★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョージとギターとの出会い~天才ではなく努力家だった(471)

生まれて初めて買ったギターを弾くジョージ

1 音楽との出会い

(1)幼いころから音楽に触れていた

ジョージを囲んで左が父親のハロルド、後ろが兄のハリー、ピーター、右が母親のルイーズ

「物心ついたときから音楽は好きだった。覚えているのは、ごく初期の『One Meat Ball』『Hong Kong Blues』、これは私が最初に覚えた曲の一つで(4歳くらいだったはず)、ブルージーな曲だった。幸せな時代だった。赤ん坊の頃から両親とよく出かけた。クラブで踊ったしてた。幼い頃、小さな革の椅子の上に立って『One Meat Ball』を歌っていたのを覚えているよ」*1 他の多くのミュージシャンと同じように、ジョージも幼いころから音楽に触れて家族の前で歌ってたんですね。

(2)ギターに興味を抱いた

ジミー・ロジャース

ジョージは、学校に通学するようになると、毎日放課後自宅に帰ってラジオをつけました。彼は、当時流行していたジミー・ロジャース、ビッグ・ビル・ブルーンジー、スリム・ホイットマン、そしてイギリスのさまざまなミュージックホールの曲を聴きました。

1992年、ジョージは、ティモシー・ホワイトの取材にこう答えました。「僕がギターを持っている人物で初めて興味を抱いたのはジミー・ロジャースだった。父が何枚かレコードを持っていて、よく(船乗りとして)海に行っていたんだけど、大きなレコード・プレーヤーとジミー・ロジャースのレコードを持って帰ってきたんだ。『Waiting for a Train』とか『Blue Yodel』とか。だから、7歳か8歳位の子どもの頃からずっと覚えているんだ」*2

「その後、僕がもう少し大きくなった頃、フロリダ出身の男がいて、彼は、50年代にイギリスで大成功を収めた。スリム・ホイットマンという名前だった。ここでもギターを持ったシンガーがいた。それがビル・ヘイリーになった。そしてイギリスでは、伝統的なジャズ、つまりディキシーランド・ジャズから生まれたスキッフル・ミュージックという大流行が起こったんだ」1940年代から50年代にかけて、音楽の流行ジャンルも時代によって変わっていったことがよくわかります。

 

 

2 ロックンロールに興味を持った

(1)周囲の誰もギターを弾いていなかった

ジョージが初めて見たギターは、アメリカのカントリー&ウェスタンアーティストであるスリム・ホイットマンが所有していたギブソンでした。ジョージは、他のスターが使用しているさまざまなモデルに気づき始めました。たとえば、ジャンゴ・ラインハルトのアコースティック・セルマー・マカフェッリです。ギターにも様々な種類があることに気づいたんですね。

彼の自宅近くでは、コメディアンのジョージ・フォームビーがウクレレを演奏していました。これらの不思議な物体は、雑誌にランダムに掲載されたり、テレビのライヴパフォーマンス中に時折垣間見えたりしました。

学校では音楽の授業はありましたが、ギターを弾くことはありませんでした。ジョージは、学校の授業の時間は後ろの席に座って、レッスンに集中する代わりにギターの絵を描いていました。彼の母親ルイーズは、家の中で声を張り上げて、主にショーの曲を歌っていました。音楽好きの家庭ではあったものの、誰も楽器は演奏しなかったんですね。

(2)エルヴィス・プレスリーとの出会い

これらの経験は、ジョージに音楽好きになるという永続的な影響を与えたことははっきりしています。しかし、音楽の好みが親によって完全に決定された若者はそれほど多くはありません。ジョージも同様に決してカントリーファンにはならなかったのです。そして、他の将来のビートルと同様に、ジョージの十代のひらめきの瞬間は、テネシー州メンフィスから生まれました。

その事件が起きたとき、彼は、自転車で近所の家の前を通っていました。ラジオからエルヴィス・プレスリーの「Heartbreak Hotel」が流れていました。ジョージは、この新しいサウンドに酔いしれてその家の近くまで聴きに行きました。エルヴィスは、この曲で「lonely street」について歌いましたが、それは、まるでスピーク州アプトン・グリーン25番地から離れた全く新しい世界があることを保証しているかのようでした。

 

3 生まれて初めて手にしたギター~エグモント105/0(ロゼッティ276)

(1)入門者用のギター

ギターをフィーチャーした音楽に興味を抱くようになるにつれ、ジョージは自分もギターが欲しいと思うようになりました。そんな時、同級生がジョージに初心者用のギターを3ポンド10シリングで売りたいと持ち掛けてきました。ジョージがホワイトに語ったところによると、彼は、3ポンド50ペンスで買ったと語りました。 「ヒア・カムズ・ザ・サン:ジョシュア・M・グリーン」の著者であるジョシュア・M・グリーンの記事では3ポンド10シリングとなっていますが、実際は3ポンド50ペンスでした。本人がそう語ったのですから、記憶違いでない限り間違いありません。大した違いではありませんが、ちょっぴり値切ったんですね。

