったことを知りました。その日、ウォードは、雑誌の取材のために、ロンドンから車でバンドを撮影しにリヴァプールまでやってきました。

「彼らが誰なのか知らなかったし、聞いたこともなかった。私は、彼らに興味がなかったし、彼らも私に写真を撮られることに全く興味がなかったんだ」ウォードはフォトジャーナリストであって、ポピュラー音楽界には詳しくありませんでしたから。チャート1位を獲得したばかりのビートルズを知らなかったのも無理はありません。

ウォードの写真は、ビートルマニアの頂点に立つビートルズを見事に捉えていました。彼の観察眼は、リヴァプールの通りや波止場を散策するビートルズ、ブライアン・エプスタインのNEMSオフィス、そしてリハーサルやキャヴァーンでの最後のライヴの様子まで余すところなく記録しています。

 

 

3 「光がない」

キャヴァーンクラブで演奏するビートルズ

「キャヴァーンについて最初に感じたのは、『光がない。こんなところでどうやって写真を撮ればいいんだろう』ということだった。私は、1/15秒(のシャッタースピード)でカメラを構えた。キャヴァーンでフラッシュなしで撮った写真はあまりないと思う」

シャッタースピードとは、文字通りカメラのシャッターを切るスピードですが、一般的には1/125~1/40秒ですから、1/15秒というのはかなり遅い方です。。クラブが地下でとても薄暗かったので、こんな遅いスピードに設定したのでしょう。スタジオなら照明機材をたくさん用意できますが、ライヴですから、そんなわけにはいきません。

シャッタースピードを遅くすると明るく写る反面、しっかりカメラを固定していないと「手ブレ」が起きてしまいます。ビートルズは、演奏しながら動いていますから、当然ブレやすくなります。また、写真全体が白くなる「白トビ」も起こります。上の写真は、ちょっと白トビしています。後は、カメラの性能とウォードの腕次第ということになります。フラッシュもたかずによくあんな薄暗いところで撮影できたなと感心します。

「人々は、すべてを非常に複雑にしているようだが、すべては実にシンプルだ」これはウォードが残した言葉ですが、機材やテクニックなどにこだわらず、シンプルに撮影するのが彼のスタイルだということでしょう。ウォードは、屋外でもビートルズを撮影しましたが、その日のイギリスは、気象の歴史に残る記録的な寒さでした。ビートルズは、寒さに耐えながら撮影に応じていましたが、なおも続行したいというウォードの要求を拒否しました。

 

 

4 フィオナ・アダムスとは

(1)女性カメラマン

EP「Twist and Shout」のジャケット

フィオナ・アダムスは、イギリス出身の当時としてはまだ珍しかった女性カメラマンです。1963年4月25日、ビートルズは、アダムスによってロンドンで撮影されました。そのうちの1枚は「ジャンピング・ビートルズ」ショットとして知られ、1963年にリリースされたEP「Twist And Shout」のジャケットに彼女の名前がクレジットされずに採用されました。

アダムスは、「ボーイフレンド誌」の出版元である「ピクチャー・ストーリー」で派遣社員として働いていました。そんな彼女は、歌手のビリー・フューリーとアダム・フェイスを撮影することになったのですが、編集者からビートルズの撮影を依頼されました。当時、彼女もまたビートルズを知りませんでした。

(2)「ジャンピング・ビートルズ」を撮影

「あなたの知らないビートルズ」裏表紙

「彼らは、それまであまりロンドンに来ていなかったので、マネージャーも連れていなかったと思うし、何もしていなかったわ。とてもカジュアルな感じだった。」

「彼らが屋外に出ると、地面に大きな穴が開いていた。(第二次世界大戦の)爆弾の跡だったのかもしれない。私は、その穴に降りて、彼らにジャンプしてもらうことを思いついたの」

こんな発想ができるところが、一流のカメラマンである証なんでしょうね。それまでは、人物がカメラに向かってかっこよくポーズを決めるというのが一般的でした。しかし、彼女は、そんなありきたりの写真では面白くないと考えたのです。

キューバのヒールブーツを履いていたし、周りには瓦礫がたくさんあったので、あまり安全ではなかったかもしれないけど、彼らは見事にやってのけたの。まるで練習してきたかのように、一人一人違うスタイルでジャンプしていたわ」

ビートルズは、事前に何の打ち合わせもせず、カメラマンにジャンプしてくれと言われてその通りにしただけです。しかし、彼らは、瓦礫が散乱している足元の悪い土地で見事に全員が違うポーズでジャンプし、それが奇跡的に綺麗に並びました。カメラに今のような連写機能がない時代ですから、文字通り「奇跡の一枚」と言っていいでしょう。

余談ですが、私が書いた「あなたの知らないビートルズ」という本の裏表紙は、これをオマージュしたものです。

5 廃墟で撮影した

(1)爆撃の跡地

アダムスが撮影した他のショット

撮影した場所は、ロンドンのユーストン・ロード、ハムステッド・ロード、トッテナム・コート・ロードの交差点付近の荒廃した土地でした。

「これは、『ボーイフレンド』誌から受けた最初の仕事の一つから生まれたものよ。私は、前週(1963年4月14日)のビートルズが人気番組『Thank Your Lucky Stars』に出演したときに出会ったの。当時はまだ、ビートルズが誕生して間もない頃で、私が撮影を依頼すると、ビートルズは喜んで承知してくれたわ」

「彼らは、1963年4月18日、私の小さなスタジオにやってきた。私は、当時、舞台やスタジオで撮影する従来のハリウッドスタイルから脱却したいと強く思っていたの。そのために、ロンドンのバスのトップデッキに乗り込み、ロケ地を探し回った。ユーストンとガワー・ストリートの交差点にある廃墟が目にとまった。ここはまだ爆撃されたままで、再建が待たれているロンドンの一部だった。」どうやらこの頃のポートレート写真を撮影するカメラマンたちは、同じようなことを考えていたようです。

(2)アダムスの記憶違い?

「私の記憶では、4人のビートルズ、私、ボーイフレンド誌の記者、それにカメラ機材と、全員が1台のタクシーに乗り込めた。私は、瓦礫を下りて、空に向かってポッカリと穴の空いた爆撃された地下室に入り、上の壁に並んだビートルズと素晴らしいセッションをしたんだけど、彼らは、これ以上ないほど協力的だったわ。」

この1本のフィルムで撮影されたのが、ジョン・レノンとトニー・バーロウがビートルズのEPアルバム「ツイスト・アンド・シャウト」のジャケットに選んだ「ジャンピング・ビートルズ」ショットです。アダムスの記憶とは裏腹に、『ボーイフレンド』誌の記者であるモーリーン・オグレディの日記には、4月18日ではなく4月25日であったと記録されています。おそらく、日付についてはアダムスの記憶違いでしょう。

「彼らは、とても楽しく、私たちはいつも笑っていたわ。1966年に彼らと一緒にツアーに行き、ミュンヘンからハンブルクまで1日がかりの列車に乗ったのを覚えているけれど、ビートルマニアで、その頃には物事が難しくなっていたの」

デビューしたばかりの頃と違って、もはやビートルズは、世界的なスーパースターになっていました。

(参照文献)リヴァプール・ラヴ、ジェネシス、ザ・ガーディアン

 

 

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