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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズとアイルランドの深い関係とは? リヴァプール、家系、楽曲から読み解く(568)

ダブリン空港に到着してはしゃぐビートルズ

1 はじめに――ビートルズを見る角度を少し変えてみる

(1)全員がアイルランドにルーツを持っていた

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1963年11月、ダブリン空港に到着したビートルズは、現地メディアの取材を受けました。同日のインタビューでは、アイルランド系の背景について聞かれたポール・マッカートニーが「Yeah, I think we’ve all got a bit(ああ、僕らはみんな少し関係があるよ)」と答えています。

騒音で中断した後ジョンもアイルランド系の背景に話題を戻し、ジョージ・ハリスンも、母親がアイルランドの親族に会いに来ていることを語っています。つまり、彼らはアイルランドを自分たちのルーツと思っていたのです。 

(2)「イギリスのバンド」だけでは見えてこないもの

ビートルズはイギリスの伝説的バンド――そう聞けば、多くの人が納得するはずです。けれども、4人の背景を少し丁寧にたどっていくと、「イギリス」という一言だけでは語りきれない一面が見えてきます。

彼らが育ったリヴァプールという街は、アイルランド移民の歴史と深く結びついていましたし、4人それぞれの家系をたどってみても、そこにはアイルランドとの接点が浮かび上がります。さらに、彼らは実際にアイルランドで熱狂的に迎えられ、解散後にはジョンやポールがアイルランドをめぐる楽曲まで発表しています。そう考えると、ビートルズは単なる「イギリスの伝説」ではなく、アイルランドの記憶とも深くつながった存在として見えてきます。

2 リヴァプールという街そのものが、アイルランドと深く結びついていた

(1)港町リヴァプールは、移民の歴史の中で形づくられた街だった

リヴァプールの港

ビートルズを理解するうえで、まず見落とせないのがリヴァプールです。4人が生まれ育ったこの港町は、19世紀以降、多くのアイルランド移民を受け入れてきました。

とくにアイルランドの大飢饉以後、その流れはさらに大きくなり、街の中にはアイルランド系住民の暮らしや文化が深く根づいていきます。リヴァプールが「アイルランドの首都」と呼ばれることがあるのも、それだけアイルランドとの結びつきが強い街だからです。

(2)その空気は、ビートルズの音楽の親しみやすさにもにじんでいる

この背景を知ると、ビートルズの音楽の聴こえ方も少し変わってきます。彼らの曲には、洗練されたポップスでありながら、どこか民謡のような親しみやすさがあります。

もちろん、ビートルズの音楽をそのまま「アイルランド音楽」と言い切るのは行きすぎでしょう。実際にはロックンロールやR&B、スキッフルなど、さまざまな要素が重なって彼らのサウンドは生まれています。それでも、移民都市リヴァプールの雑多さと温かさが、彼らの歌心やメロディ感覚に影響していたと考えるのは自然です。都会的なのに親しみやすい――その独特のバランスこそ、ビートルズらしさの一部だったのかもしれません。

3 4人の家系をたどると、全員の背景にアイルランドが見えてくる

(1)ジョンとポールの背景には、はっきりとアイルランドの系譜がある

アイルランドの都市コブ

ビートルズとアイルランドの関係は、街の話だけでは終わりません。4人それぞれの家系を見ていくと、アイルランドとのつながりが思っていた以上にはっきり見えてきます

ジョンについては、父方の祖父がダブリン生まれで、家族がアイルランドからリヴァプールへ移ったと紹介されています。幼いころのジョンは、そのルーツを詳しく知らずに育ったようですが、年齢を重ねるにつれて、自分の姓や家系に関心を深めていきました。

ポールについても、母方の祖父がアイルランド生まれで、父方にもアイルランドからスコットランドを経てリヴァプールへ移った流れがあるとされています。ビートルズの創作の中心にいたジョンとポールの二人が、そろってアイルランド系の背景を持っていたというのは、とても象徴的です。

(2)ジョージとリンゴにも、アイルランドとの接点があった

ジョージ・ハリスンは、4人の中でもとくにアイルランドとの結びつきが強かった人物として紹介されています。母方がアイルランド系で、家族は何度もアイルランドを訪れていました。ジョージにとってアイルランドは、家系図の中の名前ではなく、親族の存在を感じられる身近な場所だったのでしょう。

リンゴ・スターについても、家系の一部にアイルランドのルーツがあるとされています。つまりビートルズは、誰か一人だけがアイルランド系だったのではなく、4人全員の背景にアイルランドの影が差している、かなり珍しいバンドだったのです。

4 ビートルズは、実際にアイルランドでも熱狂を巻き起こしていた

(1)ダブリンでは、たった一度の公演が特別な出来事になった

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1963年、アデルフィ・シネマのコンサート

ビートルズとアイルランドのつながりは、血筋や家系の話だけではありません。4人は実際にアイルランドで公演を行い、現地の観客を熱狂させています。1963年11月7日、彼らは、ダブリンのアデルフィ・シネマで2回公演を行いました。

