
を手にするレスリー・キャベンディッシュ
1 ビートルズの美容師
(1)スターたちのヘアカットを担当した

このブログも結構マニアックなビートルズの情報を提供していますが、さすがに彼らのヘアカットを担当した美容師のことについてまで触れているものは他にないと思います。レスリー・キャヴェンディッシュは、1967年からずっとビートルズの美容師を務めました。彼は、単なる美容師ではなくビートルズと深く交流していて、彼らのプロジェクトにも参加していました。
キャヴェンディッシュは15歳で学校を中退し、グロブナー・ホテルの新しいサロンに移り、3年間の見習い期間を2年で修了しました。それだけでも優秀な美容師だったことが窺えますが、美容師の資格は一切持っていませんでした。
彼はヴィダル・サスーンのサロンで見習いを始め、ボンド・ストリートのサロンでヴィダル自身も指導しました。サスーンは、イギリス生まれのユダヤ人であり、現在存在するほとんどのカットに大きな影響を与えた世界で最も有名な美容師です。彼が開発した「サスーンカット」という技法は全世界に影響を与え、現在の理美容師の基本技術となっています。
キャヴェンディッシュの顧客には、キース・ムーン、ビージーズ、デイヴ・クラーク・ファイブ、ジェームス・ハント、テリー・スタンプ、ジェーン・アッシャー、ジェームス・テイラーなど、当時の一流のスターたちが数多くいましたが、彼のキャリアにおける最大の功績は、おそらく歴史上最も有名な4人であるビートルズのヘアスタイリングでした。
(2)ジェーン・アッシャーがポールに紹介した

1966年のある日、ジェーン・アッシャーは彼女の髪をドライヤーで乾かしている19歳のユダヤ人の少年の方を向いて話しかけました。その少年は、美容院が提供するファッショナブルなライフスタイルに魅了され、親友のローレンス・フォークに倣って美容師の道に進んだのです。彼女は「私のボーイフレンドの髪を切ってくれないかしら?」と頼んだのです。
彼女のボーイフレンドは他でもないポール・マッカートニーです。キャベンディッシュは自分の幸運が信じられませんでした。「当時19歳でビートルズのファンだったから、どんな気持ちだったか想像できるだろ? まさか断るなんて思わないよね?」と彼は笑いながら回想します。ジェーンは、まだ10代だった彼のヘアカットの才能に気づいたんでしょうね。気づいた方もすごいですが。
キャベンディッシュがポールの髪を切りに来た時、何が起こったのでしょう?「ポールの家に着くと、外には6人ほどの女の子がいた…彼女たちは中に入る人全員を知っていた。中庭には緑のアストンマーティンが停まっていた。あんな車は、ボンド映画でしか見たことがなかった!」
女の子というのは、おそらくビートルズファンで「アップル・スクラフス」と呼ばれた人たちでしょうね。彼女たちは、自発的に彼らを他のファンからガードしていました。
2 ポール本人が出迎えてくれた
(1)まさかの本人登場

「ノックしたとき、家政婦がドアを開けてくれるかと思ったのだが、マッカートニー氏で、『君がレスリーだね。ジェーンが君についてたくさん話してくれたよ』と言ってくれた。すべてがとても和やかな雰囲気だった」
ロシア、ポーランド、ジョージアでの虐殺から逃れてきたユダヤ人難民の家庭にケーブルストリートで生まれたキャヴェンディッシュは、「ビートルズの宝くじ」に当たったような気分だったと語ります。
「ポールと座ってお茶を飲んだんだ。ツアーが終わって数週間後だったから、ビートルズのモップトップスタイルがちょっとだらしなくなってた。だから少しカットしたんだ。ロックの王様みたいな人たちと一緒だったから、一日中一緒にいたかったよ」
すぐに、キャヴェンディッシュは1975年までポールの専属スタイリストとなり、1967年から1970年までは残りの3人のスタイリストも務め、生意気なリヴァプール人の親密な仲間の一員となりました。
(2)キャヴェンディッシュから見たビートルズ
「リンゴは、他の3人がやっていることに関わっていた。ジョンはとても個性的で、ジョージは当時、自分探しをしていて、自分の曲を世に送り出そうとしていた。」
「ポールはビートルズっぽい人だったので、一緒にいるとワクワクした。まるでビートルズを見ているようだった。彼は音楽にとても集中していて、今もそうだ。彼と一緒にいると楽しい時間を過ごした。決して重苦しいことはしなかった。彼の仕事ぶりを見るのは、私にとって光栄なことだった」
長いキャリアの中で、ビージーズ、グラハム・ナッシュ、ピーター・クックなど多くの有名人や一般人の髪のケアもしてきたキャヴェンディッシュに、なぜこのファブ・フォーが彼を信頼したと思ったのでしょうか?
「ヴィダルズで学んだことの一つは、慎重になることだった。あのグループの中でロンドンっ子は私だけだったし、ユダヤ人でもあった。マスコミには一切何も話さなかった」「本当に素晴らしい人たち、自分の好きな音楽の人たちと付き合うことが、私にとってどんなに素晴らしいことか気づいた。『これを台無しにしたくない』と思った」
3 マジカル・ミステリー・ツアーに参加した
(1)ポールが招待した

