
1 ジョージ・マーティン不在の現場
(1)「The Beatles:Produced by The Beatles」の意味

「While My Guitar Gently Weeps」は最終的に「テイク14」が最良と判断されました。しかし、4トラックテープはすでに満杯だったため、今後のオーヴァーダブに備えて、リミックスする必要が生じたのです。ドラムとベースは新テープのトラック1へ、オルガンとギターはトラック2へとまとめてミックスされました。この際、ジョージのギターにはフランジング処理が施されています。こうして生まれたのが「テイク15」です。テープは42.5サイクル/秒に減速され、曲の長さは3分53秒から4分53秒へと引き延ばされました。
興味深いのは、このセッションの扱われ方です。レコーディングシートには従来どおりジョージ・マーティンがプロデューサーとして記載されていましたが、テープボックスの一つには、「The Beatles:Produced by The Beatles」と明記されていました。マーティンの名前がテープボックスから消えていたのです。つまり、形式上はジョージ・マーティンがプロデューサーであっても、少なくともこのセッションでは、現場の主導権は完全にビートルズ側にあったことを示しています。
(2)実質的なセルフ・プロデュース
テクニカル・エンジニアのブライアン・ギブソンは、この時期を次のように振り返っています。「『White Album』の制作は、ジョージ・マーティンがグループのコントロールを手放し始めた時期だった。休暇や他のレコーディングの予定などで、彼がセッションに参加できないことが多く、その際はメンバー自身でプロデュースすることもあった。ジョージ・マーティンが不在の期間はかなり長かったが、楽曲の採譜やアレンジはいつも彼に頼っていた」スタジオは翌朝5時までにはようやく片づけられ始め、ジョージはその日遅くにギリシャのコルフ島へ飛び、短い休暇を過ごしました。
2 8トラックの録音機をめぐる騒動
(1)EMIスタジオにもあった8トラックの録音機

彼らが再びこの曲に取り組んだのはさらに2週間半後、1968年9月3日のことでした。バンドは、ロンドンのトライデント・スタジオでジョンの曲「Dear Prudence」をEMIにはないと思っていた8トラックの録音機でレコーディングしたばかりでした。慣れ親しんだEMIスタジオで同じ機器を使ってレコーディングできればと願っていたのです。
ところがなんとEMIには8トラックの録音機が2台も存在していたのです。しかし、まだ使える状態ではありませんでした。これらの3Mモデルはフランシス・トンプソンのオフィスに保管され、点検と設置準備が行われていました。彼は、EMIアビイ・ロードの技術者であり、「既製品を現場仕様に作り替える」専門家でした。
(2)機器の使用に厳格だったEMI

