★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「Penny Lane」は「In My Life」の歌詞に使われたかもしれなかった(534)

1 故郷を想う曲をジョンもポールも作りたかった

(1)ジョンが「In My Life」で「Penny Lane」を使おうとしていた

ペニー・レインを示す標識

ビートルズの曲の中でも「Penny Lane」は、ポールと最もよく結び付けられる作品の一つです。彼は、このビートルズの名曲の制作者であり、リードヴォーカルも務め、ピアノを中心としたパートから交響曲を思わせる壮大な街の情景へと変貌させる役割を担いました。ファンがビートルズの曲を主要な作曲家たちの間で区別する場合、この上なくメロディアスな「Penny Lane」は、まさにポール・ソングの中でも最もポールらしい曲の一つです。

しかし、意外なことに「Penny Lane」というタイトルあるいは歌詞のルーツは実はジョンの作詞にあったのです。彼が1965年に「In My Life」を作曲していたとき、彼は歌詞にリヴァプールをバスで巡る仮想の旅を設定し、その中で「Penny Lane」に立ち寄るシーンを盛り込むことを検討していましました。「ペニー・レーンは懐かしい場所/教会を登り時計台へ/修道院の円形劇場の中」という風に歌詞を書いていたのです。

しかし、ジョンは最終的に「In My Life」の歌詞に旅行ガイド的な要素ではなく、過去に自分がかかわった人々に思いをはせるという感情に焦点を当てることに決め、この部分を削除しました。もし、彼がこの言葉を歌詞に使っていたらポールはどうしたでしょう?良い曲ですからおそらくメロディーやコードはそのままで、テーマを別のリヴァプールの風景に変えたでしょうね。

(2)ペニー・レインは二人が少年時代を過ごした想い出の場所

ジョンやポールがよく乗っていたバス

しかし、それは、ペニー・レーンがジョンにとってもポールにとっても重要な道標ではなかったからではありません。それは単なる通りではなくリヴァプールの郊外の地区であり、二人のソングライターが幼少期から青年時代を過ごした場所でした。さらに重要なのは、ペニー・レーンがバスで移動する二人にとって交通の要衝だったため、十代の頃によく通っていたことです。

ジョンの実家があったニューカッスル・ロードはペニー・レインに一番近かったのです。ですから、彼がこの作品を作っていたとしてもおかしくはありませんでした。この曲のPVではジョンがペニー・レインを歩いている姿があります。ポールがリードヴォーカルを担当している曲なので、このシーンを見ると少し違和感を覚えますが、もしかしたら、ジョンが一番想い出深い場所に登場することを望んだのかもしれません。

「僕たちの形成期の多くは、あの辺りを歩き回って過ごしたんだ」とポールは「ザ・ビートルズ・アンソロジー」の中で語っています。「ペニー・レーンは、家からジョンの家やたくさんの友達の家へ行くのにバスを乗り換える場所だった。大きなバスターミナルで、みんなよく知っていたんだ」毎日のように二人はその周辺を歩いていたのです。

(3)故郷を歌ったエリック・バードンに影響を受けた

ジョンが「In My Life」で別の方向に進んだ時、ポールはその未踏のアイデアを心に留めていたのでしょう。彼は、マスコミに対し故郷をテーマにした曲を書きたいという目標を語り、アニマルズで故郷のニューカッスルをテーマにした曲を書いたエリック・バードンを称賛しました。それは「Gonna Send You Back To Walker」という曲ですが、これについては(483)で触れましたのでそちらをご覧ください。

1966年後半、ジョンが「Strawberry Fields Forever」を書き、ポールが「Penny Lane」に集中していた頃、彼らが共にノスタルジックな気分に浸っていたのは明らかです。ビートルズがコンサートを止め、ビートルマニアに追いかけられることなくゆったりと自分たちの時間を過ごせるようになったことで、ジョンとポールの二人は、ロンドンから遠く離れたリヴァプールで楽しく過ごした少年時代を振り返ってみたいという郷愁に駆られたのかもしれません。

 

 

2 「Strawberry Fields Forever」に触発された

(1)子供時代を追体験し拡張した

歌詞のモデルになった理髪店

ポールは、バンドがスタジオに戻り「Strawberry Fields Forever」のレコーディングを開始した直後の1966年12月、ロンドンの自宅でこの曲の作曲に着手しました。ポールはジョンの最新作に刺激を受けましたが、同時に「Penny Lane」の3番目のヴァースでパートナーの協力も得て作曲に取り組んだのです。

