1 視力は悪かったがメガネをかけなかった
(1)7歳から視力が悪かった
ジョン・レノンの容姿を思い浮かべるとき、おそらくほとんどの人はアイドル時代を除いて、丸いワイヤーフレームのメガネをかけた彼を思い浮かべるでしょう。しかし、この特徴的なスタイルが生まれたのは、ビートルズがツアーを中止し、ジョンが映画「How I Won the War」に主演し、その映画で彼が演じる役が今では象徴的な「おばあちゃんがかけるような」メガネをかけていた後の1966年後半になってからです。
彼は、子供の頃から近視だけではなく乱視も入っていて非常に視力が悪く、日常生活をするためにはメガネをかける必要がありました。1966年以降、ジョンは常にメガネをかけていました。1973 年、彼は「ワイヤーフレームのレノンメガネ」をかけるのをやめ、やや丸みを帯びていないスタイルに手を広げました。
(2)メガネをかけるのが嫌だった
母親と同じく、ジョンは7歳ごろから近視になりましたが、メガネをかけるのを嫌がりました。ジョンの幼なじみでジョンが最初に結成したアマチュアバンド「ザ・クオリーメン」のマネージャーだったナイジェル・ウォーリーは次のように回想しています。「ジョンの問題は、コウモリのように目が見えなかったことだ。メガネは持っていたが、決してかけようとしなかった。彼はそのことでとても見栄を張っていた」「彼はメガネをかけているところを見られたくないので、マウスオルガンと一緒に内ポケットに入れていた。何かを見るためにメガネをかけることはあっても、すぐに外してしまった」
1980年、ジョン自身は次のように説明しています。「私はロックミュージシャンの真似をする田舎の子供だった。しかし、たくましく見えることは人生の大きな部分を占めていた。私は子供時代ずっと肩をいからせ、メガネは弱弱しく見えるから外していた…」
2 ポールとシンシアの証言
(1)ポールの証言
ポールは、リヴァプールに住んでいた十代の頃のジョンのメガネの習慣についてこう語っています。「彼はかなり近視で、それがきっかけで面白いことが起きたんだ… たいてい、女の子が近くにいると彼はメガネを外していた。メガネを外すのがちょっと恥ずかしかったから、外出するときは外していたんだ… 」
「でも、彼は私の家に来たんだ。彼は1マイルくらい離れたところに住んでいたんだ… 私たちは何か書いていて、夜中ごろに終わった。それで… 彼はメガネを外して家に歩いて帰った。次の日、彼は『…ブッカー・アベニューの角にいる連中を知っているか?』と言った。私は「うん」と答えた。彼は『彼らはクレイジーだよ… 夜中に君と別れたとき、彼らは家のポーチでトランプをしていた』と言った。私は『冗談だろ』と言った。それで私は調べてみたんだ。私がそのあたりを見回してみたら… それはキリスト降誕の場面だったんだ」
いや、笑っちゃいますね。絵画か彫刻だと思いますけど、キリスト降誕の場面を家のポーチでトランプをしていた人々だと見間違えるなんて。
(2)シンシアの証言
ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンも、1958年にリヴァプール芸術大学で出会った18歳の時に、彼がメガネを嫌っていたことを認めています。「ある朝、レタリングのクラスの生徒たちが面白半分で互いの視力を試していた。ジョンと私は、同じように近視だということがわかった。私と同じように、ジョンも何も見えずメガネをかけるのが大嫌いだった。皮肉なことに、国民健康保険でもらえる小さな丸いレンズが大嫌いだった。その代わりに、彼は角縁の黒いメガネをかけていたが、これはかなり高価だった。私たちが不便だったことや、見えなかったときに犯した失敗について笑い合ったことが、私たちの最初の本当のつながりになった...」
イギリスは国民健康保険制度が充実していて、視力が悪いと国から小さな丸いレンズのメガネを無料で支給してもらえたのですが、ジョンもシンシアもそれが嫌いで使いませんでした。彼らが親しくなったきっかけが、お互いに視力が悪かったことだとは面白いですね。
3 リハーサルではメガネをかけていた
(1)バディ・ホリーをマネていると思われたくなかった?
