★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ファッション・リーダーでもあったビートルズ(469)

お揃いのスーツに身を包んだビートルズ

1 音楽だけでなくファッションでもリーダーだった

(1)ファッションでもトレンドを作った

「ファッショニング・ザ・ビートルズ」の表紙と著者のディアドラ・ケリー

ビートルズが音楽で世界を制覇したことは誰もが知っています。しかし、ファッションにおいても彼らは時代をリードしていたのです。ビートルズは紛れもなく「美しい4人の人々」でした。

彼らのヘアスタイルとファッションセンスにより、若者たちは、洗練された60年代のトレンドの先駆者としての地位を確立しました。イギリス出身の作家であるディアドレ・ケリーは、2023年9月に発刊された「ファッショニング・ザ・ビートルズ」という自著の中で彼らのようなリヴァプール出身の若者たちが先頭となり、ビートルマニアや後の「フラワー・パワー」世代を洗練された自己表現でリードしながら、トップへの道を歩んでいったそれぞれの時期について主にファッションの観点から分析しています。

ケリーは、ビートルズが世界に知られる前から本質的にクールだったと断言しています。彼女の著書からビートルズのファッションセンスを分析してみましょう(以下の脚注は同書のページ)。

(2)ポールが先陣を切った

1957年11月23日、ニュー・クラブムーア・ホールでのライヴ

ポールは、父親にバレないように学生服のダブダブのズボンの下に細身のジーンズを履いて巧みに隠していました。彼の父は真面目な人だったので、制服を着てないと叱られたんでしょうね。ポールは、ジョンの誘いでクオリーメンに参加すると、すぐ彼に自分と同じような服装にするよう説得しました。ケリーは、ポールは「ソングライティングと自己表現に関して生来の才能を持っていた」と主張しています。*1

そして、1958年10月18日、ノリス・グリーンのニュー・クラブムーア・ホールで行われた少年たちの最初のライヴで、彼らは、紐の蝶ネクタイが付いたお揃いのクリーム色のツイード風の乗馬の時などに着用されるカジュアルなコートを着ていました。*2

ケリーは、「彼らは、似たような服を着ており、彼らの創造的な絆を世界に示していた」と記しています。*3つまり、衣装を揃えることでバンドの連帯感をアピールしたということです。ジョンとポールは、出会ってから共同で音楽活動を開始し、それからもずっと続けるつもりでした。

 

 

2 ジョニー・ジェントルにアドヴァイスされた

(1)ステージで映える衣装

ビートルズにステージ衣装の大切さを教えたジョニー・ジェントル

クオリーメンがザ・シルバー・ビートルズとなり、ジョニー・ジェントルという新人歌手が、初めて行った1960年夏のスコットランド・ツアーのバックバンド枠を確保した頃には、彼らのファッション・スタイルは「クリフ・リチャードっぽさ」を失い、より個性的なものになっていました。ちなみにクリフ・リチャードは、当時イギリスの人気ポピュラー歌手でした。

ケリーによれば、ジェントルは、「ステージ上で『シャープに見える』美徳を彼らに教え込んだ」のです。つまり、ステージでは演奏だけではなく、衣装も重要であることを教えたんですね。ジェントルのバックバンドとして彼のツアーに同行した時の彼らの衣装はバラバラで貧相なものでした。それを見かねたジェントルがアドヴァイスしたのです。彼に促されて、ビートルズは、「襟に銀の糸で縁取られた濃い色の長袖のボタンダウンのシャツ、デニムのようなズボン、そしてゴム底になっていて二色の紐の付いたシューズを履いた彼らの見た目は、初期のエルヴィスだった」

「ジョンは、後にその衣装を自分が通学していた美術学校からインスピレーションを得たものだと語った」とケリーは記述しています。実際にジョンの言う通りだったのかどうかはわかりません。ただ、彼らがエルヴィスに強烈な影響を受けていたので、ジョンの言葉を額面通りに受け取れない面もあります。

(2)貧困のために衣装がバラバラになった

ハンブルクのクラブで演奏するビートルズ

ビートルズハンブルクで活動している間(1960年8月~12月)、彼らの過酷なまでの生活環境とパフォーマンス環境は、彼らの衣装に大混乱をもたらしました。1960年10月までに彼らがインドラクラブから格上のカイザーケラークラブに昇格すると、「ボロボロの衣装を新調する代わりに安い服、帽子、装身具を見つけた」のです。衣装を新調する金がなかったため装身具でごまかしたんですね。毎日着ていても洗濯もあまりしていませんでした。「それらは、もはや一致しなかった」とケリーは書いています。*4ビートルズは、お金がないため衣装も満足に揃えられませんでした。当時の写真はモノクロなので、このチグハグ振りははっきりとはわかりませんが。