現在の日本円で4万5千円程度ですが、彼の父親はバスの運転手という労働者階級で貧しかったためこれでも大金でした。それでも、彼の母親は音楽が好きで、息子に楽器を弾くことを勧めました。

(2)エグモント105/0(ロゼッティ276)とは

ビートルズ・ストーリーに展示されているエグモント105/0

ジョージが買ったギターは、アコースティック・ギターでエグモント105/0、別名エグモント・トレドとも呼ばれていました。アコースティックですが弦はスチールです。エグモントはオランダのメーカーですが、トレドシリーズは、初心者向けの安価なギターとして販売されていました。通常のギターの3/4位の大きさだったので初心者にも扱いやすかったのです。イギリスではロゼッティ276という商品名で販売されていました。

ザ・ビートルズ・アンソロジー」の中で、ジョージは、このギターについて「本当に安っぽくてひどい小さなギターだったけど、当時はそれで良かったんだ」と回想しています。まだギターを弾き始めたばかりの少年だったジョージにはこれで十分だったんでしょう。サイズが小さかったのも、痩せて小柄な少年だった彼にとっては扱いやすかったかもしれません。初心者向けの安価なギターが、ビートルズの一人を誕生させたと思うと奇跡的な出会いだったんだなと感じます。

 

 

4 ギターに悪戦苦闘した

(1)なかなか上達しなかった

ジョージを励ましたルイーズ

やっと手に入れたギターでしたが、それを習得するのは非常に難しいことがわかりました。ルイーズは、こう回想しました。「ジョージは独学でギターを学ぼうとしたの。でも、なかなか上達しなかった。『こんなんじゃ上手くなりっこないよ』とよくこぼしていたわ。そのたびに私はこう言ったの、『ジョージ、あなたはきっと上手くなるわ。続けなさい』って」

ルイーズのこの辛抱強い励ましがなかったら、彼は、ギタリストになることを断念していたかもしれません。本人の努力だけでなく、周囲のサポートも大切であることを痛感させられます。13歳というのは楽器を演奏するには少し遅い年齢です。大体、5、6歳位で習い始めるのが一般的です。その点でジョージにはハンデがあったかもしれません。

(2)ギターを壊してしまった!

入門レベルから上達することの障害となったのは、ジョージ自身が好奇心でギターをいじったことでした。ギターがどのように設計されているか知りたくて、ヘッドのネジを外したのですが、それでネックとボディがバラバラになり、元に戻せなくなってしまったのです。自分では元に戻せなかったので戸棚に放り込んで数週間が経った後、兄のピーターが修理してくれました。それでも完全には戻らず歪んでいました。

 

 

5 父親の友人からレッスンを受けた

ギターを携えるジョージ

ギターと悪戦苦闘しているジョージを見かねたのか、ハロルドは、船乗り時代の友人であるレン・ハウトンがギターを弾いていたことを思い出し、ジョージに毎週ギターをレッスンしてもらうことにしました。「彼の父親にはパブを経営しギターを弾く友人がいて、ジョージに『ダイナ』や『ウィスパリング』といった20年代から30年代の曲のコードの押さえ方を教えた」とグリーンは書いています。

ジョージの元義妹であるジェニー・ボイド博士の著書中で、ジョージは、次のように述べています。「父親は、いつも夜勤か交代勤務で外に出ていたので、母親は僕が(ギターを)プレイするというアイデアをとても気に入ってくれた。父は、一緒に船に乗っていた友人の中にギターを弾いていた人がいたことを思い出した。」

「父親は、生活費が必要だったのでギターを友人に売ったが、それを買った彼は弾き続けていた。それで父親は彼に電話して、いくつかお手本を見せてやってくれないかと頼んだんだ。その人は酒屋を経営していて、店が閉まる週の夕方にはいつも私がそこに行き、ギターの弾き方を教えてもらった」*3

その後、その友人が彼に基本的なコードをいくつか教えてくれました。ジョージは、独特の粘り強さと努力で指から血が出るまで練習に取り組み続けました。基本的なコードを覚えると、その後は、スペイン語のギター教本「モダン・ギター・コード進行」を買ってそれで練習しました。

マチュアではあるものの、ギターの基本を教えてくれた人がいたのはラッキーでしたね。ジョージも後に彼に感謝しています。このエピソードからもジョージが、ギターを抱えて生まれてきた天才ではなく努力家だったことが窺えます。

(参照文献)ミディアム、チートシートティル・オンリーサイレンス・リメインズ、ファーアウト

(続く)

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*1:ジョージ・ハリスン・マルワ・ブルース

*2:ジョージ・ハリスン:インタヴュー・アンド・エンカウンターズ

*3:イッツ・ノット・オンリー・ロックン・ロール(ジョージ・ハリスン:インタビューと出会い)