「ペニー・レーンを想像するグルーヴにすっかりハマったんだ」とジョンは1968年に語っています。「銀行もそこにあったし路面電車の車庫もあって、人々が待っていて検査官が立っていて消防車もそこにあった。まるで子供時代を追体験しているみたいだった」

それだけではありません。ポールとジョンはそれぞれの記憶を掘り起こし、さらにそれを拡張しました。街角に銀行があったため、銀行員が歌の登場人物になりました(「小さな子供たちが彼の背後で笑う」)。消防署は少し先にありましたが、消防署と架空の消防士も登場しました(「彼は消防車をきれいにしておくのが好きだ」)。理髪店は一種の美術展を開催している(「知っている人の頭の写真を展示している」)といったようなシュールな雰囲気の箇所もあります。

(2)部分的に現実であり部分的に虚構も交えている

こうして「Penny Lane」は、ある街の部分的に現実で部分的に虚構的な風景画となりました。事実と想像の融合が、この歌と記憶の繋がりを強めています。記憶のように、「Penny Lane」の情景は絶えず移り変わります。ある時は「青い郊外の空」、次の瞬間には「土砂降りの雨」になります。

夏のようでもあったかと思えば、11月の戦没者追悼記念日(看護師がポピーを売っている)になります。「Penny Lane」はあらゆるものを一度に映し出すまるで万華鏡のようなイメージが渦巻く色とりどりの場所として描かれています。虚実が上手く織り交ぜられていて、生き生きとした街並みや人の動きがリスナーの脳裏に鮮やかに映し出されます。

 

 

3 歌詞にはジョークも交えている

(1)フィンガー・パイとは

「『フィッシュ・アンド・フィンガー・パイ』っていうジョークを一つか二つ入れたんだ」とポールは1967年に認め、バス停で起こった騒動への性的な言及について触れました。「女性たちは、自分たち以外には絶対にそんなことは言わないだろう。ほとんどの人は耳に入らないだろうけど、『フィンガー・パイ』は、ちょっとエロいものが好きなリヴァプールの若者にとっては、ちょっとしたジョークなんだ」

多くの人は、この箇所でイギリスの郷土料理である「フィッシュアンドチップス」を思い浮かべると思いますが、そもそも「フィンガー・パイ」という料理はありません。これはスラングで女性器を意味します。当時、どのくらいのリスナーがこのイタズラに気づいたのかはわかりません。 

(2)メロディーは美しく素晴らしいコード進行

www.youtube.com

歌詞にそんなイタズラをしかけたポールでしたが、メロディーは美しく卑猥な要素はまったくありません。ドゥーワップ的な構造を踏襲しつつ、ヴァース(Bメジャー)をコーラス(Aメジャー)から一つキーをずらし、Bマイナー7やその他のジャズコードで繋げるという興味深い選択をしました。ジャズコードとは、ドミナント7thやマイナー7th、sus4、メジャー7thといった4和音を利用したコードです。それを踏まえて聴いてみると、確かにここの箇所はジャズっぽい洒落ていて軽やかな雰囲気ですね。

また、曲の途中でキーを変える転調はビートルズお得意のテクニックですが、この曲でもそれが効果的に使われています。メジャーからスタートしてマイナーに転調し、一瞬暗い雰囲気を漂わせながら、次にメジャーに転調してパッと明るい雰囲気に変えるという心憎い演出をしており、多くのミュージシャンから賞賛されています。この曲のコード進行は、歌詞と同じように予想通りの展開と予想外の展開の両方を見せています。

 

 

4 ポールが一人でレコーディングを開始した

「Penny Lane」をレコーディング中のビートルズ

「Penny Lane」のレコーディングは、その曲想から想像される以上に複雑でした。ビートルズは、プロデューサーのジョージ・マーティン、エンジニアのジェフ・エメリック、そしてフィル・マクドナルドと共に取り組んだ後に「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」と題されるアルバムのレコーディング中の3曲目に行いました。ただし、「Penny Lane」はこのアルバムには収録されていません。

ビートルズのレコーディング史において当時としては異例なやり方でしたが、ポールは1966年12月29日、ロンドンのEMIスタジオに一人で入り、この曲のレコーディングを開始しました。「Rubber Soul」「Revolver」といったアルバムでは、ビートルズの4人は基本的なリズムトラックをレコーディングし、そこにオーヴァーダビングした楽器演奏を加えることが一般的でした。 ビートルズのレコーディングは、メンバー全員がスタジオで一緒に行うという原則を最初に崩したのはポールだったのかもしれません。

もう少しこの曲についてのお話を続けます。

(参照文献)アルティメット・クラシック・ロック

(続く)

 

 

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