★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

2016-01-01から1年間の記事一覧

(その103)ビートルズのテレビ出演(その1)

1 ビートルズのテレビ出演 ビートルズは、ラジオだけではなくテレビにも何度も出演しています。今回は、彼らのテレビ出演についてご紹介します。 記念すべき初出演は、1962年8月22日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブでした。テレビ局のスタジオじゃな…

(その102)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その5)

ジョージのギターが冴えている作品の紹介はいよいよこれが最後です。 (Beatles By Day) 1 タックスマン これはジョージの作品であり、傑作の一つといえるでしょう。この作品では、ポールのギターソロに注目が集まりがちですが、実は、作品全体にエキセン…

(その101)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その4)

ジョージのギターが冴えている作品の紹介を続けます。 1 アイ・コール・ユア・ネイム これはれっきとしたレノン=マッカートニーの作品ですが、ブライアン・エプスタインがビートルズと同時にマネジメントしていたバンドであるビリー・J・クレーマー・アン…

(その100)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その3)

引き続き、ジョージのギター・テクニックを感ずる作品についてのお話を続けます。 (Pinterest) 1 シー・ラヴズ・ユー www.youtube.com ジョンとポールのツイン・ヴォーカルが印象的な作品ですが、ジョージは、グレッチ・カントリー・ジェントルマンで、メ…

(その99)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その98の補足)

1 大きな反響 予想通り、前回の記事にも大きな反響がありました。また、貴重なご意見もいただきました。ブログを更新した直後が一番アクセスが多く、徐々に減っていくのが一般的な傾向だと思いますが、逆に、後になるほどアクセスが増えています。ありがと…

(その98)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その2)

1 年齢からくるハンデ (1)19歳の若さでデビュー! (2)レノン=マッカートニーが次々と作り出した新たなサウンド (3)解散後にスライドギターのテクニックが評価された 2 サウンドの質の高さに拘った 3 独創的なフレーズを生み出した 4 ジョージが導…

(その97)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(補足)

1 関心の高さ 前回(その96)の記事について様々な反響がありました。予想通りアクセスも一気に増えました。リンゴのドラム、ポールのベースに関して過去に書いた記事も相変わらずアクセスが多いことからして、全体的にビートルズの演奏のテクニックに関…

(その96)ジョージ・ハリスンのギター・テクニックについて(その1)

1 ジョージのギター・テクニックについての論争 2 ジョージに対する評価は低くないか? 3 ソロ・プレイをあまりやらなかったのはなぜ❓ 4 出発点が他のギタリストとは違った 1 ジョージのギター・テクニックについての論争 「ジョージ・ハリスンはギター…

(その95)日本のファンは、ビートルズをどう受け入れたか?(その2)

1 ギャラの送金(補足) 2 なぜ大人は、ビートルズを拒否したか? 3 前座のパフォーマンス 4 通訳をした会田公(あいだきみ)さん 5 ビートルズの来日に反対した人々 6 当時のニュース映像 武道館公演のお話しが途中で終わってました。まだ、続きがあ…

(その94)映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その7)

1 字幕のお話の続き 字幕では、ビートルズが初めてビートルズスーツの製作を「仕立て屋」に依頼したと出てくる箇所ですが、本当は具体的な人物(べノ・ドーン)を指しているんですね。ただ、最初に翻訳した松浦氏が人物名を出したところで観客は何のことだ…

(その93)映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その6)

1 アメリカから観たビートルズ 前回に続いて、藤本、野口両氏の講演の内容をご紹介します。今回は関係者しか知らないホントの裏話をお話しします。長くなってしまうので2回に分けますね。 この映画は、どちらかというと、アメリカ人の視点から描いたビート…

(号外)第6回南港ビートルズストリートへ行って来ました。

ビートルズをこよなく愛するアマチュア・バンドの祭典、第6回南港ビートルズ・ストリートに行ってきました。 大阪南港はもちろん港で海がすぐ傍にあるんですが、その雰囲気がマージー川に面したリヴァプールに似ているので会場に選ばれたんだそうです。 ア…

(その92)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その5)

1 「サージェント・ペパーズ」で音楽界に革命を起こした 2 映画の特典 3 撮影秘話 4 おまけ 1 「サージェント・ペパーズ」で音楽界に革命を起こした ビートルズは、アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で音楽界に革…

(号外)リンゴ・スターのライヴを観てきました!

2016年10月24日、大阪のオリックス劇場で開催されたリンゴ・スターのライブを観て来ましたあ〜(*≧∀≦*)今年日本でトップです。会場の前にはまだ1時間前だというのにもう長蛇の列が。バンドのメンバーは、スティーヴ・ルカサー(TOTO ギター、ヴォーカル…

(その91)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その4)

1 過酷なツアーは続いた 過酷なツアーはまだ続きました。1964年夏に再びアメリカを訪れたビートルズに久しぶりに再会したエド・サリヴァンに、リンゴが「30日で25都市もコンサートをやるんだ。参るよ。」とボヤきました。日程が過酷なだけではなく、どのコ…

(その90)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その3)

1 マスコミとの関係の悪化 しかし、この頃から彼らのツアーに暗雲が垂れ込めるようになりました。追い打ちをかけたのがジョンの発言です。ジョンがイギリスで1966年3月4日のオフの時に取材に答えたのですが、「ビートルズは、キリストより人気がある。」と…

