★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

キース・ムーンはビートルズのドラマーになりたいと申し出たことがある(537)

破天荒なドラマーだったキース・ムーン

1 破天荒な「リード・ドラマー」

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キース・ムーンといえば伝説のバンド「ザ・フー」の ドラマーであり、ローリングストーン誌の読者投票で史上2番目に偉大なドラマーに選ばれた「レジェンド」です。ダブルバスドラムを多用したことで有名で、ステージ上でのワイルドな振る舞いと技巧的な演奏スタイルで名を馳せ、ロックミュージックの狂騒的な混沌を体現する存在となりました。

自信に満ち溢れたムーンのドラムは、リズムセクションの重要なパートにリード楽器に匹敵する圧倒的なパワーを吹き込みました。まさに「リード・ドラム」です。狂気じみて荒々しく、そして危険なまでに独創的なムーンは、ドラマー界におけるジミ・ヘンドリックスのような異色の存在であり、真のパイオニアでした。

ステージでドラム・キットを破壊するなどのド派手なパフォーマンスで人気を博し、その破天荒振りは私生活でも変わらずトラブルを起こしていました。優等生のビートルズとは真逆に位置しているように思えるのですが、実はムーンがビートルズのドラマーとして加わりたいとポール・マッカートニーに申し出たというエピソードがあります。今回はこの件についてお話しします。

 

 

2 ビートルズのドラマーになりたかった

(1)ポールは断った

ムーンの申し出を断ったポール

他のバンドが様々な事情からメンバーを入れ替えるのが普通だった時代に、ビートルズは、メジャーデビュー後はメンバーの入れ替えを一切行わなかった数少ないバンドの一つでした。それだけどのメンバーもバンドにとってかけがえのない存在だったのです。

マーク・ブレイクの伝記「Pretend You're in a War」の中で、1966年、ザ・フーの伝記作家は、ムーンがロンドン中心部の薄暗いクラブ、スコッチ・オブ・セント・ジェームスでポールに近づいたと記しています。ポールのブースに着いたムーンは、ビートルズに加入させてくれないかと持ちかけました。

ポールは、最初、ムーンがテーブルに一緒に座らせてくれないかと言っていると思ったのです。「いや、バンドに入ってもいいかな?」とムーンは繰り返しました。予想もしない申し出に不意を突かれたポールは、冷淡にバンドは新しいドラマーを探しているわけではないと断ったうえでリンゴに相談すべきだとかわしました。

(2)なぜビートルズのドラマーになれると思ったのか?

1966年といえば、まだビートルズがライヴ・パフォーマンスを続けており、解散の兆しは全くありませんでした。なぜアイドルとして絶頂期にあったビートルズに声をかけたのか全く理解できません。確かに、1968年になると彼らの間に不穏な空気が漂うようにはなりましたが、まだこの時期には全くそんな兆しはありませんでした。それなのにムーンがリンゴを押しのけてドラマーになれたわけがありません。

ムーンがどうしてもバンドを辞めたければ、脱退して自分で新しいバンドを結成するか、あるいはドラマーを求めているバンドに参加すればよかったのです。5月、彼はジミー・ペイジジェフ・ベックジョン・ポール・ジョーンズ、ニッキー・ホプキンスと共にスタジオに入り、「ベックのボレロ」をレコーディングしました。レコーディングは大成功し、メンバーはバンド結成を検討し、ムーンはバンド名を「リード・ツェッペリン」にすることを提案しましたが結成には至りませんでした。

 

 

3 ビートルズのドラマーになりたかった理由

(1)ビートルズに憧れていた

「All You Need Is Love」のセッションに参加したムーン

ムーンがビートルズのドラマーとして加入したいと思った理由は、嫉妬ではなくむしろ憧れからでした。彼はビートルズの熱心なファンであり、友人であり、時にはコラボレーションもしました。彼らの曲「All You Need Is Love」ではバックコーラスも担当していました。ただし、ロックミュージックの象徴であり不可欠な存在であるムーンでしたが、仮にビートルズに加わったとしても、決して馴染めなかったでしょう。両者のプレイスタイルはあまりにも違いすぎますから。

(2)ザ・フーでの居心地が悪かった

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ザ・フーの「My Generation」は、若者の溌剌とした不安を永遠に定義づける曲であり、おそらくムーンほどこの概念を完璧に体現している人物はいないでしょう。しかし、このドラマーは、ピート・タウンゼントロジャー・ダルトリージョン・エントウィッスルといった、波乱に満ちたメンバーが所属するバンドに加入していることに必ずしも熱心だったわけではありません。彼にとってバンドは居心地の悪い存在で、ビートルズと一緒ならもっと穏やかな人生を送れたかもしれないと考えていました。

