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「While My Guitar Gently Weeps」が完成するまでは長い道のりをたどった(555)

ポールとリンゴに「While my guitar gently weeps」?を聴かせるジョージ

1 曲の完成に半年近くかかった

(1)1968年4月から9月まで

The White Album, El Disco Más Ambicioso y Caótico de The Beatles - Escribeat

「While my guitar gently weeps」の話題を続けます。この曲は歌詞をジョージが何度も書き直したというお話は前回にしました。しかし、リリース版を制作したレコーディング・セッションで歌詞はさらに洗練され、彼のリードヴォーカルは1968年9月6日にレコーディングされました。この時点で、ジョージは最後の詩を完全に削除し、最初の節のヴァリエーションを繰り返す形に置き換えました。

つまり、この曲の執筆は、4月か5月(ウォリントンの両親の家)から9月(EMIスタジオ)までずっと続いています。つまり、メロディーと基本構造は春に生まれたものの、歌詞と曲の最終形はスタジオ作業の中でようやく完成したと言えます。

このように「While My Guitar Gently Weeps」は、紙の上ではなくレコーディングの現場で完成した曲でした。これはジョージにとっては珍しいことではありません。1965年に記者のラリー・ケインが行ったインタヴューで、ジョージは自身の作曲テクニックについて率直に語りました。「歌詞を書こうとするときが一番の問題なんだ...5週間ほど放置して、突然思い出すんだよ。それから少し書き足すから、1曲を完成させるまでに3か月ほどかかると思う。馬鹿げているくらい怠け者なんだ」

(2)歌詞が意味するもの

ジョージは、「愛があるはずなのに無関心、見ているのに気づこうとしない、調和できるのにしていない」そんな人間のあり方への失望を歌にしました。ここでの「you」は特定の誰かというより「人間全般/身近な人間関係」を指していると考えられています。しかし、それだけにはとどまりません。

その理由は1968年という時代背景が大きかったと考えられます。当時は、ヴェトナム戦争公民権運動、学生運動、理想を語りながら分断していく荒れた社会でした。歌詞の「I look at the world and I notice it’s turning Still my guitar gently weeps」は、世界は動いています。でも、人の心は置き去り、そのズレに対する静かな悲しみとして社会批評的にも読めます。ジョージは直接的な政治的主張はしていませんが、「愛が語られる時代に、なぜこんなにも愛が実践されていないのか」という問いは、完全に社会的です。1968年という時代背景を考えると、この歌が個人的な失望を超えて社会的な響きを持っているとしても不思議ではありません。

さらにもう一段深読みすると、ホワイト・アルバム期のバンド内の分裂、ジョン&ポール中心構造への違和感、誰も本気で「聞いていない」感じ…こうした状況が、「見ているのに、学ばない」「愛が眠っている」という歌詞に重なります。

 

 

2 レコーディング

(1)イーシャー・デモ

イーシャーの自宅の庭でくつろぐジョージ

1968年5月28日、ビートルズは前述の通り、サリー州イーシャーにあるジョージの「キンファウンズ」の家に集まり、次のアルバムをレコーディングするためにスタジオ入りする準備として、メンバー全員が最近書き上げた曲のデモをレコーディングしました。ジョンが書き下ろした曲の大部分をレコーディングするのを待った後、ジョージはようやく自身の曲をいくつか試聴する機会を得ました。「While My Guitar Gently Weeps」は、当時使用していたアンペックスの4トラック・レコーディング・ユニットでその日にレコーディングされた最初の曲でした。
このデモ版はわずか2分半で、その年のずっと後に完成版となった曲よりも速いテンポで演奏されました。ジョージはアコースティックギターとヴォーカルをダブルトラックでレコーディングし、ブリッジと曲のエンディングでは誰かが(おそらくポール)オルガンを演奏しましたが、このエンディングは完成版とは大きく異なっています。

前述の歌詞のわずかな違いはあるものの、ポールが「Cool!」と叫んでいるのが分かります。それは、彼がこの曲に強い印象を受けたことを示しているようにも聞こえます。2018年に発売された「White Album」50周年記念エディションに収録されたこのデモ・ヴァージョンでは、ポールの貢献曲を含むトラックが省略されています。

