★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

映像の世紀~ビートルズの革命「赤の時代」『のっぽのサリー』が起こした奇跡(428)

f:id:abbeyroad0310:20230615114158j:image

1 人工衛星の名称に曲名の一部が採用

(1)バタフライエフェクトとは

今回は、2023年6月12日にNHKで放映された「映像の世紀 バタフライエフェクト」のダイジェスト版です。ネタバレを含んでいますので、それをご了承の上でご覧ください。

バタフライエフェクト」とは、非常に小さな出来事が、最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながることです。今回は、ビートルズという一つのバンドの登場が世界を大きく変えたことを指しています。「赤の時代」とは、ビートルズ解散後の1973年にリリースされた「The Beatles 1962~1966」というベストアルバムがそのジャケットの色から「赤盤」と俗称されていることにちなんだものです。「のっぽのサリー」は、ビートルズが敬愛したロックンローラーであるリトル・リチャードの大ヒット曲「Long Tall Sally」の邦題です。のっぽのサリーが、予期せず世界を大きく変えることになったのです。

(2)人工衛星の名称に曲名が採用

2011年10月、NASAの探査機「ルーシー」が打ち上げられました。宇宙を数百年から数千年巡って未来の人類に回収された時のため、多くの偉人のメッセージがプレートに刻まれていました。その中にはビートルズ4人の一人一人の言葉も添えられていたのです。そもそもルーシーという名前もビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にちなんだものです。

ビートルズは、音楽界に革命をもたらしただけではなく、それまで社会を支配していた古い価値観をぶち壊し、革命に匹敵するほど社会を大きく変えたのです。階級社会、人種差別、戦争…ビートルズは、その全てにノーを突きつけ、新しい時代を到来させました。

2 ジョンとポールの出会い

(1)ロックンロールにのめり込んだ

f:id:abbeyroad0310:20230615114227j:image

10代のポール(左)とジョン(右)

戦後、アメリカから進駐してきた米軍が大量のレコードをリヴァプールに持ち込んできました。それは当時最新の流行だったロックンロールでした。やがてビートルズのメンバーとなる若者たちは、そのサウンドに熱狂したのです。特に、ジョンとポールは、黒人のリトル・リチャードに衝撃を受けました。

ジョンは、こう語っています。「初めて『Long Tall Sally(邦題:のっぽのサリー)』を聴いたときはあまりにすごすぎて言葉が出なかった」ビートルズサウンドの根底にあるのは黒人音楽です。彼らは、あっという間にロックンロールにのめり込んでいきました。ポールは、こう語っています。「ある日、彼の歌声を真似してみると自分にもできることが分かった。大事なのは、自分の中の羞恥心をすべて消し去ること。あとはやるだけだ」

ジョンは、同級生と共にクオリーメンというアマチュアバンドを結成しました。1957年7月6日、ジョンとポールは、共通の友人の紹介で運命的な出会いを果たします。ポールは、ピアノで「Long Tall Sally」で見事な歌唱力を披露しました。それに驚いたジョンは、すぐ自分のバンドに加わるように誘ったのです。

(2)ポールをメンバーに加えるべきか?

www.youtube.com

最古の記録とされているカラー動画(1962年2月頃撮影)

実はその時、ジョンは、ポールをメンバーに加えるかどうか迷いました。ポールに才能があることは明らかでしたから、彼をメンバーに加えると自分がリーダーの地位を追われるかもしれないという不安があったのです。

しかし、バンドを強化するためには腕のあるメンバーを入れるべきだと考えメンバーに入れました。この決断がなければ、ビートルズは誕生しませんでした。やがて、ポールの友人であるジョージもメンバーに加わり、これでビートルズの3人が揃いました。

 

 

3  ハンブルクへ巡業する

ハンブルクで巡業していたビートルズ

ジョン、ポール、ジョージの3人は、下積み時代に西ドイツ(現在のドイツ)の港町であるハンブルクへ巡業に行きました。毎日朝から晩まで演奏させられるという過酷な労働条件でしたが、そのおかげで彼らは、メキメキと実力を上げていきました。リヴァプールに帰ってきた頃には、たちまち地元でスターになったのです。

レコードショップを経営していたブライアン・エプスタインは、彼らの演奏を見てすぐその魅力に取り憑かれ、マネージャーになることを申し出ました。やがて、リンゴ・スターが加わり4人が揃いました。

ブライアンがマネージャーに就任した頃、ビートルズは、ステージでタバコを吸ったり酒を飲んだりしていました。これでは広くファンに受け入れられないと考えたブライアンは、彼らにスーツを着させ、ステージでの飲酒や喫煙を禁止しました。そして一曲の演奏が終わるごとに深々とお辞儀させたのです。

ジョンは、スーツを着ることを嫌がっていましたが、ブライアンに儲けるためだと説得され「分かったよ。儲かるんなら、風船でも着てやるさ」とヤケ気味に応じました。ブライアンのアイドル戦略は功を奏し、ティーンエイジャーのファンが一気に増えました。

 

 

