★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「クワイエット・ビートル」を演じていたジョージ・ハリスン(526)

クワイエット・ビートルと呼ばれたジョージ

1 クワイエット・ビートル(静かなビートル)

George Harrison's piece of toast from 1962 sold

ジョージ・ハリスンは、ビートルズが人気を博す過程で示した公共の場での控えめな姿勢から「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」というニックネームで呼ばれるようになりました。物静かであまり喋らないというイメージからつけられた名前です。

メンバーの中でこのようなニックネームをつけられたのは、おそらく彼だけではないでしょうか? それだけその特徴が目立っていたのかもしれません。リンゴ・スターのリンゴも彼が指輪をたくさんつけていたので、リングが訛ってリンゴになったんですが、これは芸名としてすでに使っていたのでニックネームではありません。

ジョージがいつからそう呼ばれるようになったのかははっきりとしませんが、1964年にバンドが初めてアメリカでツアーを行った際、彼が扁桃腺炎を患い、医師からできるだけ話さないようにアドヴァイスされたことがきっかけとなったのかもしれません。その結果、インタヴューや公共の場でバンドメイトに比べて明らかに話すことが少ないように見え、ジャーナリストやファンは、彼をグループの中で物静かで控えめなメンバーと捉えるようになりました。

 

 

2 プライヴェートでは物静かではなかった

(1)メディアが貼ったレッテル

64年式ジャガーXKEに乗るジョージ

しかし、ジョージに貼られたこのレッテルは、多分に当時の状況とメディアがアイコンとして単純化したことによるもので、彼の本当の性格を正確に反映したものではありませんでした。メディアは些細な特徴に目を付け、レッテルを貼りたがります。単純化した方が色々と説明しなくても、読者や視聴者に情報が伝わりやすいですから。しかし、そう呼ばれることとは対照的に、彼は、友人や私的な場では特に静かな人物ではありませんでした。

(2)プライヴェートでは静かではなかった

ジョージに近い人物、例えば妻のオリビアや親しいミュージシャンであるトム・ペティによると、彼は状況に応じて機知に富み、率直で、時には対立的な態度を示すこともありました。ペティは、ジョージがトラベリング・ウィルバーリーズで一緒に演奏した際、「プライヴェートでは決して黙らなかった」と語り、彼の公共の場でのイメージとプライヴェートな場での性格がかけ離れていることを強調しました。

「静かなビートル」という呼び名は、ジョンとポールがビートルズのインタヴューや曲作りを主導し、ジョージがメディアの注目を浴びる機会が少なかったため、長く続きました。この状況に加え、彼の生まれつき内省的で思慮深い性格が、彼が他のメンバーよりも控えめな人物であるという印象を強調することになりました。特にインド文化に傾倒するようになってからは、風貌もまるで哲学者のようになっていました。

 

 

3 役を演じていた

(1)ビートルズ時代はプレッシャーの真っ只中だった

そして、ジョージも自らビートルズ時代は「静かなビートル」を演じていたと告白し、彼に貼られたレッテルが本当の彼を反映していなかったことを打ち明けました。ビートルズ解散後、彼は、ビートルズ時代の様々なプレッシャー、不確実性、そして生理的・心理的な負担について事あるごとに語りました。そんな苦しい彼の救いであり心の拠り所だったのは、精神世界に没頭することと新しい音楽を生み出すことであり、その多くは将来のために蓄えられていました。

1969年10月、BBCラジオ1の番組でデヴィッド・ウィッグと率直に語り合ったジョージは、ビートルズを離れる覚悟を表明しました。彼は約10か月前に、ストレスフルな「Let It Be」セッションを途中で抜け、数日後に疲れ果てながらも再びバンドに合流した際にも、この離脱を経験しました。ジョージは、今すぐではないものの、近い将来、ビートルズから脱退することを考えていたのです。

(2)ビートルズという役を演じていた

www.youtube.com

ウィッグとの議論の中で、ジョージはビートルズとしてのアイデンティティーから距離を置き、それを単なる演じるべき役柄と捉えていることを明確に表明しました。彼は、こう語っています。「僕は、ビートル・ジョージという役を演じているだけだ。そして、僕らは皆、自分の役を演じている。世界は舞台であり、人々は役者だ。シェイクスピアはそう言った。そして、彼は正しい」

彼が言ったことは、ある意味では誰にでも当てはまるかもしれません。人間は、職場などの公共の場とプライヴェートが違うことがよくあります。というか、むしろ使い分けてることの方が多いと言った方がいいでしょう。職場に限らず公共の場においては、一定の役を演じていると言ってもいいかもしれません。

 

 

4 後でまた別の役を期待している

(1)「ビートルズのジョージ」

The Rolling Stone Interview: George Harrison (Part 2)