(その89)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その2)

映画のレポートとレヴューを続けます。 1 リヴァプールの英雄 ジョンは、インタヴュアーから「ゼスト(熱意)を持ち続けることは難しいか?」と聞かれ「ゼストを尽くしてるよ」(多分、ベストのしゃれのつもりでしょうね)と答えました。そして、「なぜファ…

(その88)ドキュメンタリー映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を観た!(その1)

1 映画のレポート及びレヴュー 2 始まり 3 「ビートルマニア」現象の発生 4 全米制覇へ 5 アメリカン・ツアー同行記 1 映画のレポート及びレヴュー 元々ドキュメンタリー映画ですし、既にファンの方もかなり観たでしょうから、もうネタばらししても大…

(その87)日本のファンは、ビートルズをどう受け入れたか?(その1)

2016年9月25日、京都の七条でビートルズ愛好家の野口敦さん、藤本国彦さんの講演をお聴きする機会に恵まれました。この本を執筆した方です。 貴重なお話を聴くことができましたので、皆さんにお伝えします。まずは、武道館公演についてです。 1 武道館公演…

(その86)ビートルズ・スーツついに誕生!(その2)

1 ビートルズがベノ・ドーン・スーツを初めて着用したのはいつか?(再検討)ビートルズが公式の衣装として始めて採用した「ベノ・ドーン・スーツ」をいつから着用したのかについて再検討してみました。 2 2つの仮説私は、前回の(その85)の記事で「B…

(その85)ビートルズ・スーツついに誕生!(その1)

1 ビートルズ・スーツついに誕生!1962年1月24日、ピート・ベストの自宅でビートルズとマネージャー契約を結んだブライアン・エプスタインは、早速ビートルズを売り込もうと活動を開始します。その手始めとして、彼は、ビートルズにスーツを着用させること…

(その84)ビートルズのラジオ出演について(その3)

1 地道な努力の積み重ね 1962年3月7日の収録は、BBCで翌日の午後5時から5時30分の間に放送されました。もっとも、これで即ビートルズがブレイクしたわけではありません。カヴァー曲ばかりでオリジナルは一つもありませんでしたし、目を見開くほど素晴ら…

(速報)映画「EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years」のワールド・プレミアイベントに参加しました!

1 ワールド・プレミアイベントの開催 大阪のTOHOシネマズ梅田で開催されたビートルズのドキュメンタリー映画「EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years」のワールド・プレミアイベントに参加しました。 そのイベントを盛り上げるために、2016年9月15日、…

(その83)ビートルズのラジオ出演について(その2)

1 メンフィス・テネシーについてビートルズが演奏した曲のうち「メンフィス・テネシー」は、ビートルズが敬愛する偉大なアメリカのロックンローラー、チャック・ベリーの曲です。確かに、ロックンロールというよりはC&Wに近いライトな感覚の曲ですね。ジョ…

(その82)ビートルズのラジオ出演について(その1)

1 ブライアン・エプスタインのメディア戦略ビートルズのマネージャーをアラン・ウィリアムスから引き継いだブライアン・エプスタインは、ビートルズにリヴァプールのクラブから離れた他の地域で演奏させることを計画していました。イギリス国内のありとあら…

(号外)ブログが開設1周年を迎えました!

このブログを開設したのは2015年9月5日でした。そして、2016年9月5日をもって1周年を迎えることができました。その前にも手始めに違うブログを開設していたのですが、そちらはある程度の段階でネタが尽きて店じまいすることになりました。まあ、最初はこん…

(その81)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その6) 第6号そして最後のドロップ-T、第7号「レット・イット・ビー・ヘッド」登場

1 ドロップーT第6号のその後この写真は、1966年6月16日、ビートルズにとってサイトのTV出演となった、イギリスのTV番組「トップ・オヴ・ザ・ポップス」のワンシーンです。 (beatlesuits.com)このスキンは、1967年6月25日に全世界で衛星放送され、ビート…

(その80)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その5) ドロップ-T第4号〜第6号登場 いわゆる「アメリカン・ツアー・ヘッド」の時代

1 ドロップーT第4号「ファースト・アメリカン・ツアー・ヘッド」登場ビートルズは、1964年5月に休暇を取りました。5月31日には、プリンスオブウェールズシアターでコンサートを開催しました。このコンサートでリンゴのドラムに明らかな変化があったのです…

(その79)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その4) ドロップ-T第3号「ア・ハード・デイズ・ナイト・ヘッド」登場

1 ドロップーT第2号はなぜ誕生したのか?こうしてドロップーT第2号のドラムキットが誕生したのですが、実は、ストークスが下書きした鉛筆の後はそのまま残っていたんです。普通は完成したら消すもんですが、消し忘れたんでしょうねf^_^; ビートルズは、…

(号外)「スタジオラグへおこしやす」へビートルズを紹介する記事を寄稿しました

1 スタジオラグへおこしやすへ記事を寄稿しました! 「スタジオラグへおこしやすーバンド・音楽・楽器のお役立ちWebマガジン」のHPにビートルズを紹介する記事を寄稿しました。 今回は、9月22日に全国一斉にロードショーされるビートルズのドキュメンタリー…