わずか一日、たった二回のステージ。それにもかかわらず、会場周辺は大きな騒ぎになり、警察が出動するほどの混乱が起きたと記録されています。アイルランドでも彼らは、単なる海外の人気者ではなく、「新しい時代の象徴」として迎えられていたのです。

(2)ベルファスト訪問は、北アイルランドとの距離の近さを感じさせる

1963年、リッツ・シネマに集まったファン

翌日の1963年11月8日にはベルファストのリッツ・シネマで演奏し、さらに1964年11月2日にはキングズ・ホールでも公演を行っています。つまりビートルズは、アイルランド共和国だけでなくイギリスの一部である北アイルランドでも、実際にファンと向き合っていたのです。

この事実は、後になってから考えると意味深く感じられます。なぜなら、のちにジョンやポールが北アイルランド情勢に強く反応したとき、彼らにとってアイルランドは単なるニュースの舞台ではなかったからです。

祖父母の故郷というだけではなく、実際に行き、演奏し、歓声を浴びた具体的な土地だった。そう考えると、1970年代に彼らがアイルランド問題を歌にしたことも、もっと切実な感覚から出てきたもののように思えてきます。

5 解散後、ジョンとポールはアイルランドを歌わずにいられなかった

(1)ポールは、時代の動きに対してはっきり声を上げた

1972年、ポールはウイングス名義で『Give Ireland Back To The Irish』を発表しました。この曲はBBCで放送禁止となる一方、アイルランドでは大きな支持を集めたとされています。同じ曲が、ある場所では危険視され、別の場所では歓迎された。その事実だけでも、当時の北アイルランド情勢がどれほど緊迫していたかが伝わってきます。

ポールというと、親しみやすいメロディを書き、普遍的な感情を歌う人というイメージを持つ人が多いかもしれません。だからこそ、この曲のストレートさは強く印象に残ります。ここで見えてくるのは、優しい名曲を書くポールだけではありません。自分の家族背景と時代の出来事が重なったとき、曖昧に流さず、歌で応答したポールの姿です。

(2)ジョンにとって、アイルランドは政治であると同時に自分自身の問題でもあった

ジョンは、ポール以上に直接的な形でアイルランド問題に向き合いました。1970年代のジョンは、自らのアイルランド系ルーツを強く意識し、北アイルランドの人権問題や政治状況に深く反応していたとされています。また、ジョンとオノ・ヨーコが『Sunday Bloody Sunday』や『The Luck of the Irish』を発表したこと、さらにジョンがアイルランド西海岸の島を所有していたことも紹介されています。

ここで興味深いのは、ジョンにとってアイルランドが、ただの政治的テーマではなかったことです。家系の記憶、自分の名前の由来、惹かれる土地としての感覚、そして不正義への怒り。そのすべてが、ジョンの中ではひとつにつながっていたように見えます。だからこそ、解散後のジョンの作品には、ビートルズ時代とは少し違う、生々しい体温が宿っているのです。

6 おわりに――アイルランドを知ると、ビートルズはもっと面白くなる

(1)ビートルズの物語には、アイルランドという裏テーマがある

ここまで見てくると、ビートルズを「20世紀最大のイギリスのバンド」と呼ぶことに異論はなくても、その言い方だけでは何かがこぼれ落ちてしまうことがわかります。リヴァプールという街の成り立ち、4人の家族の系譜、ダブリンとベルファストでの公演、そして解散後にジョンとポールが歌ったアイルランドをめぐるメッセージまでをつなげて見ていくと、アイルランドはビートルズの物語の「脇役」ではなく、かなり重要な裏テーマだったといえそうです。

(2)背景を知ることが、ビートルズを何度でも新しくしてくれる

ビートルズの魅力は、曲の良さやスター性だけでは終わりません。どんな街で育ち、どんな家族の記憶を背負い、どんな場所で歓迎され、何に心を動かされたのか。そうした背景まで含めて見ていくと、ビートルズは何度でも新しく見えてきます。アイルランドとのつながりは、そのためのとても魅力的な入口です。

ビートルズはイギリスのバンドですが、その奥にアイルランドとの深い結びつきがあったと知ると、彼らが少し違う輪郭で立ち上がってきます。

(参照文献)
・ビートルズ・ストーリー『ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ:ザ・ビートルズ・アンド・アイルランド』
・ロンドン・セルティック・パンクス『ザ・ビートルズ・アンド・アイルランド』
・ビートルズ・バイブル「1963年11月7日 ライヴ:アデルフィ・シネマ、ダブリン、アイルランド」
・ビートルズ・バイブル「1963年11月8日 ライヴ:リッツ・シネマ、ベルファスト」
・ビートルズ・バイブル「1964年11月2日 ライヴ:キングズ・ホール、ベルファスト」
・ザ・ポール・マッカートニー・プロジェクト『ギヴ・アイルランド・バック・トゥ・ジ・アイリッシュ』

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