テクニカル・エンジニアのデイヴ・ハリーズはこう回想しています。「スタジオはフランシス(トンプソン)が基準を満たしていると認めるまで、いかなる機器も使用を許されなかった。それは素晴らしいことだった。だが、より良いレコーディングをしたいと願うリヴァプール出身の革新的な若者4人が、機器の匂いを嗅ぎつけてしまうと事態は一変した。彼らはきっと(エンジニアの)ケン・スコットに言い寄っていたに違いない」どうやらビートルズは、最新の8トラック機器の存在に気づいて擦り寄ってきたようです。
3 ビートルズの音楽は進化していた
(1)ADTやフェイジングは当たり前
エンジニアのケン・タウンゼントはこう付け加えています。「当時の8トラック機器はポップスのレコーディングには適していなかった。ビートルズはADTとフェイジングに頼るようになっていたので、3M製の機器が導入される前に特にヘッドブロックを中心に、フランシス・トンプソンがスタジオで設計・実装した大規模な改造が施された」
この説明は専門的で難しいのでわかりやすくいいかえると「8トラック機は存在したが当時の状態のままでは、ビートルズのようなポップスのレコーディングには適していなかった」ということです。
ビートルズはこの時点で、ADT*1やフェイジング*2を「装飾」ではなく「前提条件」として使うバンドになっていました。これらは、テープ走行精度・ヘッド構造・位相特性に極めて敏感です。たとえるなら、ミリ単位で調整された歯車が噛み合って初めて動く精密機械のようなものです。つまり、市販状態の3M製8トラック機は、ADTやフェイジングを安定して再現性高くEMI流の音質で使える設計になっていなかったのです。
(2)レコーディングに使えるよう調整が必要だった
以下のエピソードは、最新鋭の8トラック機器を早く使いたいと舌なめずりしながら近寄るビートルズと、整備するからそれまで待てというレコーディングエンジニアの綱引きの様子が見えて面白いです。
特に重要だったのがヘッドブロック(再生/録音ヘッドの配置、ギャップ精度、トラック間の位相関係、クロストーク)であり、ADTやフェイジングは2つのトラックの「ズレ」を精密にコントロールする技術です。ヘッド構造が甘いと、効果が不安定になる、ノイズが増大する、位相が意図せず崩れるなどの現象が発生するおそれがあり、そのままではビートルズの音楽が成立しないと考えられたのです。
ビートルズの音楽が進化し、彼らの音楽的要求(ADT・フェイジング)が高すぎたために、3M製8トラック機は大改造されてから初めて使われるべきだとレコーディング・エンジニアたちは考えたということを解説しています。
(3)勝手に使っていた
しかし、エンジニアのマイク・シーディーは、ビートルズが新しい8トラック機器がまだ整備できていない段階で使用していたことを証言しています。「テープ・オペレーターが、テープを巻き戻してヘッドを通過する音を聞きたい時にマシンの出力をミュートすることを忘れると、スプールのノイズがビートルズの(ヘッドホン)を直撃し、頭が吹き飛ぶような音になった。当然のことながら、彼らは非常に神経質になった。なぜなら、それは非常に不安なことだったからだ」
エンジニアたちは整備するまで待てと言ったのに、ビートルズが待ちきれずに使ったためとんでもないノイズが発生して彼らの耳を直撃し、ビクビクしながらレコーディングすることになりました。エンジニアたちにしてみれば「だから言ったではないか」というところだったでしょう。
4 非協力的だったジョンとポール
(1)ジョージが一人で作業した

9月3日、EMIスタジオ2でセッションが再開されます。しかしこの日、リンゴは「Back In The USSR」のレコーディング中にポールともめて一時グループを離れていました。この日ビートルズのメンバーでこの曲に取り組んだのはジョージだけで、おそらくグループの中で唯一そこにいたメンバーでした。「テイク16」と呼ばれるようになったこの新しい8トラックテープに、ジョージはリードヴォーカルをオーヴァーダビングし、ダブルトラックにしました。
その後、5トラック目には、ギブソンの説明によると、非常に簡潔なギターのオーヴァーダビングを試みました。「ジョージは特にギターの泣き声のような音を出したかったのだが、ワウペダルを使いたくなかったので、逆再生のギターソロを試していた。そのため、スタジオとコントロールルームを何度も往復する必要があり、非常に時間がかかった。私たちはそれをうまく機能させるために一晩中努力したが、結局全てがボツになった」今ならコンピューターで簡単にできる作業でも、この当時はアナログの時代ですから全て手作業でやらなければならず、大変な時間と手間がかかりました。
(2)ジョンもポールも協力しなかった
ジョージは、1966年の曲『I'm Only Sleeping』でとてもうまく機能した逆再生ギターの効果を思い出しました。彼は、これが「While MyGuitar Gently Weeps」を華やかにするのに効果的だと考えました。翌日撮影されるプロモーションフィルムで使用するために「Revolution」のリズムトラックのテープコピーが作成されたあと、セッションは午前3時30分に終了しました。
ジョージは、著書「ビートルズ・アンソロジー」で、これらのセッションの雰囲気と、次のレコーディング・セッションにつながった出来事についてこう語っています。「レコーディングしようとしたが、ポールとジョンはただ曲を量産することに慣れすぎていて、真剣になって僕の曲をレコーディングするのが非常に難しいときがあった」
「うまくいかなかった。彼らは真剣に受け止めていなかった…それでその夜僕は家に帰り『ああ、残念だ』と思った。曲がかなり良いことはわかっていたからね」コンポーザーとしての実力を着々と伸ばしてきたジョージですが、ジョンとポールはなかなかそれを認めませんでした。普通の人間ならとっくに脱退していたでしょうが、ジョージは我慢強い性格だったので踏みとどまり、まだビートルズは解散せずに済んだのです。
(参照文献)ビートルズ・ミュージック・ヒストリー
(続く)
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