(3)ザ・フーの危機的状況

1965年になるとザ・フー内部の緊張はより高まりました。薬物使用に否定的なダルトリーとそれを肯定する他のメンバーとの間で対立が深まっていたのです。

そして、ドラッグでハイになったムーンに激怒し、ダルトリーがムーンの薬物をトイレに流したことで、ムーンとダルトリーが殴り合いを起こし、ダルトリーはムーンを殴って気絶させてしまいました。この一件でダルトリーはメンバーから一時追い出されましたが、謝罪することによって復帰しました。それにしても、60年代のバンドってやることが荒っぽいですね。

 

 

4 どこへ行っても断わられた

(1)アニマルズにも声をかけた

ムーンが声をかけたアニマルズ

ザ・フーがロックの頂点から遠く離れているように見えたため、ムーンは自身の才能を発揮できる場所として、ロンドンを拠点とする他のバンドを探し始めました。そしてアニマルズに声をかけたのですが、当然、アニマルズも正規のドラマーがいたので断りました。

そこで、ムーンはポールにビートルズが彼と彼の独特なスタイルを受け入れる余地があるかどうか尋ねたのです。しかし、ムーンが永久に移籍を望んでいたかどうかは議論の余地があります。正式なメンバーではなく、セッション・ドラマーでもいいと思っていたのかもしれません。

(2)プレイスタイルが違いすぎる

ビートルズはキャリア後半に苦戦した時期もありましたが、他の多くのグループとは異なり、メンバーを交代させることは有りませんでした。1968年と1969年にリンゴとジョージがバンドを脱退した時でさえ、ビートルズは再びファブ・フォーとして復活し、チャートを席巻し、ロック音楽評論家のコラムを賑わせる準備を整えていました。表面上軋轢があっても、彼らは深いところで結びついていたのです。

アニマルズとビートルズに拒絶された後も、ムーンはバンドを離れませんでした。バンドの人気が高まるにつれ「Baba O’Riley」「Won’t Get Fooled Again」といったザ・フーの名曲の数々に貢献しました。ムーンは1978年9月に突然亡くなるまで、ドラマーとしてザ・フーに在籍しました。

 

 

5 断られても仲は良かった

(1)リンゴとは仲が良かった

ムーンがリンゴに、ビートルズへの加入を申し出た夜のことを話したかどうかは定かではありませんが、ムーンが早すぎる死を迎えるまで、彼とリンゴは素晴らしい友情を築いていました。実際、二人は非常に親しく、リンゴの息子であるザック・スターキーに最初のドラムキットを贈ったのはムーンでした。スターキーはその後もザ・フーのドラムで何度も演奏しています。彼が最後に演奏したのは2019年のツアーでした。

(2)リンゴとは言葉は要らなかった

リンゴとムーン

ビートルズへの加入を断られたにもかかわらず、ムーンはバンドと素晴らしい友情を保っていました。彼とリンゴは、ドラマーとして、そしてバンドが生み出すサウンドの屋台骨として、他に類を見ない絆で結ばれていました。プレイスタイルは全く異なりますが、ムーンはリンゴをとても尊敬していたのです。

リンゴの元婚約者ナンシー・アンドリュースは、彼らの友情について次のように語っています。「彼とリンゴのやり取りは信じられないほど親密だった。長年の経験から、ドラマーは速記言語を使っていて、考えを伝えるのに文を完成させる必要がないことに気づいた。リンゴとキースは互いに2、3語話すだけで、すぐに理解し合えたのだ」ドラマー同士は、特別に何か言わなくても通じ合ったんでしょうね。彼らの友情はムーンが亡くなるまで続きました。

6 現実にはあり得なかった

ムーンの申し出を拒否したポールの決断は多くの理由から正しかったといえます。まず、ムーンがリンゴの後任になることをポールに相談してから4年後、ビートルズは後戻りできない地点に達し、別々の道を歩むことになりました。

もう一つの理由は、ザ・フービートルズサウンドに関して共通点がほとんどないことです。ザ・フーを他の多くのロックバンドと一線を画すムーンの独特なサウンドは、何百万人ものファンを魅了しクラシックロックを定義しましたが、リンゴを最高のビートルズメンバーの一人にしたビートルズのメロディアスなサウンドとは異なっていました。二つのバンドはいずれも偉大なアーティストですが、音楽に対するアプローチの違いから融合することはあり得ません。ムーンがビートルズのドラマーになることは蜃気楼のようなものだったのです。彼ほどのドラマーがそのことに気づかなかったのは不思議です。

(参照文献)ファー・アウト、コーライダー、チートシート

(続く)

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