★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

数多くのクラシック演奏者が参加した「Penny Lane」のレコーディング(535)

MVで乗馬するビートルズ

1 なぜピアノパートからレコーディングを始めたのか

(1)ピアノパートだけでレコーディングを始めた

ビートルズは「Penny Lane」のレコーディングを開始しましたが、それまでは全員が揃ってから始めていたのに、ポールが単独で自分のピアノパートから始めました。この時、ポールの頭の中には他のメンバーとは違ったアイデアが浮かんでいたのです。

ビーチ・ボーイズがレコーディングしたアルバム「Pet Sounds」のクリーンなサウンドに触発され、彼は、ピアノパートだけでレコーディングを始めたかったのです。ここでもビーチ・ボーイズビートルズに与えた影響が窺えます。

(2)他のヴォーカルや楽器を加えた

「Penny Lane」をレコーディング中のビートルズ

「Penny Lane」の最初の4トラック・ヴァージョンには、ポールが演奏する3台のピアノに加え、シンバル、タンバリン、効果音、ハーモニウムが含まれていました。ポールが自分一人でピアノを3台も演奏するくらいでしたから、相当気合いが入っていたのでしょう。彼とジョンは翌日、ヴォーカルパートを追加(ポールがリード、ジョンがバック)し、その後、新年の休暇で作業を中断しました。

1967年に入ると、他のビートルズのメンバーがより大きな役割を担うようになりました。1月のセッションでは、ギター、ベース、パーカッション、そしてさらに多くのピアノが追加されました。

 

 

2 数多くのクラシックの演奏者が参加した

(1)楽器が多くて区別がつかない

リンゴは、歌詞の中で消防士が登場するたびにハンドベルを鳴らしていました。ジョージはリードギターと手拍子で参加していたにもかかわらず、編集室でカットされた可能性もありますが、どこかに隠れているかもしれません。「Penny Lane」に収録されている楽器の多さから耳で聴いて特定するのは難しいのですが、今ではコンピュータを使って一つ一つの楽器を分離できます。

(2)バウンスとリダクションを何度も繰り返した

「この曲では4トラックレコーディングが本当に限界だったので、何度もトラックをバウンスしたり、リダクションしたりしなければならなかった」とレコーディング・エンジニアのジェフ・エメリックは語っています。

バウンスとは、レコーディングした複数のトラックを一つまたは少数のトラックにまとめて録音し直す作業です。リダクションは、より限定的に編成を縮小する作業です。当時は4トラックが限界だったので、多くの音源をレコーディングして、一つのトラックにまとめる作業を何度も繰り返さなければなりませんでした。

(3)エメリックでも聴き分けられなかった

エメリックは続けます。「最終的には、たくさんのキーボードがブレンドされ、それぞれが独自のサウンドになった。完成した音源を聴くと、個々の楽器を聴き分けるのが難しいくらいブレンドされている。楽器の密度とバウンスの回数の多さから、オーヴァーダブの一部は完全に埋もれてしまった。それでも『Penny Lane』には素晴らしいサウンドがたくさん詰まっている」

エメリックはとても優れた聴覚の持ち主でしたが、その彼ですら個々の楽器を聴き分けられなかったというのですから、かなりサウンドが混じり合っているということですね。DTMが当たり前の現代では考えられない大変なアナログ作業ですが、苦労しただけあって素晴らしい作品に仕上がっています。

(4)埋もれて聴こえない楽器もある

管楽器演奏の一例

素晴らしいサウンドの中には、ビートルズ以外の人々によって生み出されたものも含まれています。ポールはマーティンと協力し、1月9日と12日に「Penny Lane」にクラシック音楽の演奏者を多数招聘しました。演奏された楽器は、フルート4本、トランペット4本、オーボエ2本、イングリッシュホルン2本、コントラバス1本でした。最終ミックスでは、これらの楽器の一部は目立っていますが、一部は完全に消えています。

コントラバスは数音しか聴こえません。イングリッシュホルンまたはコール・アングレーズとも呼ばれる楽器に至っては聴こえません。せっかくビートルズのレコーディングに参加したのに、自分のパートが聴こえなかった演奏者はさぞガッカリしたでしょう。

 

 

3 ポールは満足していなかった

(1)何かが足りない

ピッコロトランペットを演奏するデヴィッド・メイソン(中央)

これだけ多くのミュージシャンが参加したレコーディングでしたが、ポールはその音源に満足していませんでした。「まだ何かが足りない」と感じていたのです。その「何か」はすぐに見つかりました。彼は、1月11日にテレビのBBC2で見た演奏にすっかり夢中になっていたのです。それは小さなトランペットを吹く男性の姿でした。マーティンがポールに演奏しているのは、彼の友人のデイヴィッド・メイソンで、楽器はピッコロトランペットだと教えてくれました。

