★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

2016-01-01から1年間の記事一覧

(その78)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その3)

1 「スターズ・プレミア・キット」はどうなった?そういえば、リンゴが以前使用し、Drum Cityへ新しいドラムキットと引き換えに渡した「スターズ・プレミア・キット」は、その後どうなったんでしょうか? エヴァンスは、こう語っています。「私は、リンゴの…

(その77)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その2)

1 最初のロゴビートルズのロゴの歴史をもう一度おさらいします。1961年12月17日に写真家のアルバート・マリオンが撮影した時のロゴがこれです。まだピートがメンバーだった頃ですね。1962年8月に彼は解雇されましたが、これは恐らく「THE BEATLES」のロゴの…

(号外)ビートルズのドキュメンタリー映画「EIGHT DAYS A WEEK-The Touring Years」2016年9月22日全国一斉ロードショー!

thebeatles-eightdaysaweek.jp ビートルズの栄光の軌跡を描いたドキュメンタリー映画「EIGHT DAYS A WEEK-The Touring Years」が2016年9月22日全国一斉にロードショーされることになりました。「ダ・ヴィンチ・コード」「アポロ13」「バックドラフト」そし…

(その76)「THE BEATLES」のロゴは誰が考えた?(その1)

1 世界的に有名な「THE BEATLES」のロゴ でっかいBの文字とTの文字の縦の棒が下に長く伸びたあまりに有名なこのロゴ。リンゴのバスドラムにバッチリ表示されているので、ファンでなくても見たことがあるという方は、多いのではないでしょうか?何の装飾も…

(その75)ビートルズの名を生み出した夭折の天才アーティスト、スチュアート・サトクリフについて(その4)

1 アストリッドが残した物ビートルズの元ベーシスト、スチュアート・サトクリフに話を戻します。アストリッドがビートルズに多大な影響を与えたものの1つとして挙げられるのは、「ビートルズカット」として後に有名になるヘアスタイルの原型です。それだけ…

(その74)アビイ・ロードでジャケット写真とそっくりの写真を撮ろう!

1 ビートルズ不朽のアルバム「アビイ・ロード」 2 アビイ・ロードはどこにある? 3 ロンドン市内の地下鉄の乗り方 4 地図を確認しておこう 5 2人以上で行くこと 6 車に気をつけて! 7 早朝がオススメ 1 ビートルズ不朽のアルバム「アビイ・ロード」…

(その73)ビートルズが日本にやって来た!(その2)

1 日本と他の国とのファンの違い (Wikipedia) ビートルズは、武道館が武道のための神聖な場所であること、そこでロック・コンサートが開催されること自体が極めて異例であることを良く理解していました。また、国内で彼らを排斥するデモが起こっているこ…

(その72)ビートルズが日本にやって来た! (その1)

1 始めに スチュアート・サトクリフの話を続けていたところですが、ここでまたまた話題を変えます。話がコロコロ変わってすいませんf^_^;)今からちょうど50年前にビートルズがこの日本にやって来たのです。ちょうどいい時期なので、このことを採りあげてみ…

(その71)ビートルズの名を生み出した夭折の天才アーティスト、スチュアート・サトクリフについて(その3)

スチュアート・サトクリフのお話を続けます。彼の作品は、後期に入ると前期の写実的な画風からこんな抽象的な画風に変わりました。1962年の作品でタイトルはありません。この画風だと私は、カンディンスキーやポロックを連想します。 (Judith I Bridgland)…

(その70)ビートルズの名を生み出した夭折の天才アーティスト、スチュアート・サトクリフについて(その2)

1 リンゴ・スターとの出会い 2 アストリッド・キルヒャーとの出会い 3 画家として優れた才能を発揮 1 リンゴ・スターとの出会い ポールは、こう語っています。「スチュは、とてもカッコ良くなっていた。以前よりも少しにきびが増えて、芸術大学の学生み…

(号外)ビートルズのトリビュートバンドのライブに行ってきました

いやあ、とんだ勘違いをしてましたf^_^; 2016年5月21日に開催された「大阪南港ビートルズストリート」の動画をYouTubeにアップしたんですが、バンド名を間違えて紹介してたんです。私が「The Beatles Real Live Band」と紹介してたバンドは、実際は、「The B…

(その69)ビートルズの名を生み出した夭折の天才アーティスト、スチュアート・サトクリフについて(その1)

1 ビートルズの元ベーシスト 2 生い立ちとジョンとの出会い 3 ビートルズの名付け親 4 ドイツのハンブルクへ 5 ジョンはスチュを尊敬していた (AlohaCriticon) 1 ビートルズの元ベーシスト ポールのベース・テクニックについてお話をしてきましたが…

(号外)NHKで「ビートルズ来日の裏側」が放送されました

1 武道館コンサートの裏話 (theguardian) 1966年6月29日、ついにビートルズが初めて日本の羽田空港に降り立ちました。既に世界中のファンを虜にしていた彼ら。ついに夢の日本公演が実現したのです。NHKの2016年6月4日の放送は、この時のドキュメントを…

(その68)ポール・マッカートニーのベース・テクニックについて(その5)

ポール・マッカートニーのベース・テクニックについて、具体的な作品を通じてのお話を続けます。もう5回目になってしまいましたが、まだまだ語りつくせません。でも、あまり同じテーマが続くのも何なので、一旦、今回で打ち切りとしてまた別の機会にお話し…

(号外)スチュアート・ケンドールさんからメッセージをいただきました

ジョンとミックの間に座っているのが若き日のスチュアート・ケンドールさんです。サージェント・ペパーがリリースされたばかりの頃ですね。 彼に5月21日に大阪で開催された「第5回南港ビートルズ・ストリート」でのアマチュアバンドのビートルズナンバーの演…