ビートルマニア時代(1963-1966年)に撮られた写真には、ドレス・リハーサル(衣装を着用して行うリハーサル)中にジョンが透明または色付きのメガネをかけているのがよく見られますが、その後のライヴ・パフォーマンスや収録中はそれらが目立っていません。ビートルズの伝記作家であるマイケル・ブラウンは、彼らの最初のイギリスツアー中に次のように観察しました。「舞台裏では、ポールがセーター姿でピアノを弾いている。リンゴとジョージは化粧をし、ジョンは舞台を降りるといつもかけているメガネをこれ見よがしに外している。『イメージを壊しちゃいけない』と彼は言う」
「この時期にジョンが舞台でメガネをかけなかった理由の一つは、バディ・ホリー(アメリカで大人気だったポピュラー・ミュージシャンでビートルズも大好きだった)と比較されたり、真似をしていると非難されたりすることを避けるためだったのかもしれない。彼のトレードマークである角縁のメガネの見た目と、バンド名(ザ・クリケッツとザ・ビートルズ)の類似性の両方が原因だった」
ブラウンの推測では、ジョンがメガネをかけなかった原因の一つは、バディ・ホリーのマネをしていると思われたくなかったということです。確かに、黒縁のメガネをかけたジョンは、下の写真のバディ・ホリーによく似ています。
(2)コンタクトレンズを使用していた
1964年4月、ビートルズは、イギリスのテレビ番組「スター・パレード」に出演し、トゥイッケナム映画スタジオでインタヴューを受けました。あるファンから「ジョン、ステージではどうしてメガネをかけないの?」と質問されました。これに対してジョンは、「観客全員が見えたら緊張しちゃうから、ぼんやりしているほうがいいんだ」と答えました。これは、半分ジョークで半分本気だと思います。
しかし、1965年までに彼は、公の場でコンタクトレンズを着用していました。これはファンでも知らない人が多いと思います。記者会見でビートルズに会った17歳のシェリル・アンドリュースは次のように語っています。「大好きなビートルズの前に立ったとき、彼のコンタクトレンズが痛そうにしか見えなかった…『ジョン、コンタクト レンズは邪魔じゃないの?』」と私は聞いた。『いいや』と彼は答えた。その質問をする人はあまりいないと感じた。私はひるむことなく『私も使ってるよ!』と打ち明けた。彼はもっと身を乗り出し、探るように私の目を見つめた。『君の目は気になる?』と彼は真顔で言った。『いいえ』私は、口ごもりながら答えたけど二人とも笑った」
「『いい目だろ?』ジョンは真顔でそう言ったが、私は自分で話すことが信用できずただ頷くしかできなかった。『でも、君の目は僕の目よりきれいだよ』ジョンがそう言うと、不用意に出てほしくない涙が頬を伝った。『ねえ』ジョンは軽く笑いながら言った。『泣かないで。涙が流れ落ちるよ!』…」彼女にとっては一生の思い出ですね。
4 コンタクトレンズとの格闘
(1)コンタクトレンズを勧められた
ジョンは、1963年5月から6月にかけて行われたロイ・オービソン/ザ・ビートルズのイギリスツアー中に、ロイ・オービソンのギタリストであるボビー・ゴールズボロからコンタクトレンズを紹介されました。ちなみに、ロイ・オービソンの特徴的な度付きサングラスは、このツアーの頃に彼が色付きでないメガネを飛行機に置き忘れ、サングラスで間に合わせなければならなかったときに定着しました。
ジョンと元ビートルズのベーシスト、スチュアート・サトクリフも近視を隠すためにこの方法を採用していました。「ジョンと私(シンシア・レノン)と同様に、彼 (スチュアート) は近視で、ほとんど常に濃い度付きメガネをかけることで問題を回避していた」
(2)トラブルの連続だった
しかし、ジョンのコンタクトレンズへの取り組みは比較的短期間で終わり、レンズが外れるという事例が何度か報告されました。例えば、1964年11月放送のテレビ番組「Not Only…But Also」の劇中コメディーである「ブランコに乗って」の撮影中のことです。「…その間、ジョン・レノンが子供用ブランコに乗っているのがスローモーションで映し出され。ダドリー(ムーア)が彼を押していたが、あまりに強く押したためジョンのコンタクトレンズが落ちて草の中に消えてしまった。そのせいで、全員が背の高いブランコの間を必死に探している間、撮影を中断しなければならなかった。」「幸運にも、ジョンは、もう一組のコンタクト レンズを持っていた。最初の一組は見つからなかったからだ』」スタッフ全員でコンタクトレンズを探している姿の方がよほどコメディーです。
1965年のアメリカツアーの最終公演後の記者会見で、ビートルズは「今日の午後、実際の暴力行為で身体的に怖かったか?」と質問されました。ポールは「ステージに靴などが投げつけられると眼をケガするかもしれないから、身体的にちょっと怖くなってしまうよね。そうだろ?」と答えた。ジョンは「コンタクトレンズも失くしたくない」と付け加えました。コンタクトレンズを使っていることを話してたんですね。
このお話面白いのでもうちょっと続けます。
(参照文献)ウィリー・オンライン・ライブラリー
(続く)
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