4 ついにスーパースターへ昇りつめた

f:id:abbeyroad0310:20230615114353j:image

一曲演奏し終える度に深々とお辞儀した

1962年、「Love Me Do」でデビューを飾ると、1963年にリリースしたファーストアルバム「Please Please Me」はチャート1位を飾り、一躍ビートルズは、スーパースターに駆け上りました。女の子たちは、街中で彼らの姿を見つけると狂喜し、歓声を上げて駆け寄りました。大勢の警官隊が動員され、暴動が起こったような騒ぎになりましたが、これが「ビートルマニア」現象です。女の子たちは、まず彼らの襟なしのスタイリッシュなスーツに惹かれました。流行に敏感な若者たちは、かつらをかぶって彼らの真似をしました。

しかし、ビートルズの革新性は、作曲と演奏が分業だったのが当たり前の時代に、自分たちで作詞作曲し演奏するというスタイルを取ったことです。ジョンは、こう語っています。「自分たちのことを歌えばいいじゃないかと思った」若者たちは、自分の想いを歌にできるようになったのです。

ビートルズの登場は、多くの若者たちを自分たちもやってみようという気にさせました。レッド・ツェッペリンジミー・ペイジは「ビートルズが出てくる前と後では状況が全く変わっていた。作曲なんて夢にも思っていなかったやつらが、俺もいっちょうやってみるかと思うようになったんだ」と語っています。

 

 

5 階級社会をぶち壊した

(1)労働者階級の出身

www.youtube.com

彼らは、全員が労働社会の出身でした。イギリスはずっと階級社会であり、労働者階級で生まれた人は一生そこから抜け出せず、貧しい生活を強いられていたのです。しかし、ビートルズは、音楽でその壁を乗り越えたのです。

1963年、ビートルズは、イギリスの王室から招かれてコンサートを行いました。ジョンは、最後の曲を紹介する時に「安い席の皆さんは拍手をしてください。あとの方々は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と話したのです。明らかに上流階級の人々に対する皮肉ですが、このときはユーモアと受け取ってもらえました。しかし、彼らの内心には子どもの頃から階級社会に対する憎悪が横たわっていたのです。

イギリスの作家は、こう回想しています。「1963年、ビートルズが『She Loves You』を発表し、世の中が突然可能性に満ちて輝き始めた。若者が自由に自分の人生を決められるようになったんだ」まるでヨーロッパが中世から解放され、自由なルネサンスの時代に移行した時のようですね。

(2)スウインギング・ロンドン

f:id:abbeyroad0310:20230615114415j:image

ミニスカートで颯爽と歩く女性たち

ロンドンは、音楽、アート、ファッションなど世界の流行の発信地となりました。これが「スウィンギング・ロンドン」です。マリー・クワントがデザインしたミニスカートを履いたツイッギーが登場した時、これは、女性の解放を意味していたのです。女性は、長いスカートで肌を隠さなければいけないという古い因習に捉われることなく、もっと自由に肌を出していいのだと自己主張するようになりました。

服の色もカラフルになり、サングラスや帽子などどんどん新たな流行が生まれました。ツイッギーも労働者階級の出身です。彼女は、「ビートルズが階級の壁を壊した。育った環境なんて関係ない」と語っています。

 

 

6 人種差別に反対した

f:id:abbeyroad0310:20230615114441j:image

初めて人種による座席の区別が撤廃された観客席

ビートルズは、人種差別にも強く反発していました。彼らが大好きだったのは、黒人の音楽でした。人を人種で差別するなんてくだらないというのが彼らの信念でした。1960年代は、まだまだ人種差別が厳しい時代でした。特に黒人に対する白人の差別は凄まじく、今では信じられないような政策が普通に行われていました。しかし、ビートルズは、その壁をぶち破ったのです。何しろ彼らがロックンロールにはまったきっかけになったのは黒人音楽でしたから。

f:id:abbeyroad0310:20230615171106j:image

人種差別が根強く残るフロリダ州ジャクソンビルでのコンサートが行われることになりましたが、当初、白人と有色人種は別の席に分けられていたのです。しかし、ビートルズは、人種隔離をするならコンサートはしないと宣言しました。当時は、とても勇気のいる行動でした。

ついに、座席の仕切りが撤去され、2万3000人の観衆が人種に関係なく一緒にビートルズの演奏を聴いたのです。当時9歳の黒人の女の子は、私はビートルズが好き、彼らが白人だなんて関係ないと思って聴いていました。彼女は、やがてウーピー・ゴールドバーグという世界的な俳優となりました。

ポールは、こう語っています。「そして、突然僕らは選ばれし者となり、あらゆる自由への導火線に火をつけた。僕は、その導火線に火をつけた張本人は60年代という時代そのものであり、僕らは、その一部に過ぎなかったと思っている。でも、多くの人々にとっては、ビートルズこそが全てだったんだ」ビートルズは、時代が求めていた救世主だったのです。

彼らがラストコンサートの最後の曲に「Long Tall Sally」を選んだのは、黒人への感謝と敬意を込めたからかもしれません。ポールは、こう語っています。「リトル・リチャードは、『ポールが知っていることは、全部僕が教えたものなんだ』と言っていた。『その通りだ』と僕は認めるよ」

www.youtube.com

ラストコンサートの最後に「Long Tall Sally」を歌うポール

(続く)

この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。