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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「The Long And Winding Road」はトム・ジョーンズに提供されるはずの楽曲だった(545)

Lirik The Beatles – Jalan Panjang dan Berliku | Lirik Genius

1 他のアーティストへ提供する予定だった

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The Long And Winding Road」は、ビートルズが最後にチャート一位を獲得したシングルです。当初、作曲者のポールはこの名曲をビートルズではなく、ウェールズ出身の偉大な歌手であるトム・ジョーンズに提供するつもりでした。ジョーンズは、1960年代半ばから1970年代半ばまでダイナミックな歌唱法で絶大な人気を得ており、数々のヒット曲を世に送り出していました。

 

 

2 分裂したバンドを象徴する曲だった

(1)感傷的な曲

スコットランドの農場で過ごすポールと家族

ポールは、仕事においてはプロフェッショナルでしたが、彼の作品には依然として感傷的な側面が色濃く残っており、その柔らかな側面は音楽以外にも及んでいました。1966年、ポールはスコットランドに人里離れた農家を購入し、起伏に富んだ丘陵と曲がりくねった道に囲まれた隠れ家に身を潜めました。

そこで見つけた平穏は、ビートルズが解散への道を歩み始めた1969年に彼が書いた曲「The Long and Winding Road」の核心となりました。これは、バンドが混乱して分裂していたことを象徴した曲であり、ポールがメロディーに慰めを求めていた瞬間でもありした。

(2)レイ・チャールズを想像しながら作曲した

多くのソングライターと同様に、ポールはしばしば他のアーティストの声を念頭に置いて作曲していました。この時、彼はレイ・チャールズのソウルフルな音色を思い描いていました。

スコットランドでピアノの前に座り弾き始めたら、この曲が思い浮かんだんだ。レイ・チャールズのような人が歌う姿を想像しながらね」と彼は後に回想しています。しかし、この曲がビートルズの名曲となる前に、彼は別の人物を想定していました。それはウェールズ出身の偉大なアーティストであるトム・ジョーンズです。

 

 

3 トム・ジョーンズに提供するつもりだった

(1)ポールはジョーンズに提供した

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ポールはジョーンズに、次のシングルとしてリリースすることを条件にこの曲を提供しました。しかしタイミングが悪く、この曲はリリースされませんでした。ジョーンズのレーベルは別のシングル「Without Love」をリリースする計画を持っており、そちらを選択しました。こうして「The Long and Winding Road」はポールの手元に残り、最終的にビートルズの最後のアルバムとなった「Let It Be」に収録されました。

The Long and Winding Road」はポールの作品の中でも心を揺さぶられ、感情を揺さぶるバラードの一つであり、曲の構成だけでも「Let It Be」のハイライトの一つと言えるでしょう。少なくとも、ディレクターのフィル・スペクターが介入して甘ったるい過剰なオーケストレーションで覆い尽くしていなければ、そうなっていたはずです。

数年後、ポールはこ​​の哀愁を帯びた曲調についてこう振り返っています。「これはかなり悲しい曲だ。悲しい曲を書くのは好きだし、自分の心の奥底にある感情を認め、それを曲に込めることができるからいい手段なんだ。いい表現手段だよ。精神科医に行かなくても済むからね」当時、ビートルズの中で孤立していた彼の様子が浮かびます。

(2)ジョンとジョーンズが殴り合い寸前になった

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コラボレーションは実現しなかったものの、ポールとジョーンズは良好な関係を保っていました。一方、ジョンとウェールズ出身の歌手は殴り合い寸前まで行きました。

ジョンはテレビのリハーサル中に観客席にいたジョーンズを見つけ、嘲笑的なパロディーを始めました。「ユニコーンなんかじゃない、象だ」と、彼はジョーンズのヒット曲「It's Not Unusual」を揶揄して嘲笑しました。そして、いつものジョンらしくさらに鋭い一撃を加えました。「調子はどうだ、ウェールズのクソ野郎?」

決して引き下がらないジョーンズは、即座に言い返しました。「こっちへ来い、スカウス訛りのクソ野郎、首を洗って待ってろ!」

暴力沙汰になる前にこの状況を収拾させたのは、ポールとジョーンズのマネージャー、ゴードン・ミルズでした。外交官さながらのポールは、ジョーンズにジョンのからかいは皮肉を込めた賛辞だとなだめました。結局のところ、もし彼が「It's Not Unusual」を嫌っていたら、そもそもその曲に言及しなかったはずだと。数年後、ジョーンズはついに「The Long and Winding Road」を手に入れ、ポールへのトリビュートとして素晴らしいカヴァーを披露しました。

