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映画「Backbeat」の制作秘話(492)

映画「BACKBEAT

1 「Backbeat」とは

(1)アーリー・ビートルズとの出会い

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メジャーデビュー前のいわゆる「アーリー・ビートルズ」は、ファンの間でも人気が高く度々映画や舞台で上演されています。中でも1994年に公開された映画「BACKBEAT」は、若き日のビートルたちを生き生きと描いていて高く評価されています。今回は、この映画の監督を務めたイアン・ソフトリーの話を中心に映画制作の背景を探ってみます。以下は、ソフトリーが語る映画の制作秘話です。

「1980年代にグラナダで働いていたとき、放送局にあったビートルズのアーカイヴを調べていたら、アストリッド・ キルヒャースチュアート・サトクリフの写真を見つけた。彼らは、自信に満ちていて面白そうだったので、もっと彼らのことを知りたくなった」

ビートルズハンブルクのクラブで演奏しながら素晴らしいライヴ・バンドになったことは聞いていたが、グループの最初のベーシストであるスチュアートと、優れたドイツ人写真家であるアストリッドの背景については知らなかった。スチュアートは、ビートルズが有名になる前夜に亡くなった。彼は、芸術を追求し、アストリッドと一緒に暮らすためにグループを離れた。私は長編映画に興味があり、いくつかのアイデアを練っていた。そして、この物語こそ私が伝えたいものだと確信したのだ」

(2)スチュアートの家族の協力を得た

「スチュアートの母ミリーは、ケント州セブンオークスに住んでいた。電話帳で見つけた『M・サトクリフ』の5人目だったと思う。彼女とスチュアートの妹ポーリンは、スチュアートの作品をいくつか見せてくれたり、ハンブルクでワインバーを経営していたアストリッドと連絡を取るのを手伝ってくれたりした。何年もの間、ビートルズのゴシップを求めて彼女を探し出した人はたくさんいたと思うが、私が探しているのはそんなものではないと彼女に伝えた」

スチュアートの家族は、ウンザリするほど多くのゴシップを求める連中の取材を受けてきたんでしょうね。しかし、ソフトリーは、真剣に映画を制作したいと話しました。

「アストリッドは、クラウス・フォアマンを私たちのミーティングに招待してくれた。彼は、そもそも彼女をビートルズを見に誘った当時のボーイフレンドで、後にプラスティック・オノ・バンドに所属し、アルバム『Imagine』でベースを弾くことになる人物だ。私は、彼らと10日間過ごし、インタヴューを録音した。それが脚本のベースになった」

やはり、作品を制作するには丹念な取材が必要なんですね。

 

 

2 ピッタリだったキャスティング

(1)ジョン役のイアン・ハート

ジョン役のイアン・ハート

イアン・ハートは早い段階で参加し、スチュアートとアストリッドの候補と向き合ってジョン・レノンのセリフを読んでいた。映画の中で最も有名な2人の俳優をその役に起用するというアイデアが気に入った。スチュアート役のスティーヴン・ドーフとアストリッド役のシェリル・リーは、観客が最も馴染みのないキャラクターに映画スターのような質感を与えた。イアンはすでに『The Hours and Times』で少し年上のレノンを演じていたが、それは私が求めていたキャラクターではなかった」

「初期にジョンに会ったことがある人たちは、彼を怒りっぽく、不安定で、時に残酷だと表現していた。イアンに会って初めて、彼ならあのエネルギーを出せると分かった。多くの人がイアンはジョン・レノンにそっくりだと言うが、実際はそうではない。ただ、彼はジョンをとてもよく体現しただけだ」

実在した人、それも下積み時代とはいえビートルズともなれば、キャスティングがかなり大きな比重を持つことは容易に想像できます。

(2)サウンドトラックを演奏したアーティストたち

デイヴ・グロール

サウンドトラックには、スター性のあるバンドを組める人物が必要だった。プロデューサーのニック・パウエルは、トイレに座って音楽雑誌を読んでいたときに、この仕事にぴったりの名前を見つけた。彼は、叫びながら飛び出してきた。『ドン・ウォズを呼ばなくちゃ!』」

「ドンは、デイヴ・グロール、REM のマイク・ミルズ、サーストン・ムーア、ソウル・アサイラムのデイヴ・ピルナー、ヘンリー・ロリンズ、アフガン・ホイッグスのグレッグ・ダリというスーパーグループを組んだのだ。私はドンにこう言った。『ビートルズのヴァージョンを聴かせちゃダメだ。曲を思いっきり演奏させてくれ』」

普通ならオリジナルを聴かせるところですが、それではコピーバンドのようになってしまい、彼らの個性が失われると判断したのでしょう。ただ、こう言っては何ですが、一流のミュージシャンである彼らが、ビートルズのオリジナルを聴いたことがないなんてあり得ません。

 

 

