★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョージは自分のバンドを持っていた(472)

兄ハリーの結婚披露パーティーでプレジデントを持つジョージ

1 その後のジョージのギター

(1)ファンが自宅に押し掛けだした

ジョージの生家

ジョージが初めて手に入れたエグモント105/0(ロゼッティ276)ですが、安物だったうえに自分が壊してしまったため、新しいギターに買い換えました。しかし、最初のギターは捨てずに保管していたのです。

1962年から1965年まで、父親のハロルドとジョージの家族はリヴァプールのマケッツ・レーン174番地に住んでいましたが、ジョージ・ローリンソンと呼ばれるもう一人のジョージは、母親のエスターとジョージと呼ばれる父親とともに、わずか9軒離れたマケッツ・レーン156番地に住んでいました。つまり、偶然近所にジョージが3人いたのです。この期間中、ビートルズは大きな成功を収め、イギリスで最も偉大なバンドに成長しました。

ファンは、ジョージの自宅の住所がマケッツ・レーンにあることをすぐに知り、彼らの多くがアイドルを一目見ようとこの道路を訪れ、ジョージの家の外をうろうろしていたのですが、もちろん、これははなはだ迷惑なことでした。

また、ファンがただやって来て、ジョージがどこに住んでいるのか尋ねることもありましたが、その多くは、彼がジョージとも呼ばれていたため、まったく無邪気にジョージ・ローリンソンの家の方角を指さしたのです。間違われた方もたまったものではありません。

(2)ジョージ一家は引っ越した

結局、両親のハロルドとルイーズは、ファンがあまりにも押しかけてくるため、ウォリントン近郊のアップルトンに息子が買ってくれた新しい家に引っ越ししました。引っ越しの日、引っ越し業者が家からすべてのものを運び出すために巨大なバンに乗ってやってきました。

ルイーズは、道でジョージ・ローリンソンを見つけ、息子が練習に使っていた古いギターが欲しいかと尋ねました。「あの子にはもう必要ないわ」と彼女が言うと、ローリンソンは感謝して受け取り、それ以来それは彼の所有物になりました。後にそれがとんでもないお宝になるとは2人とも夢にも思いませんでした。

やがて半世紀以上の時が経ち、このギターが戸棚に保管されているのが発見されました。1980年代半ばにロンドンで競売にかけられ、匿名のイギリス人が落札し、彼は、1995年から2002年までクリーブランドのロックの殿堂に貸し出しました。2003年のオークションで27万6千ポンド(日本円で約3億4000万円)で落札されました。現在は、リヴァプールにあるビートルズ記念館の「ザ・ビートルズ・ストーリー」に展示されています。

 

 

2 自分でバンドを組んだ

(1)先にオーディションを受けた

左:ジョージの友人のアーサー・ケリー

ルイーズは、こう語っています。「ある日、ジョージが家に帰ってきて、スピーク(リヴァプール郊外の都市)にある英国在郷軍人会のオーディションを受けたと言ったの。私は、馬鹿じゃないの、グループも決まっていないのにって言ったわ。そしたら、彼は心配しないで、きっと受かると言ったの」

オーディションを受けてからバンドを組むとは、アマチュアとはいえ大胆な行動です。「クワイエット・ビートル(静かなビートル)」と呼ばれて大人しいイメージがあるジョージにしては、ちょっと意外なエピソードです。

ジョージは、英国在郷軍人会のパーティーで演奏するために「ザ・レベルズ(反乱軍)」と名乗るバンドを結成しました。兄のピーターと友人のアーサー・ケリーがギターで、他に茶ダンスとマウスオルガンを2人が演奏しました。ジョージは、ギターを弾きました。それにしても、子どもだったとはいえ、在郷軍人会のパーティーで「反乱軍」を名乗るとは大した度胸です。

(2)10シリングを受け取った

その日の夜、彼らは全員、垣根の後ろに身を隠しながら一人ずつ自宅を出ました。ジョージは、おせっかいな隣人たちに自分たちが何をしているのか知られたくなかったのです。彼らはホールに着いたのですが、本物のアーティストは来ていませんでした。演奏者は他に誰もいなかったため、彼らは、そのまま一晩中演奏するしかありませんでした。*1

彼らが何を演奏したかまでは記録されていませんが、楽器の構成からしてスキッフルでしょう。そして、ギャラとして10シリングを受け取ったのです。音楽でお金を稼いだのは、彼の人生でおそらくこれが初めてでしょう。

驚きなのがほんの一瞬ではあったものの、ジョージが自分のバンドを持っていて大勢の観客の前で演奏したことです。ポールの紹介でクオリーメンに参加したエピソードは広く知られていますが、自分のバンドを持っていたことはそれほど認識されていないでしょう。

 

 