(号外)スチュアート・ケンドールさんからメッセージを頂きました

2016年5月21日に大阪南港のATCセンターで開催されたアマチュアバンドによるビートルズのカヴァー・コンサート「第5回南港ビートルズストリート」のシーンを動画で撮影しました。そのことをケンドールさんに伝えたら、是非送って欲しいとのことでしたのでフ…

(その67)ポール・マッカートニーのベース・テクニックについて(その4)

1 RAIN(REVOLBER 1966) 2 WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIEND(SGT. PEPPER 1967) 3 GETTING BETTER(SGT. PEPPER 1967) 4 HEY BULLDOG(YELLOW SUBMARINE, 1968) 5 COME TOGETHER(ABBEY ROAD 1969) 6 WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS(THE WHITE…

(その66)ポール・マッカートニーのベース・テクニックについて(その3)

ポールマッカートニーのベース・テクニックについて、具体的な作品を通じての解説を続けます。 SOMETHING(ABBEY ROAD 1969) www.vidio.com (JamBase) 1 ポールの代表的ベースラインの一つ TAXMANと双璧をなすといっても過言ではない見事なメロディック…

(その65)「FAB4」の名付け親、トニー・バーロウを偲ぶ

1 「FAB4」の名付け親 ビートルズの最初の広報担当だったトニー・バーロウが、2016年5月14日、ランカシャーのモーカムの自宅で亡くなりました。80歳でした。彼は、ビートルズ​に「FAB4」という親しみやすいニックネームを付けたことで有名です。 2 ビ…

(その64)ポール・マッカートニーのベース・テクニックについて(その2)

1 メロディアス・ベースの極致 2 シンプルながら革新的なベースライン 3 ポールが実際にどう弾いたかは分からない! 4 ポールのベース・テクニックの凄さ 5 ギターソロもポール! 6 4人で作った名曲 それでは、具体的な作品でポールのベース・テクニ…

(その63)ポール・マッカートニーのベース・テクニックについて(その1)

1 メロディックベースの創始者 2 ギタリストからベーシストへの転身 3 ポールが使用したベースのスケールが持つ意味 (1)ヘフナー500/1ヴァイオリン・ベース (2)リッケンバッカー4001S (3)的確なベースラインの選択 4 ドラムとの関係 (1)ベースと…

(その62)初の本格的なワールドツアーへ(その3)~名曲「Blackbird」はこうして誕生した!~

1 闖入者(ちんにゅうしゃ)現る 2 ニュージーランドへ 3 名曲「Blackbird」はこうして誕生した! 4 コンサート 1 闖入者(ちんにゅうしゃ)現る 6月20日の夜、ビートルズが宿泊先にしていたシドニーのシェヴロン・ホテルで、翌日にニュージーランドへ…

(その61)「13日間のビートル」ジミー・ニコル

1 ジミー・ニコルのステージ 2 ニコル、ロンドンへ帰る 3 ニコルのその後 4 「Getting Better」のヒントになった 5 ニコル、ついに沈黙を破る 6 ビートルズの裏話が聞けた 1 ジミー・ニコルのステージ 13日間、リンゴの代役を務めたジミー・ニコル…

(その60)初の本格的なワールドツアーへ(その2)

1 香港へ次の行き先は香港でした。 6月8日に、1,000人を超えるファンが、香港のカイ・タック空港でビートルズを出迎えました。彼らは、税関と入国審査をVIPルートで通過し、カオルーンにあるプレジデントホテルに直行して、15階の部屋に宿泊しました。 (LI…

(その59)初の本格的なワールドツアーへ(その1)

1 まずはデンマークから 映画「A Hard Day's Night」の撮影が終了した後、1964年6月からビートルズは、初の本格的なワールドツアーへ出発しました。 ビートルズは、1963~66年にワールドツアーを1回行っただけでした。1964年6月4日にデンマークのコペンハ…

(その58)ア・ハード・デイズ・ナイト(アルバム)(その2)

1 リッケンバッカーのサウンド ビートルズは、1964年2月にアメリカを初めて訪れた時、あの有名なギターの製造元であるリッケンバッカー社の社長のフランシス・ホールに会いました。 ホールは、新しい楽器とアンプのデモをするために、ニューヨーク市で会議…

(号外)スチュアート・ケンドールさんからメッセージを頂きました。

1 スチュアート・ケンドールさんに尋ねてみた 2 ケンドールさんの証言 3 事実だった! 1 スチュアート・ケンドールさんに尋ねてみた 私が参加しているフェイスブックのビートルズのファングループの間で、「ジョンとポールの関係って結局どうだったんだ…

(その57)ア・ハード・デイズ・ナイトのオープニング・コードの謎

1 鮮烈なイントロ 2 長きに亘った論争 3 論争の歴史をたどる 4 数学者による研究 (1)ジェイソン・ブラウン教授の研究 (2)ケビン・ヒューストン博士の研究 5 ついに真相が解明! 1 鮮烈なイントロ 正に名曲の一語に尽きます。リリースから50年以上…

(その56)ア・ハード・デイズ・ナイト(アルバム)(その1)

かなり寄り道しましたが、「ア・ハード・デイズ・ナイト」のアルバムの制作に話を戻します。この写真は、レコーディング・セッションの様子です。 1963年において、イギリス国内でファンのハートを鷲掴みにしたビートルズは、1964年に活躍の場を世界へと拡大…

(号外)リジー・ブラボーさんからメッセージを頂きました

ビートルマニアとして、若い頃にビートルズの追っかけをしていたことで世界的に有名なリジー・ブラボ-さんからメッセージを頂きました。以前からお話ししているスチュアート・ケンドールさんから彼女を紹介してもらっていたんです。 簡単に彼女のプロフィー…