 

4 自身のキャリアにおける最大の後悔だった

(1)トム・ジョーンズのヒット曲になっていたかもしれない

On This Day 16/03/1968 Tom Jones — Cardiff Live

ジョーンズは、60年にわたる輝かしいキャリアを通じて音楽界であらゆることを成し遂げた世界的スーパースターですが、このウェールズ出身の歌手が抱える大きな後悔が一つあります。それは、ビートルズの楽曲に関することです。

「ザ・ヴォイス」という音楽番組のコンテストにおける決勝戦で、優勝者のアヴァ・マニングスがビートルズの「The Long and Winding Road」を披露しましたが、ジョーンズは、この名曲との関わりについて簡単に語りました。ロックの歴史の流れが変わっていたとしたら、これを歌って有名になったのはビートルズではなく、トム・ジョーンズだったかもしれません。

(2)次のシングルにするのが条件だった

2012年にジョーンズがインタヴューに答えたとき、ウェールズを代表するスターは、自身のキャリアにおける最大の後悔についてより詳しく語り、同じく王室からサーの称号を与えられたポールが、ビートルズの名曲をレコーディングする機会を彼に提供したことを明らかにしました。

「ロンドンのジャーミン・ストリートにあるスコッツ・オブ・セント・ジェームスというクラブで彼を見かけた」と84歳の音楽界のレジェンドは説明しました。ある夜、僕たちがそこにいたとき、『ポール、いつ僕に曲を書いてくれるんだい?』って聞いたんだ」

(3)レーベルに拒否された

「そしたら彼は『ああ、そうするよ』と言ってくれた。それから間もなく、彼は僕に曲を送ってくれたんだ。『The Long And Winding Road』っていう曲さ。ただ、僕がそれをやってもいいけど、次のシングル曲にしなきゃいけないっていう条件が付いていた。

「ポールはすぐにリリースしたかったんだ。当時、僕は『Without Love』という曲をリリースする予定だったんだ。レコード会社はリリースに向けて準備を進めていた。タイミングとしては最悪だったが、全てを止めて『The Long And Winding Road』をやらせてもらえないかと頼んだ。しかし、時間がかかりすぎて現実的ではないと言われたので、結局やらなかったんだよ」

 

 

5 自分を責め続けた

(1)シングルとしてリリースすべきだった

www.youtube.com「Without Love」はジョーンズにとってトップ10ヒットとなり、一方、ビートルズ内部で当時高まっていた緊張感にインスピレーションを得た「The Long And Winding Road」は、ビートルズとしてリリースした最後のシングルとなりました。この曲は全米チャートで一位を獲得し、バンドにとって20枚目であり最後のナンバーワンとなりました。

ポンティプリッド生まれの伝説的歌手は、自分が下した選択を何年も後悔してきたと告白しました。「自分を責め続けた。後悔したよ」と彼は語りました。「あの曲は力強い曲だと分かっていたし、もちろん、その後(ビートルズの)アルバム『Let It Be』に収録されたからね」

ジョーンズにとっては生涯後悔する出来事だったのですが、ビートルズファンとしては、この名曲が他のアーティストに渡らなかったことに感謝したいですね。やはり、この曲はビートルズがレコーディングしたからこそ、あれほどの名曲になったのだと思います。

(2)ポールから「(I Want To) Come Home」を提供された

 

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皮肉なことに、40年以上経ってジョーンズは、ついにポールから提供された「(I Want To) Come Home」をレコーディングし、この曲は2012年に批評家から絶賛されたアルバム「Spirit In The Room」に収録されました。運命のいたずらか、この曲の歌詞も「The Long And Winding Road」と似ています。

「この曲のメッセージは、『あれもこれもやった。当時は最高だったってことさ。外に出て、一人で外の世界に出て挑戦し、あれもこれもやり遂げ成功も収めた。でも、今は家に帰りたい』って」と歌手は説明しました。「だから、文字通り『家』を意味することにもなるし、外で何かを証明しようとするのではなく、自分の中にある『家』を指すこともある」

ウェールズ出身のスターは、ポールの曲をレコーディングしているとき、ウェールズのことを常に念頭に置いていたと語りました。「もちろん、そこにはウェールズへのオマージュが込められている。故郷のことを考えるたびに、ウェールズを思い出す。『Green Green Grass Of Home』を歌った時もそうだった。ウェールズが心に浮かび頭の中にあったんだ。多くの人は、あれはウェールズの曲だと思っているんだよ」

(参照文献)ネーション・カムリ、ファー・アウト

(続く)

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