1966年後半、ポールがジェーンとサファリ旅行に出かける際に、キャヴェンディッシュが髪を短く切ったことで、ポールが身元を隠すことができたのもこの時でした。新聞には「ポールをスキンヘッドにした理髪師」という見出しが躍りました。そして、彼は「Sgt Pepper’s」「Let It Be」の間の時期にポールに象徴的なスタイルを与えたのです。
ポールは、マネージャーのブライアン・エプスタインの死から2週間後、ロンドンからコーンウォールまでのマジカル・ミステリー・ツアーに、サイケデリックな黄色のバスにキャヴェンディッシュと40人ほどの仲間を招待しました。
キャヴェンディッシュは、ツアーの最高の思い出はファブ・フォーとすぐ近くにいたことだと語っています。「彼らが一緒にいるのを見たのは初めてだった。彼らが一緒にふざけ合っているのを見たり、おしゃべりしたりするのは楽しかったよ」
「バスを止めた瞬間、ビートルマニアの様相が目に浮かんだ。人々が集まり、自分たちの名前を叫んでいた。それを見るのは、一体どうやってこんな生活を送っているのだろうと不思議に思いながら、とても魅力的だった」
(2)50年後にポールと再会した
2012年、マジカル・ミステリー・ツアー50周年を記念して、キャヴェンディッシュは英国映画協会(BFI)での特別上映会に招待されました。二人の息子のうちの一人、エイダンと一緒に出席し、ポールが気づいてくれたことに喜びを隠しませんでした。
「劇場から出てくると、ポールが私を見て名前を呼んでくれた。彼は私の肩に腕を回し、私は彼を息子に紹介しました。私たちは少し世間話をし、私は彼にこう言いました。『君と約束したんだよ。二人とも髪は残しておくって。そして、私は正しかったのよ!』」なんと彼はポールの切った髪を保存していたんですね。
4 彼らに合ったヘアスタイルだった
(1)ヘアスタイルでも飛びぬけていた

ビートルズは、彼をサッスーンズから引き抜き、ロンドンのキング・ロードにある彼らのアップル・テーラリング・ブティックに自分のサロンを開店するよう誘ったほどです。よほど彼のカットが気に入ったんでしょうね。
レスリーは、あの有名なルーフ・トップ・コンサートのために、サヴィル・ロウ3番地の建物にもいました。彼がこれだけビートルズに気に入られたということは、相当な腕を持っていたに違いありません。髪を切りながら世間話をしていたはずですが、それも楽しかったんでしょうね。
動画や写真に残されているビートルズのヘアスタイルが、当時流行の最先端を走っていた人物によって作られたと思うと、ビートルズが音楽だけでなくヘアスタイルでも飛びぬけた存在だったことがわかります。
(2)ヘアスタイルはキャヴェンディッシュにお任せだった

キャヴェンディッシュは、基本的には「Sgt. Pepper’s」から「Let It Be」「Abbey Road」まで、彼らと交流していた間ずっと彼らのヘアカットを担当しました。これだけでもちょっとしたら驚きですよね。 アイドル時代ならまだしも コンサートをやめてから彼らは自由に行動するようになったのに、美容師に関しては一人の人物にずっと頼んでいたなんて。
彼がビートルズの髪を切っていた時は、カットは彼にお任せで「こうしてくれ」というリクエストはしなかったそうです。この言葉通りだとすると、4人のヘアスタイルはキャヴェンディッシュのセンスで決めたってことですよね。ジョンやジョージはかなり長髪だった時期がありましたが、あれも彼のアイデアということになります。
キャヴェンディッシュは、映画のセットに行く時以外は3人とほとんどいつも一緒にいました。一緒にいる機会が少なかったのはリンゴだけでした。リンゴの最初の妻、モーリーンは美容師だったため、彼女がリンゴの髪を切ることが多かったのです。
(参照文献)ビートルズ・ヘアドレッサー、ジュウィッシュ・ニュース、クラシックバンズ
(続く)
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