3 様々な困難を切り抜けた

(1)撮影監督イアン・ウィルソンの機転

ビートルズが出演したスタークラブ

「イアン・ウィルソンは非常に経験豊富な撮影監督だった。バンドがハンブルクに到着し、レーパーバーン近くの通りを車で走るシーンでは、クラブのオーナーたちに1970年代と1980年代のネオンサインをすべて消して、1960年代のものをつけたままにするよう頼んだ。しかし、彼らはその逆のことをしてさらに金を要求した」

酷いですね、ただネオンサインを点灯させるだけで金を要求し、払わないと嫌がらせをするなんて。これでは撮影になりません。

「イアンは『俳優たちをバンに乗せて、15 分で出発できるように準備してくれ。私を信じてくれ』と言った。彼は、アシスタントカメラマンに各クラブを回らせて『70年代と80年代のライトをつけたままにして、60年代のライトは消してもらえませんか』と依頼させた。またしても彼らは、頼まれたことと逆のことをして、我々は、必要なショットを撮ることができた」

撮影監督が機転を利かせてクラブの嫌がらせの逆手を取り、必要なシーンを撮影したのです。やはり、一流のプロは違いますね。

(2)アストリッドは脚本の一部が気に入らなかった

「脚本の中には、アストリッドが特に気に入らない場面がいくつかあった。人々が現実ではしないような行動をとる場面だと思ったのだ。そこで私は、彼女にこう言った。『映画を見るまで待ってください。あなたに満足してもらいたいんです』」

「上映中、私は、少し不安になりながら彼女の隣に座った。彼女は、エンドロールが終わるまでじっと待っていた。スクリーンが暗転すると、目に涙を浮かべて私の方を向いて抱きしめてくれた」

ドラマですからどうしても事実とは違う脚色が入ります。アストリッドは、当初それに不快感を示しましたが、完成した作品を観て感激してくれたのです。脚本家の意図が伝わったんですね。

 

 

4 スチュアートの入念な役作り

(1)大変だったリヴァプール訛りのセリフ

スチュアート、アストリッド、ジョン

スチュアート・サトクリフ役のスティーヴン・ドーフは、こう語っています。

「『リヴァプール訛りをどうやって出そうか?』と考えていた。オーディションではたくさんのイギリス人俳優と競っていたが、ちょうど南アフリカに住むイギリス人の子どもを演じる映画を終えたばかりで、その映画にはジュリー・アダムスという素晴らしい方言コーチがいた。彼女からたくさんのことを教わり、この映画でも彼女と一緒に仕事をすることになり、今でも彼女のテクニックを使っている」

使い慣れない方言をセリフで使うのは大変です。特にリヴァプール訛りはキツいですからね。ドーフが最適なコーチに出会えたのは幸運でした。

(2)ワザと下手に演奏した

「役をオファーされた後、私は、リヴァプールで育ったイアン・ハートと数週間を過ごした。ビートルズが酒を飲んでいたパブや、ジョンとスチュの昔の美術学校を訪ねた。イアンは私の右腕であり、兄弟だった」

「彼は、私よりずっとギターが上手い。私は、ピアノを弾いて育ったが、ベースはスチュより上手だったかもしれない。時々、音程を外したり、リズムを外すことも忘れないようにしなければならなかった」

スチュアートは画家なので、あまりベースは上手いとは言えませんでした。しかし、ワザと下手に演奏しなければならないというのも俳優としては辛いところがありますね。

 

 

5 スチュアートの絵画を再現した

「撮影の2週間前にアストリッドに会った。彼女は、とても情緒的な反応を示し、私も同じ気持ちだった。私は、まだ10代でこれから演じる役を体現したいと思っていたし、彼女が私のやっていることを信じてくれることを確かめたかったのだ。撮影後も連絡を取り合っていた。彼女は、とても協力的でいつも私の映画を観てくれていた」

アストリッドは、ドーフに彼女が愛したスチュアートの面影を見つけたんでしょうね。

「私は、ポーリン・サトクリフとも親しくなり、彼女からスチュアートの原画を何枚か購入した。彼の作品は、映画のためにアーティストによって再現された。中には彼と同じ先生のもとで学んだアーティストもいたかもしれない。映画でアートを再現するのはちょっと安っぽく見えるかもしれないが、どんな動きをすればいいか教えてくれる人がいて、私はただ集中して、クローズアップで彼の痛みと情熱を伝えようとした」

「映画が公開されてから9年か10年後、私は、クラブでクラッシュ(イギリスのパンクバンド)のフロントマンであるジョー・ストラマーに会った。彼は、こう言った。『あんたは、バックビートのオヤジだね!』結局私たちは、茶色の紙袋に入ったビールを路上で飲みながら、夜明けまで一緒に過ごした。素晴らしい思い出だよ。彼は、私のことを『バックビートのオヤジ』と呼び続けたんだ」

一つの映画がこれだけ多くの人々を結び付けたと思うと感動を覚えます。やはり、芸術は素晴らしいですね。

(参照文献)ザ・ガーディアン

(続く)

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