★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

【知らなかった!】『Penny Lane』に60年間誰も気づかなかった「幻のミュージックビデオ」があった(564)

歌詞に登場する看護師をモチーフにした女性?

1 ポールが少年時代に見た風景をそのまま歌詞にした

何度も作り替えられたペニー・レインの道路標識

『Penny Lane』は1967年2月にリリースされた、ビートルズの大ヒット曲です。いつもの通り、作詞・作曲はレノン=マッカートニーとなっていますが、主にポール・マッカートニーが担当しました。

歌詞に登場する待合所・床屋・消防士・ポピーを売る看護師は、ポールが子どもの頃に通ったリヴァプールの街角で実際に見た人々や風景がモデルになっています。「青い郊外の空の下で」という一節が象徴するように、懐かしさと明るさが絶妙に交わったこの曲は、発売から60年近くたった今も世界中で聴かれ続けています。

この曲はジョン制作の『Strawberry Fields Forever』と組み合わせた両A面シングルとして発売されました。マネージャーのブライアン・エプスタインが「これまでで最高のシングルだ」と胸を張った、数あるビートルズの傑作のひとつです。

2 えっ、ビートルズってミュージックビデオの"生みの親"だったの!?

www.youtube.com

(1)初めて戦略的にプロモーションビデオを使った

今ではアーティストが新曲を出すたびにミュージックビデオが制作されるのは当たり前ですが、1967年当時はまだそこまでの戦略はありませんでした。ビートルズはこの頃すでにコンサート活動をやめており、テレビ番組に直接出演する代わりに「プロモーションビデオ」と呼ばれる映像を制作してテレビ局に配布するという、当時としては革命的な方法をとったのです。もちろん、それまでにも存在していたのですが、それを戦略的に用いたのがビートルズだったのです。

そのため、『Penny Lane』と『Strawberry Fields Forever』のために作られた映像は、現代のミュージックビデオの原点とも言われています。ポールはリリース当時こんな言葉を残しています。「将来はすべてのレコードに映像が付くようになる。20年後には、ただ音楽を聴くだけだったなんて信じられない、と人々は思うだろう

(2)80年代のMTVにつながった

まさにポールの言葉通り、80年代にMTVの全盛時代がやってきました。MTVではマイケル・ジャクソンやマドンナなどのスターが次々とミュージックビデオに登場し、革新的なミュージックビデオを数多く生み出しました。

ビートルズがMTVを誕生させるきっかけとなったことは、彼らの主演映画『A Hard Day's Night』『Help!』の監督を務めたリチャード・レスターが、MTVから「MTVの父」と賞状を贈られたことにも表れています。MTVは、彼のスタイルを参考にして、ミュージシャンを主役にして、彼らの楽曲が描く世界観を楽曲とともに映像化し、リスナーではなく視聴者を魅了することに成功したのです。

まさに音楽が2Dから3Dへと変化した瞬間でした。音楽に映像がセットで公開されることが当然となり、それは、さらに動画配信へと進化していきました。

3 馬に乗って、テーブルをひっくり返す!?伝説のプロモ映像とその舞台裏

(1)監督はスウェーデン人!電報を受けてその日に飛行機で来た

1967年2月5日、ロンドン・ストラトフォードのエンジェル・レーンでの撮影風景

よく知られているプロモーション・フィルムを監督したのは、スウェーデン人テレビ・ディレクターのピーター・ゴールドマンです。ビートルズの友人でもあったミュージシャン、クラウス・フォアマンの紹介でこの仕事を得ました。ブライアンから電報が届いたその日のうちに飛行機でロンドンへ飛んだというエピソードが残っており、その行動力と熱量が伝わってきます。

(2)現場は大混乱!馬が逃げ出し、撮影は大幅遅延

1967年2月7日、ケント州ノール・パークでの撮影の様子

撮影は1967年2月5日と7日の2日間に行われました。初日はロンドン東部にあるストラトフォードのエンジェル・レーン、2日目はケント州のノール・パークでした。

赤いハンティングジャケットを着た4人が白馬にまたがり疾走するシーンや、中世風のコスチュームのスタッフに楽器を給仕されながら野外のテーブルで過ごすシュールな場面が撮影されました。最後はジョンがそのテーブルをひっくり返して幕を閉じます。

ゴールドマン監督はのちにこう語っています。「ビートルズを満足させるアイデアが浮かんだのは、ロンドンへ向かう飛行機の中でのこと。そこで馬というひらめきが来た」

撮影現場では馬が逃げ出し、それを連れ戻すのに2時間かかるというハプニングもあったとか。そんな騒動があったとは、あのほのぼのとしたフィルムからはまったく想像できません。

4 【衝撃】60年間、ほぼ誰も知らなかった"幻の映像"が存在していた!

