
1 前回の記事を全面的に書き直しました
先日公開した「『パパはビートルズだったの?』という話は本当か」という記事について、重要な資料を見落としていました。1980年9月29日号の『ニューズウィーク』に掲載されたジョン・レノンのインタビューに、ショーンとのやり取りがはっきりと記録されています。
前回は「明確な裏付けは確認できない」と書きましたが、これは誤りでした。ご指摘を受けて確認したところ、該当箇所はきちんと存在しました。前の記事を残したままにすると誤解を招くおそれがあるため、いったん撤回し、本文を一から組み直します。ご指摘くださった方に感謝します。
2 「パパ…ビートルだったの?」
(1)映画『Yellow Submarine』を観て気づいた
1980年、音楽活動を再開したジョンは『ニューズウィーク』の取材に応じています。その中で彼は、1979年のクリスマスの出来事を振り返っています。近所の人がショーンに映画『Yellow Submarine』を見せたところ、観終えたショーンは自宅に走って帰ってきて、ジョンにこう尋ねたのです。
'Daddy, you were singing... were you a Beatle?' (パパ、歌ってたよ…ビートルだったの?)
“Well, yes. Right.”(ああ、そうだよ)*1
短いやり取りですが、ここから見えてくるのは、ジョンもヨーコも、ショーンに「パパはビートルズだったんだよ」とわざわざ言い聞かせてはいなかったという事実です。ジョンにとってビートルズは、誇らしく語りたい「武勇伝」というより、すでに自分の中で片づいた過去だったのかもしれません。
1975年にショーンが生まれてからの数年間、ジョンは主夫として暮らし、息子の世話をしてきました。そこにあったのは、世界的スーパースターではなく、普通の父親と息子の時間です。「隠していた」というより言う必要がなかった。その距離感のほうが、実際に近い気がします。
(2)映画のどこで気づいたのか?

ショーンが見た映画はアニメ映画であり、ビートルズのメンバーは全員アニメのキャラクターになっていました。この映画を観て彼がどの時点で父親がビートルズの一員であったかに気づいたかは分かりません。アニメのキャラクターは当然ジョンの特徴を捉えていますが、アニメらしく描かれていて写実的なものではありませんでした。ですから、 まだ4歳の幼いショーンが気づかなかったとしても不思議ではありません。
しかし、ラストシーンでメンバー全員が実写で登場します。さすがにその時点で気がついたでしょう。そして映画を見終わると、たまらず父親のもとに走って行って尋ねたのだと思います。
おそらくその時のショーンは、目をキラキラさせて興奮冷めやらない感じだったんでしょうね。父親がかつてビートルズのメンバーであったことを知った彼の興奮、そして落ち着いて父親として答えるジョン…何とも言えない微笑ましいやり取りです。
こういったやり取りは、世界中の有名人の中でいつも行われていることでしょう。有名人の子供達が、自分の親が有名人であることをいつの瞬間に気づくのか非常に興味深いです。ジョンの場合は、自ら語ることなくショーンが気づきました。
そして、さりげなくそれを認めました。ジョンは世界的スーパースターですから、どうしてもどこかで分かります。しかも、ビートルズ時代はあまりテレビで流れるような映像は多くありませんでした。だから、アニメで気づいたというのも納得がいきます。
3 ショーンの一言はジョンの音楽活動再開の引き金だったのか
(1)直接的なきっかけではない

1980年9月の『ニューズウィーク』のインタビューで、ジョンはこう語っています。
Q: 「なぜ音楽活動を再開したのですか?」
ジョン: 「この主夫もちょっとキャリアを持ちたくなったんだ!10月9日に俺は40歳になり、ショーンは5歳になる。そこで初めて『パパにも別の仕事があるんだ』と言えるようになった。ショーンは慣れていない——5年間、ほとんどギターも手にしなかったから。去年のクリスマスに隣人が彼に『イエロー・サブマリン』を見せたら、走って帰ってきて言ったんだ。」
ショーンの言葉は「5年間、ジョンがいかに完全に音楽から離れていたかの証拠」として語られたのであって、音楽再開の直接のきっかけではありません。むしろジョンが言いたかったのは「ショーンが5歳になった今、ようやくパパとして別の顔を見せてもいい時期が来た」ということでした。
(2)では実際のきっかけは何だったのか?

複数の出来事が重なっています。
① ショーンが5歳になる節目(最大の条件)「5年間、ショーンに捧げると決めていた」 ——ジョンが自ら設けた期限が満了したこと
② 1980年6月:バミューダ島への嵐の船旅(決定的な体験)
ジョンはニューポートからバミューダへの航海中、嵐に遭遇しました。乗組員が次々と船酔いで倒れ、船長も休まざるを得なくなり、ジョンは6時間以上、荒波の中で操舵を続けました。
「20フィートの波に何度も叩きつけられ、何度も膝をついた。でも最高の気分だった。海の歌を叫び、神々に向かって怒鳴った! バミューダに着いた時、あの嵐の体験で俺は完全に心を取り戻していた。そして一気に曲が降ってきた!」
この「生死をかけた体験」が、眠っていた創造性を一気に呼び覚ましました。
③ バミューダのナイトクラブでB-52’sの『Rock Lobster』を聴く
「突然B-52’sの『Rock Lobster』が聴こえてきた。ヨーコの音楽みたいなサウンドなんだよ。『古びた斧を持ち出してヨーコを呼び覚ます時が来たぞ』と思った」
ヨーコの前衛的な音楽がついに世に受け入れられる時代が来たと確信し、すぐにヨーコに電話して「一緒にレコーディングしよう」と呼びかけました。
④ 植物園で “Double Fantasy” というフリージアを発見
アルバムタイトルはここから生まれました。
ショーンの言葉は「パパは5年間、徹底してミュージシャンを休んでいた」というジョンの主夫生活の徹底ぶりを象徴するエピソードとして語られたものでした。彼の音楽活動再開の直接のきっかけは、ショーンが5歳になり一区切りついたこと、1980年夏のバミューダ航海の嵐とB-52’sとの出会いだったのです。
(参照文献)ビートルズインタビューズ
(続く)
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*1:ニューズウィーク/1980