「足りないサウンドはこれだ」と確信したポールは、マーティンがメイソンの参加を手配してくれたことに大喜びしました。彼はスタジオに招待され、1月17日のレコーディングに参加しました。

(2)楽譜がなかった

www.youtube.com

「難しいセッションだった。理由は二つある。第一に、あの小さなトランペットは音程を合わせるのが非常に大変だった。なぜなら、それ自体が元々チューニングが難しい楽器であるうえに、実際にチューニングが合っていなかったからだ」とマーティンは自著「All You Need Is Ears」の中で書いています。ピッコロトランペットはとても演奏が難しい楽器だと言われています。

「第二に、楽譜は何も用意していなかった。ただ、小さな管楽器の挿入音が欲しいと思っていただけだった… サウンドが欲しいセクションに差し掛かるたびに、ポールは欲しい音符を考え出し、私はそれをデヴィッドのために書き留めた。その結果は他に類を見ないものとなり、ロック音楽ではそれまでになかったもので『Penny Lane』に非常に独特な個性を与えたのだ」

ポールがサウンドのイメージをマーティンに言葉で伝え、それをマーティンが楽譜に書き下ろし、それを初めて見たメイソンがその場で演奏したのです。一流のアーティストたちの見事なチームワークです。

 

 

4 ブライアンの苛立ち

(1)シングルが必要だった

27 August 1967: Brian Epstein dies | The Beatles Bible

メイソンのハイピッチなソロがそのまま残されたことで、ポールはその結果に大喜びしました。プロデューサーのマーティンも同様で「Penny Lane」(そして「Strawberry Fields Forever」)はビートルズがスタジオで作った曲の中で最高のものだと考えていました。

マネージャーのブライアン・エプスタインは、ビートルズが最後のコンサートと最新シングルがリリースされた8月以来、彼らの活動が停滞していることに苛立ちを募らせていました。コンサートを止めたうえに新曲をリリースしないとなると、次第にファンが離れていってしまいます。当時はアーティストが活動を休止すると宣言することは、体調不良などでもない限り一般的ではありませんでした。

(2)シングルをリリースする必要があった

少なくとも数か月はかかると見込まれた次のアルバムのために新曲をすべて温存する代わりに、ブライアンはシングルをリリースすることを望んだのです。マーティンの提案とビートルズの同意を得て、パーロフォンとキャピトルは1967年2月に「Penny Lane」と「Strawberry Fields Forever」を両A面シングルとしてリリースしました。

「Strawberry Fields Forever」はより大胆なスタジオ作品と評されるようになりましたが、当時ラジオでより人気があったのは「Penny Lane」で、ビートルズアメリカで再び1位を獲得しました。ただし、イギリスではエンゲルベルト・フンパーディンクに次ぐ2位にとどまり、連続チャート1位の記録は途絶えました。もし「Sgt. Pepper’s」に収録されていたりB面が違う曲になっていたら、あるいは1位を獲得していたかもしれません。

 

 

5 なぜアルバムに収録されなかったのか?

(1)チャート1位を逃した

Beatles Producer George Martin Became a Rock and Roll Legend While  Remaining a Tie-Wearing Gentleman | Vanity Fair

「『Strawberry Fields Foreve』と『Penny Lane』がニューアルバムに収録されなかった唯一の理由は、シングルを出すならアルバムには収録すべきではないという考えがあったからだ」とマーティンは『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の中で語っています。「あれは突飛なアイデアだったし、残念ながら私にも責任の一端がある。シングルとしては大ヒットだったが、同時にとんでもない間違いでもあった」

マーティンは両A面にしたことで人気が割れてしまい、チャート1位を逃したことをとても後悔しましたが、ビートルズは、シングルをリリースするたびに1位を獲得しなければならないというプレッシャーから解放されてむしろホッとしました。

(2)標識を盗まれないようにした

リヴァプール市は、本物のペニー・レーンに関する悲惨な過ちから教訓を得ました。何十年にもわたって道路標識が何度も盗まれた後、どうやったら盗難を防げるか頭を悩ませた市はついに窃盗を企む観光客による盗難を阻止できる標識を開発しました。標識を壁そのものに表示したのです。このレーン、かつてのバス停、そしてその周辺地域は、今もなお、ペニー・レーンの魅力を存分に味わおうと訪れる人々を惹きつけています。

(参照文献)アルティメット・クラシック・ロック

(続く)

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