(1)BFIのアーカイブに眠り続けた3分間

さてここからが、この記事の本題です。

実は、ゴールドマン版の公式プロモとはまったく別に、同じ1967年に『Penny Lane』の楽曲に合わせて制作されたもうひとつの短編映画が存在していました。タイトルは『Memory』(1967年)です。監督は英国人映画作家のイアン・マクミラン(有名な写真家とは別人)です。

この映像はなんとBFI(英国映画協会)のナショナル・アーカイブにひっそりと保存されたまま、長年ほとんどその存在を誰にも知られていませんでした。BFIが記事と映像を公開して、ようやく世に知られるようになったのです。

誰の依頼で、何の目的でこの映像が作られたのか——ビートルズ本人や音楽業界が関与していたのかどうか——その詳しい経緯は、いまだにはっきりとわかっていません。それこそが、この作品が「謎の映像」と呼ばれるゆえんです。

(2)白馬もシュールな演出もなし!「リヴァプールの記憶」だけで勝負した映像詩

『Memory』が保管されていた缶

1967年当時のアンダーグラウンド映像の世界では、コラージュや液体光源を使ったサイケデリックな実験映像が大流行していました。ビートルズ自身も『Sgt. Pepper's』へ向けて、どんどん幻想的な世界観に踏み込んでいった時期です。

ところが、マクミランが選んだのはその真逆の道でした。白馬も登場しません。シュールな野外ディナーもありません。

代わりにスクリーンに広がるのは「リヴァプールの街の「記憶」そのもの」です。レンガの壁の質感、路地に差し込む日光、路面を流れる雨水——人々の姿はところどころに映し出され、街の何気ない日常の風景がただ静かに語りかけてきます。歌詞とリンクするのは、消防士と消防車、それに看護師らしい女性くらいです。

(3)なぜこの映像は作成されたのか?

街の風景

この短編映画が長い間ほとんど知られなかった最大の理由は、一度も公式に公開されなかったことにあります。当時の短編映画の流通ルートは、フィルム・ソサエティや独立系の上映イベントへの貸し出しに限られていました。

ゴールドマン版のようにテレビ局へ配布されることもなく、時代の流行だったアンダーグラウンド系の上映会にも届かなかったのです。こうして『Memory』はひっそりとフィルム缶の中に収められ、数十年の時を経てBFIのアーカイブからようやく光を当てられたのです。

とすると、この短編映画はそもそも商業化する目的のものではなかったのかもしれません。あるいは本編を撮影するための習作だったのか。本当はこれを本編にするつもりで撮影したのか。それとも本編の中にこの映像を取り入れるつもりだったのか-…謎は深まるばかりです。しかし、ちゃんとタイトルが付けられていることからして、一つの作品として位置づけられていたのでしょう。

何しろミュージックビデオ(あるいはプロモーションビデオ)というもの自体がまだ黎明期でしたから、こう撮影するべきだというパターンは存在せず、まだ手探り状態だったのです。逆に言えば、どのようにでも好きに作ることができました。あるいはそういったことも、この短編映画が誕生した背景にあったのかもしれません。

5 『Penny Lane』のビデオには「2つのヴァージョン」が存在した!

(1)ゴールドマン版とマクミラン版

歌詞に登場する消防士

ゴールドマン版は「ミュージックビデオ誕生の瞬間」として音楽史に語り継がれています。シュールで自由で、まさにビートルズの時代精神を体現した映像です。後の世代へとバトンを渡したプロモーションビデオの傑作でしょう。

一方、マクミランの『Memory』は「宣伝のための映像」ではなく、純粋に楽曲の詩情を映像で表現しようとした試みです。BFIはこの作品について「フィルムそのものが記憶を生み出す。35mmというフォーマット、編集スタイル、時代の光——それらが組み合わさることで、もはや手の届かない過去の世界へと繋がる橋が生まれる」と評しています。それ以上余計な説明は必要ないということでしょう。

(2)マクミラン版も素晴らしい

率直に言って、これ自体が素晴らしい芸術作品です。私は、これはもはや音楽を宣伝するためのプロモーションビデオではなく、『Penny Lane』という街を音楽とともに美しく描いた短編映画であると考えます。街並みや人々が静かにしかし生き生きと描かれていて、何とも言えないノスタルジックな世界を映し出しています。

最後に、興味をそそるエピソードをもう一つご紹介しましょう。イアン・マクミランは1984年に、ポールの映画『Give My Regards to Broad Street』に撮影監督として参加しているのです。ふたりがかつての『Memory』について語り合う場面があったかどうか——それもまた、永遠の謎です。

『Penny Lane』という3分間の曲に、実は2本の映像が残されていた。一つは純粋に楽曲を宣伝するためのプロモーションビデオ。もう一つは楽曲が描く世界を抒情詩にした短編映画。

このことを知ったうえで改めてあの曲を聴くと、きっとまた違った景色が見えてくるはずです。ぜひ公式プロモ映像と、BFIに眠っていた謎の『Memory』、両方を見比べてみてください。

www.youtube.com

(参照文献)

・BFI公式/謎の1967年「ミュージックビデオ」について

・ザ・ポール・マッカートニー・プロジェクト

この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。