★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「Sgt. Pepper's」はジャケットアートのあり方にも革命をもたらした(541)

ジャケットにも革命をもたらした「Sgt. Pepper」

1 歴史に残る革新的なジャケットアート

あるアルバムが文化に深く刻み込まれ、その登場後には何もかもが以前とは違って感じられるようになるのはあり得ることです。しかし、その同じアルバムが史上最も象徴的なジャケットを誇ることになる確率など、いったいどれほどあるでしょうか?楽曲はまだしも、ジャケットアートまで後世に残るのは極めて珍しいことであり、誰もが思い浮かぶものは少ないと思います。

ビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」も、ポップ・アーティストのピーター・ブレイクとジャン・ハワースによる表紙に描かれた個性豊かな面々、オランダのデザインチーム「ザ・フール」によるスリーブデザイン、マイケル・クーパーの写真、そしてアルバムに付属する貴重な切り抜き写真の数々など、実に様々なヴィジュアルが渦巻いています。

美術商のロバート・フレイザーがアートディレクターとして指揮を執り、ロック史に残る伝説的なジャケットアートの撮影が1967年3月30日に行われました。このジャケットの制作には莫大な費用がかかりましたが、その甲斐があってビートルズの神話的地位を永遠に揺るぎないものにしました。

 

 

2 ポールがカヴァーのコンセプトを主導した

(1)ポールがイメージをデザインした

この時期、ポールはビートルズの仕事に関してますます自己主張するようになり、この傾向はその後も続くことになりました。彼はカヴァーのコンセプトをインクで描き、ブレイクと妻のハワースに見せました。「市長に紹介される様子をたくさん描いた」とポールはバリー・マイルズの著書「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」で説明しています。

「たくさんの高官や友人たちが周りにいて、大きな北国の花時計の前に立つ私たちの姿で、ブラスバンドのような姿をイメージした。それがピーター・ブレイクのカヴァーへと発展していった」

(2)スウェーデンのバンドからインスピレーションを得た?

メルクブレケットがビートルズをパロディにしたEPのジャケット

しかし、ポールは、スウェーデンのバンドからインスピレーションを得た可能性もあると一部で言われています。「Sgt. Pepper's」の3年前にスウェーデンストックホルム経済大学の学生ブラスバンドである「メルクブレケット」がリリースしたビートルズのトリビュート/パロディEPには、ペパーズの最終版ジャケットと驚くほど似たアートワークが使用されていました。

スウェーデンレコード店オーナーであるヨルゲン・ヨハンソンは、メルクブレケットが1964年に発表したEPを見つけた際にこの説を思いつきました。このEPには、ビートルズの曲4曲のパロディが収録されています。アルバム「Sgt. Pepper's」と同様に、カヴァー写真にはバンドのメンバーがベースドラムを囲み、ビートルズの写真と同じような楽器を手にしている様子が描かれています。1963年の春、メルクブレケットはオスカー劇場から大量のオペラ用のドルマンと呼ばれる衣装を入手しました。

ポールはこの初期のイメージについて公式には語っていませんが、メルクブレケットは1964年にストックホルムに到着したビートルズを歓待しました。スウェーデンのレコードディーラー、ヨルゲン・ヨハンソンによると、バンドメンバーのロジャー・ウォリスは、ツアー中にポールにこのEPのコピーを渡したと主張しています。

下のニュース映像では、制服を着たウォリスがアーランダ空港で飛行機から降りるポールに近づきます。その後、メルクブレケットが「抱きしめたい」を演奏し始めると、ポールもバンドにハンドサインを送るような仕草を見せています。

皆さんはどう思いますか? 確かに似ていると言われればそんな気もしますが、ブラスバンドが集合写真を撮ればだいたいこんな感じになるので、ちょっと無理がある気がします。それにポールが3年前にもらったレコードのことを覚えていたとは考えにくいですし。

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(3)ジャケットはほぼ抽象画のようだった

ポールの友人ジョン・ダンバーは、文字のない抽象的なキャンバスこそが、あの熱狂的な時代に最も効果的だったと熱く語りました。ビートルズもまた、エドワード朝時代の居間に、古いトロフィーや写真などの雑多な品々が飾られた空間に身を置く予定でした。

ブレイクの魅力は、彼の芸術がより現代的な意味で既成概念にとらわれないものであり、同時に過去の要素も持ち合わせていたことでした。ビートルズはこのジャケットを80代のお年寄りだけでなく、ティーンエイジャーにも同じように受け入れられるものにしたいと考えていました。ブレイクはジーン・ヴィンセントとエルヴィスのファンでもあり、ポールにとって「真の深い共通点」でした。

 

 