ウィッグはさらに探りを入れ「後でまた別の役を期待しているか?」と尋ねました。ジョージは肯定的に答えました。「ああ、たくさんの役をね」ウィッグは、さらにその答えを明確にしようとして、「それが君が(今の自分の役を)受け入れた理由か?」と尋ねました。ジョージはこう答えました。「ああ、とにかくできることをやるだけだ。たとえ残りの人生をビートルとして過ごすとしても、それは一時的なものに過ぎない。それに、本当に、僕らがしたのはただ生まれて、何年も生きて、そしてこうなっただけなんだ。」

「僕は、ビートル・ジョージになるために生まれてきたんだ。でも、自分が誰で何者なのかなんてそんなに重要じゃない。だって、それは限られた期間だけの一時的なレッテルみたいなものなんだから」おそらく ジョージは、俳優が与えられた役を演じるように、彼は「ビートルズのジョージ」という役を演じていると考えていたのでしょう。

(2)良いことも悪いこともある

ウィッグとの会話の中で、ジョージは自分の仕事にまだ喜びを感じているかどうか尋ねられました。彼は他の仕事と比べてこう答えました。「どんな仕事でも同じだよ。浮き沈みがある。人生は常に浮き沈みがある。そして、僕らの場合、たぶん、大きく上がれば上がるほどそれと同じだけ下がる。相対的なんだ」

「だから、もし僕らが最悪な時間を過ごしたなら、それは本当に最悪なことだ(笑)。もし僕らが楽しい時間を過ごしたなら、それは本当に良いことかもしれない。でも、それは同じことだ、相対性の問題だから。そして、同じ法則が誰にでも当てはまるんだ」正直、私には彼のこの言葉は哲学的で理解しづらいです。彼は「人生には良いことも悪いこともある。しかし、良いか悪いかは相対的なもので一概に決められない」ということでしょうか。

 

 

5 「ビートル・ジョージ」としてのジョージ

(1)「ビートル・ジョージ」は真の姿ではない

アルバム「All Things Must Pass」のジャケット写真

しかし、「ビートル・ジョージ」というアイデンティティは、彼の真の姿ではありませんでした。ローリングストーン誌によると、ジョージはかつてこう主張していました。「ビートルズは私とは別に存在する。私は、本当のビートル・ジョージではない。ビートル・ジョージは、私がかつて時折着ていたスーツやシャツのようなもので、私の人生が終わるまで、人々はそのシャツを見て私と間違えるかもしれない」

彼は、謙虚にこう語りました。「ギターを少し弾いたり、曲をいくつか書いたり、映画をいくつか作ったりはするけど、それらは本当の私じゃない。本当の私は何か他のものだ」彼は、自己矛盾を起こしやすい謎めいた人物とよく見られ、その真の本質は謎のままです。

ローリングストーン誌はジョージの謎めいた性格について、「ハリスンは多くのことを成し遂げた。控えめな表現の達人だった」と述べ、「しかし、彼の真の性格は依然としてつかみどころがないと指摘したのは正しかった。彼は世界で最も有名な人物の一人だったが、スーパースターになることを嫌っていた」と記しました。クワイエット・ビートルであることは否定したジョージでしたが、それでも彼自身について多くのことを語らなかったため、彼の真の人物像はどうやら謎のままのようです。

(2)ビートルであったことは思い出さない

1975年、フライアーパークの自宅で

彼は信心深さと質素な喜びを説きながら、120室もある大邸宅に住み、超高級車を収集していました。勉学に励む外見の裏には、卓越したユーモアのセンスが隠されており、それが彼に史上最高のコメディー作品の数々を生み出しました。彼が書いた曲は、神の栄光と日常生活の些細な煩わしさの両方に焦点を当てていました。

1979年にローリングストーン誌との親密な会話の中で、ジョージはビートルズでの過去について明確な立場を表明し、ビートルズのメンバーであることをもう一度思い出したいとは「決して」思わないと述べました。「この人生でも他のどの人生でも、そんなことはなかった」と彼は断言しました。しかし、彼は「ビートル・ジョージ」としての在任期間に喜びと幸福がなかったわけではないことを認めました。

「つまり、大抵の場合は素晴らしかったが、本当に熱狂的になると止めるか死んでしまうかという問題になった」と彼は回想しました。「飛行機が炎上したり、撃墜しようとする人がいたり、行く先々で暴動が起きたりと何度も命を落としそうになった。おかげで本当に老け込んだよ」

「でも、本当に素晴らしい時間を過ごした。特にアップルの件でいろいろと苦労してきたからこそ、あの頃のことを懐かしく思い出す。みんな思う存分訴訟を起こし、今ではみんな仲良しさ」

(参照文献)ザ・ミラー・US

(続く)

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