3 新しいギターが欲しくなった

(1)まともなギターが欲しくなった

ジョージをいつも応援した母親のルイーズ

ジョージは、入門段階では父親の友人の助けを借りたものの、その後は、独学でギターのスキルを習得し努力と練習を続けました。数か月も経たないうちに彼は、母親のルイーズに新しいギターが必要だと訴えました。最初のギターは元々安物だったうえに、ジョージが一度壊してしまったので満足にギターの練習はできませんでした。ただ、彼が欲しいと思った新しいギターは、30ポンド(約45万円)もする高額な商品でした。さすがに生活が苦しい中では相当な出費です。普通の母親ならとても買えないと断ったでしょう。

(2)母親が協力してくれた

しかし、ルイーズは、ジョージとは異なる子ども時代を過ごし、自分のやりたいことをするように両親から勧められたことは一度もありませんでした。だから、せめて息子にはやりたいことをやらせてやろうと考えていたのです。そのため、息子の音楽の才能と興味に気づくといつも賛成し、30ポンドのヘフナー・プレジデントを買えるまで貯金しました。

これまで公認された唯一のビートルズの伝記の中で、ジョージは、「母は確かに私を励ましてくれた。やりたいことは何でもやらせてくれて私を落胆させなかった。それが母と父の良いところだった」と説明しています。この点、音楽が嫌いでジョンがギターに熱中するのを眉をしかめていたミミ叔母さんとは対照的ですね。

 

 

4 2本目のギター~1958 ヘフナー・プレジデント

1958 ヘフナープレジデント

ジョージが次に手に入れた「ヘフナー・プレジデント」は、シングルカッタウェイのチェロ・スタイルの最高級モデルで、サンバースト・フィニッシュ、コンペンセイター・テールピースを備えています。シングルカッタウェイとは、ギターを構えた時に、ボディーの下側がネックの根元でえぐられているタイプのことを指します。なぜえぐられているかというと、ギタリストがより高音を出すためにはネックの根元まで手を移動させる必要があるため、えぐれている方がハイフレットで指を動かしやすいからです。

アコースティックギターは、ボディーでサウンドを増幅する必要があるため、カッタウェイにはしにくいのですが、エレキギターはその必要がないため殆どがこのタイプです。チェロ・スタイルとは、チェロのようにFの字にサウンドホールが開けられているタイプです。

サンバースト・フィニッシュはギターのフィニッシュ(仕上げ)の一つで、周囲が濃く中央に向かって薄くなるぼかしのかかったグラデーションになったものを指します。一般的には周りが黒く、徐々に茶色がかった色に変わっていく色を指します。コンペンセイター・テール・ピースは、弦の末端をボディーに固定するギターの付属品で、弦の長さを個別に調整できる機能を持っています。

 

 

5 エレキギターを手に入れた

(1)レコーディングに使用した

www.youtube.com

プレジデントは、あくまでアコースティックギターです。それでジョージは、ピックアップを追加してセミ・エレクトリック・ギターにして音量を増やしました。彼は、このギターを「In Spite of all the Danger」、「Hello Little Girl」などの初期のレコーディングで演奏しています。

やがてジョージは、ポールの誘いでクオリーメンに参加しました。1958年12月、リヴァプールのスピークにあるアプトン・グリーン25番地で行われたジョージの兄であるハリーの結婚披露宴に出席したクオリーメンはお祝いの演奏を披露しました。ジョージが、1958年製のヘフナー・プレジデントを手にしている写真が残されています。

(2)ヘフナークラブ40と交換した

ヘフナークラブ40を演奏するジョージ

しかし、せっかくルイーズが苦労して買ってくれたこのギターを、ジョージはほどなく手放してしまいます。彼の興味はスキッフルからロックンロールに移っており、エレキギターが欲しかったのです。彼は、このギターをレイ・エニスが持っていたヘフナー・クラブ40に交換しました。エニスは、スウィンギング・ブルー・ジーンズというバンドを結成していました。彼らの最大のヒット曲は「Hippie Hippie Shake」でチャート2位を記録し、ビートルズも下積み時代に盛んにカヴァーして演奏していました。

後にジョージは、こう語っています。「すぐに飽きてクラブ40に交換したんだ。今までで一番素晴らしいギターだと思ったよ」エニスは、こう語っています。「ジョージが手に入れたクラブ40は、もともと私のものだったんだ。彼のアコースティック・ヘフナーと交換したんだけど、サンバーストでFホールがあった。当時、ビートルズがこんなに有名になるなんて誰が想像できただろう?あの頃は、すぐにギターに飽きてしまって、何度も交換したものだよ」ついにジョージは、生まれて初めてエレキギターを手に入れたのです。

(参照文献)ハリスン・アーカイブ、ティル・オンリー・サイレンス・リメインズ

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*1:ザ・ビートルズ公認伝記 1968年