★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(その78)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その3)

1 「スターズ・プレミア・キット」はどうなった?
そういえば、リンゴが以前使用し、Drum Cityへ新しいドラムキットと引き換えに渡した「スターズ・プレミア・キット」は、その後どうなったんでしょうか?

 

エヴァンスは、こう語っています。「私は、リンゴの古いプレミア・ドラム・キットを店に持って帰った。我々は、それを店でしつらえ直して売った。バスドラムに手書きで張り付けてあったthe Beatlesの文字ははぎ取って捨てた。」「それは酷いもんだったよ。そんなに古いもんじゃなかったけどね。半年か1年位使ったのかな。茶色の仕上げだったんだが、プレミアの中でも最悪の仕上げの一つだったよ。私は、なぜ彼が最初にそれを買ったのか分からない。買い換えたいと思ったのも当然さ。」「いずれにせよ、我々はそれを奇麗にして同じ週に売っちまったんだ。二束三文でね。それを今でも持っていたら、間違いなくコレクターズアイテムになってただろうね。」

 

ああ~、勿体ない~ヽ(´o`;もし、現存してたらとんでもない値段が付きますよ。まさか、ビートルズがそんなビッグ・アーティストになるなんてその頃は誰も思ってませんから、当然の行動ですけどね。でも、誰かに売ったんだからその人かあるいはその人から譲り受けた他の誰かがまだ持ってるかもしれません。オークションに出品されたりとかしなかったのかな?

 

2 ドロップ-Tの変遷

1963年の終わりまでにラドウィッグの社名のステッカーは、ショーとショーとの間にバスドラムから剥がされて運搬されました。それはDrum Cityに持ち込まれ、ストークスがラドウィッグのロゴを以前より少し大きく描き直しました。

 

これは、1963年9月にビートルズが「Ready Steady Go」というテレビ番組に出演した時の写真です。この写真ではちょっと分かりづらいですが、ラドウィッグのステッカーが、何度も貼り付けたり剥がしたりを繰り返しているうちに劣化して来て、gの文字が剥がれそうになっています。その年の12月13日までには、とうとうLuの文字だけになってしまいました。まあ、正式なスポンサーじゃありませんから、文句を言われることは無かったでしょうが、見てくれが悪いことには変わりありません。f:id:abbeyroad0310:20160808151222j:image

(beatlesuits.com)

このオリジナルのドラムがビートルズのコンサートで公けの場で見られたのは、パリのオリンピア・シアターでの1964年2月4日が最後でした。でも、リンゴは、ラドウィッグのドラム・キットとその前に持っていたキットの両方をまだ持っていると噂されていました。もうとっくに手放してたんですけどね。何でそんな噂が立ったのかは分かりません。

 

なお、この記念すべきドロップーT第1号のドラムキットは、その後、200回以上のライヴと180回以上のレコーディングで使用されました。つまり、初期の曲の殆どはこのドラムキットから産み出されたことになります。音楽を除いてビートルズが世界に衝撃を与えたのは、そのヘアスタイル、衣装、ギター、アンプそしてこのバスドラムに大きく表示された「THE BEATLES 」のロゴだったのです。

 

このドラムキットは、ビバリーヒルズのジュリアンズ・オークションに出品され、2015年3月12日に225万ドル(約2億7,700万円)で落札されました。落札したのは、NFLインディアナポリス・コルツのオーナー、ジム・アーセイでした。彼は、ロック関係の楽器等の収集で知られている人です。お金持ちは羨ましいですね。

 

でも、ジョンが愛用していた1962年製ギブソンJ-160Eアコースティック・ギターは、ツアー中に何者かによって盗まれたんですが、それが巡り巡って雑貨屋で二束三文で売られてたのを買った人がいましたからね。その人も友人に指摘されて初めて気づき、慌ててビートルズ研究家に鑑定してもらったら本物に間違いないと言われ仰天しました。彼は、それをジュリアンズ・オークションに出品し、240万ドルで落札されたんですからどこにチャンスが転がっているか分かりませんよ。

 

でも、リンゴは、なぜ想い出深いドラム・キットを手放すことにしたのでしょうか?自分が生きている間に家族に遺産を残しておこうと思ったのでしょうか?その真の事情については分かりません。

 

3 「サリヴァン・ヘッド」の登場

ドロップーTのデザインは、第1号で基本的には固まったんですが、その後少しずつマイナーチェンジを繰り返していきました。リンゴは、1963年~1967年にこのドロップーTの付いたバスドラムを使用していましたが、それらは少しずつデザインが異なっていて、全部で7種類あったんです。アービターによると、2番目のロゴがビートルズが初めてエド・サリヴァン・ショーに出演した1964年2月9日に使用された最も有名なものだとのことです。これは、「サリヴァン・ヘッド」と呼ばれています。

 

1964年1月にビートルズは、初のアメリカ・ツアーの準備をしていたのですが、アービターは2番目のロゴを作るよう注文を受けました。資料には残されていませんが、ビートルズが、アメリカの大舞台でビッグ・チャンスを掴むために、ロゴのデザインをもっとビートルズの名前を観客や視聴者にアピールできるようにしようと考えたのかもしれません。第1号は、デザインとしては秀逸でしたが、バスドラムの文字の線が細目で余白が多いため、ややインパクトに欠ける嫌いがありましたから。

 

再度、ストークスが作ったのですが、今回はレモ社製のウェザー・キングというスキンの上にすることになりました。その頃Drum Cityは、レモ社の正規の販売店にもなっていて、アービターは、ヘッドの上部のリムの近くに小さな王冠のロゴを入れるよう要求しました。彼もなかなかの商売人で、ラドウィッグだけでなく、レモ社のロゴも入れれば同社にとって大きなPRになり、一石二鳥だと考えたのです。

 

ビートルズは、もうその時点で既にイギリス国内でスーパーバンドとしての地位を確立していました。そのため、アービターには、洒落たデザインを作ってくれるであろうというかなりの期待がかかりました。ストークスは、2番目のロゴを最初のそれより遥かに大きく、バスドラムの端から端まで目一杯になるようデザインし、太文字はそのまま使いました。第1号に比べると隅っこにあったラドウィッグのロゴが目立つ位置に移動し、その後にはレモ社のロゴが新たに加わり、「THE BEATLES」の文字がより大きく太くなっています。

 

リンゴは、ドラムキットをアメリカまで運搬する手間を省いて現地で購入しました。マンハッタンの「Manny’s Music Store」が注文を受け、配送する直前に歴史的なエド・サリヴァン・ショーに登場したロゴが張り付けられたのです。f:id:abbeyroad0310:20160721161801j:image

Pinterest.com)

(参照文献)beatlesuits.com

(続く)