3 ジャケットに誰を載せるか

(1)ジョンが強く掲載を主張した人物

メンバーそれぞれが、アルバムのジャケットに描かれている壮大な祝祭に一緒に参加してほしい歴史上の男女のリストを作るという課題を与えられました。コラージュには合計57枚の写真が使われています。ポールの言葉を借りれば「大胆で派手」な存在になりたいと考えたジョンは、ヒトラーとキリスト、そしてガンジーの掲載を強く望みました。EMIの社長であるジョセフ・ロックウッド卿は、インドでアルバムが売れないのではないかと懸念し、ガンジーの掲載を拒否しました。

(2)参加した著名人の様々な反応

女優のメイ・ウエスト

女優のメイ・ウエストは、ビートルズの依頼に「ロンリー・ハーツ・クラブのバンドで私が何をするっていうの?」と尋ねました。天才子役シャーリー・テンプルは、参加を決める前にレコードを聴きたいと申し出ました。

ブレイクはこのコラージュを「劇場のデザイン」だと考え、架空のバンドが公園でコンサートを終え、観客と記念撮影をしているというイメージを描いていました。バワリー・ボーイズの映画に出演したレオ・ゴーシーは、自身の肖像を掲載することに400ドルを要求したため候補から外されました。何とももったいないことをしましたね。

 

 

4 あらゆるものが革新的だった

(1)ジャケットに歌詞が印刷されたほぼ最初のレコード

ジャケットに歌詞が印刷された

このアルバムは、パッケージに歌詞が印刷されたほぼ最初のレコードであり、以降、歌詞をレコードに添付することが世界標準となりました。歌詞は裏表紙にも印刷されており、間もなく沸き起こる「ポール死亡説」騒動の火付け役ともなりました。アルバムの裏面では、ポールがカメラに背を向け、頭の横にはジョージの「Within You Without You」の歌詞「without you」が書かれています。

表紙のギターのフラワーアレンジメントや、ポールが身に着けているOPDバッジもそうです。ライフ誌は、このバッジを「Dead on arrival(到着時死亡)」の英国版だと主張しました。同記事の中で、ポールは「馬鹿げている。OPDバッジはカナダで手に入れたんだ。警官のバッジだった」と語っています。

(2)3月30日の写真撮影にはビートルズの半分がハイな状態で現れた

バンドはその夜レコーディングを控えており、午後遅くにマイケル・クーパーのロンドン写真スタジオに到着しました。ブレイクとハワースによるコラージュは、前の週に制作されたものでした。「アルバムのジャケットをよく見ると、ハイになっているヤツが2人、そうじゃない人が2人いることがわかる」とジョンが主張し、リンゴも「ジャケットを見て、自分で判断しろ! 赤い目の写真がたくさんあるぞ!」と語っています。

トリップ感をさらに高めたのは、フールの見開きのデザインでした。フールはレコードのジャケットを制作し、ほぼすべてのレコードリリースで使用されていた標準的な白い紙ジャケットに取って代わりました。

(3)制作費がかつてないほど高額になった

「当初はプレゼントを入れた封筒を挟むつもりだったんだけど、製作が難しくなってしまったんだ」とポールは回想します。「そもそも制作自体が大変だったし、レコード会社もいつもの2ペンスのボール紙カバーより少し高くつくので、我慢しなければならなかったんだ」

ほとんどのアルバムカバーの制作費は50ポンド程度でしたが、このカバーは3,000ポンド以上もかかりました。現在なら5万ポンド(約1千万円)以上に相当します。その多くは肖像権使用料を支払ったことによるもので、ロックのLPカヴァーでは前例のないものでした。

(4)アルバムには切り抜きが付いていた

「ちょっとした配布物やバッジがあったんだ」とポールは語りました。紙製の口ひげ、ジョンの家にあった銅像の絵葉書、紙製の軍曹のストライプなどだ。このアルバムはバンドとリスナーとの相互作用的な体験になるはずでした。

バンドのヒッピー風のヘアカットと髭は、彼らのミリタリールックと調和し、過去、現在、そして未来をつなぐ橋となることを意図していました。「『Pepper』全体を、何年も表紙を眺めていられるようなものにしたかったんだ」とポールは語っています。

 

 

5 当初、エルヴィスは表紙に登場する予定だった

ボブ・ディランローリング・ストーンズをフィーチャーした表紙に、ビートルズのヒーローであるエルヴィス・プレスリーがいないことに多くの人々が違和感を覚えるでしょう。ポールは「エルヴィスはあまりにも重要で、他の誰よりも抜きん出ていたため、恐れ多くて掲載できなかった」と述べています。

ビートルズの憧れであった彼がいないのはやはり寂しいですね。エルヴィスがそのことをどう思っていたかはわかりません。

(参照文献)ローリングストーン、デイリービートル

(続く)

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