(2)後回しにされたジョージ

ビートルズは1968年5月30日にEMIスタジオに入り、「White Album」のレコーディングを開始しましたが、ジョージが自身の曲に取り掛かる機会を得たのは1968年7月25日になってからでした。「ポールとジョンの曲を10曲くらいやってからやっと休みがもらえた」とジョージは語っています。「Ob-La-Di, Ob-La-Da」の徹底的な作業と作り直しを含む仲間の曲の多くに辛抱強く協力した後、ジョージはアルバムに提供したい5曲のうちの1曲目として「While My Guitar Gently Weeps」を初公開することにしました。しかし、そのうちの1曲「Not Guilty」は、レコーディングは完了していたものの、土壇場でキャンセルされました。

 

 

3 EMIスタジオ2でレコーディングを開始

(1)ようやくスタジオでのレコーディング

レコーディング中のジョージ

グループは1968年7月25日午後7時過ぎにEMIスタジオ2に入り、この曲に取り組みました。この日、ジョージとポールが最初に到着したようで、彼らはアコースティックでこの曲を数曲レコーディングしました。ジョージはアコースティックギターとヴォーカル、ポールはハーモニウムを演奏しました。「テイク1」はジョージが主に演奏した美しいヴァージョンで、ポールはコード進行とアレンジに慣れるため、最後のブリッジとヴァースに参加しました。このテイクの最後に、ジョージはコントロールルームに向かって「もう一度聴いてみよう!」と叫びました。

その後、テープが再び回り始め、ポールが全曲を演奏しながら、彼らはもう一度この曲を演奏しました。この予告なしのセカンドテイクは、2018年に「White Album」50周年記念リリースの準備中に初めて発見されました2回目のテイクの途中でジョージは演奏を止め、エンジニアリング・スタッフに「ああ、彼にマイクを渡す必要があるかもしれない」と指示しました。ポールは時折ハーモニウムをいじりながら、曲を最後まで演奏し続けました。

(2)レコーディングは終わったと思われた

多くの評論家はこの日レコーディングされた「テイク1」を、この曲の単なるデモと見なしていますが、この演奏に見られる完成度の高さから考えると、当時このテイクが「キープ・ヴァージョン」と見なされていた可能性は高いと思われます。これは、当時既に完成していたポールのアコースティック・ソロ演奏である「Blackbird」や、ジョンの曲「Julia」が、同様のアコースティック状態でアルバムに収録されたのと似ています。

しかし、ジョージの曲は結局そうはならず「テイク1」は1996年のコンピレーション・アルバム「Anthology3」で初めて一般公開されました。後年、この状態でも「White Album」に収録できたはずだと語る人は多くいます。しかし、それは当時の現場でもすでに感じられていた評価でした。「この曲は、完成するまでにかなり変わってしまった。後日、8トラック・テープにレコーディングし終えたので、すぐにもっともっといろんなものを入れたいという衝動に駆られた。個人的には、そのままにしておくのが一番だったと思う」

 

 

4 ようやくフルバンドヴァージョンになった

White Album」のレコーディングは、当初からジョンとポールの楽曲を中心に進められていました。ジョージは「While My Guitar Gently Weeps」にはまだバンドアレンジが必要だと考えていたようで、ビートルズは数テイクをリハーサルしました。その全てがテープにレコーディングされ、ジョージが自宅で聴いて判断材料とするため持ち帰られました。これによりセッションは翌朝3時15分まで延長されました。

興味深いことに、ジョージはさらに忍耐を強いられることになりました。ビートルズがこの曲に本格的に取り組むまでには、なお時間を要したのです。次に予定されていたのはポールの「Hey Jude」で、彼らは8月の第2週までこの曲に取り組み続けました。ジョージはこの曲の作業を延期し、代わりに自身のもう一つの作曲である不運な「Not Guilty」を1968年8月7日に紹介することを選びました。

「While My Guitar Gently Weeps」の初作業から丸3週間後、1968年8月16日、バンドは再びこの曲に注力しました。午後7時過ぎにEMIスタジオ2に入り、フルバンドヴァージョンをレコーディングしました。この3週間でジョージは、以前にレコーディングしたアコースティックヴァージョンが、結局は自身が思い描いていた曲像ではないと判断したのです。この時点から、あの美しいアコースティック版は、この曲のもうひとつのデモ・レコーディングと見なされるようになりました。これでようやく誰もが知るあのヴァージョンになったのですが、完成するまでにはまだ乗り越えなければならない障壁がありました。

(参照文献)ビートルズ・レコーディング・ヒストリー

(続く)

 

 

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