 

 

3 ハンブルクでスタイルに変化が

(1)アストリッドらにインスパイアされた

ビートルズのファッションに大きな影響を与えたアストリッド・キルヒャー

しかし、ジョン、ポール、ジョージ、ステュアート・サトクリフ、ピート・ベストが「エクシ」として知られる芸術家気取りの大学生グループと築いた友情は、悩む彼らの姿を変えたのです。そのグループは、アストリッド・キルヒャー、クラウス・フォアマン、ユルゲン・フォルマーらの若い反体制派の知識人たちの集まりでした。そしてすぐに、感受性の強い若いビートルたちが彼らを真似し始め、カウボーイブーツのような奇妙な装飾を施した黒い革のズボンとジャケットを着るようになりました。

ジョージの母親であるルイーズは、カナダ旅行のお土産としてエレガントなブーツを息子に送っていました。ケリーによれば、ジョージがハンブルクのカイザーケラー・クラブのステージでこれを見せびらかしたとき、ジョンとポールは、ドイツのデパートであるエルドマンでお揃いのペアを買うために最後の一シリングをすべて使い果たしたと記載しています。*5メンバー同士の見栄の張り合いみたいで、なんだか微笑ましいですね。

(2)野性が溢れていたのが特徴

1960年12月27日、リザーランド市庁舎でのライヴ

ビートルズハンブルクから帰国して、いわば凱旋公演となったリザーランド市庁舎でのコンサートで初めてビートルマニアが産声を上げた1961年末までに、ビートルズは、独自のスタイルを確立して故郷に帰ってきました。この頃の彼らには「ハンブルク直送!」などといったキャッチ・コピーがつけられていました。生粋のイギリスのバンドなのに、まるで逆輸入したような扱いですね。でも、それがとてもカッコいいイメージだったんです。

ケリーは、地元の音楽誌である「マージービート」に寄稿したキャヴァーン・クラブのDJであるボブ・ウーラーが彼らをこう評しました。「彼らは、可愛い少年ではなかった…生々しい面、騒々しい面を持っていた。そして、これが彼らに優位性をもたらした」とケリーは記しています。*6ビートルズは、サウンドはもちろんですが、ファッションにおいても他のバンドとは決定的に違っていたんです。

 

 

4 ブライアンがビジュアルを変えた

(1)より洗練されたファッション

ホーナー・ブラザーズでヘアカットしてもらうジョージ

若い起業家でNEMSレコードショップの経営者であるブライアン・エプスタインは、ビートルズのマネージャーに就任すると彼らの「生々しい面」「騒々しい面」を刷新する必要があると考えました。1961年11月9日にこの人気バンドを初めて見たとき、彼は興味をそそられました。そして翌月、彼らがあまり拘束力のない緩いマネージャー契約を締結すると、すぐに彼らの外見に磨きをかけ始めたのです。

ケリーは、「野蛮な若きビートルズ」が、1963年11月4日のロイヤル・コマンド・パフォーマンスでアルバート・ホールのステージを飾った洗練された若者へと変貌する様子を注意深く追いかけます。2年も経たないうちに、ブライアンは、ビートルズに全く新しいパブリックイメージを与えました。

まず、彼は少年たちをリヴァプールの尊敬されるホーナー・ブラザーズのジム・キャノンの理髪店に連れて行き、髪を整えてもらうよう要求し*7、それからマージー川を渡ってウィラルまで少年たちを連れて、バーケンヘッドの天才仕立て屋であるベノ・ドーンで印象的なオーダーメイドのスーツを新調しました。*8

このブライアンの戦略が大正解だったことは歴史が証明しています。この頃は、ラジオに加えてテレビが家庭に普及し始めていました。つまり、ビジュアルも重要になっていたのです。

(2)ブーツだけは残された

ビートル・ブーツの広告

グループは、1961年10月にロンドンのチャリング・クロス・ロードでジョンとポールが発見したキューバ製のヒール・ブーツを履くことは認められましたが、つま先が尖っていて、かかとが高くなっていたとケリーは記しています。彼女は、エプスタインは「確かに、彼らをより見栄え良くした」が、「彼らから硬くて生々しい野性味を取り除いた」とも指摘しています。彼女は、ビートルズのビジュアルの変化を嘆いています。「彼らが持っていたものは信じられないほどのものだった。(しかし)ブライアンは彼らからそれを取り除いた」*9

どうやら、ケリーは、ブライアンの戦略でビートルズがスタイリッシュになったことで、彼らの個性である野生っぽさがなくなったことが気に入らないようです。しかし、それは、間違いなくビートルズをスーパースターに押し上げるために必要な戦略でした。

(参照文献)カルチャーソナー

(続く)

 

 

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