★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

雑誌が炎上させたのではなかった~真犯人は別にいた(286)

When John Lennon's 'Jesus' Controversy Turned Ugly - Rolling Stone

1 初めは何の問題にもならなかった

イヴニング・スタンダード紙の編集スタッフは、ジョンの発言の中でキリストに関わる部分を見出しにする必要はないと考えていましたし、新聞のレイアウトに目立つようにハイライトを入れることさえしませんでした。イギリスの新聞社であればどこでも、いつもビートルズの注目すべき発言に飛びつきましたが、この記事に関しては全く関心を示しませんでした。

どのコラムニストや論説家もニュース速報やコメントは出しませんでした。この記事がニューヨーク・タイムズを含む他の世界的な新聞で引用されたときも、この記事は何のコメントもなくやり過ごされました。

 

2 社会派の雑誌が取り上げた

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ジョンの発言が引用されたデートブック誌

クリーヴの記事は、アメリカで発刊されていたデートブック誌の編集長アーサー・アンガーのデスクに届くまで数か月間は、世間の注目を浴びることなく放置されていました。後になって、このデートブックなる雑誌は、取るに足らないティーンエイジャー向けの他愛ないものに過ぎなかったと主張されたのですが、そんな主張は全く無視されました。実際には、これは、普通のエンターテイメントだけでなく、深刻な社会的、政治的なトピックを取り上げてきた雑誌だったのです。

アンガーは、まだまだ社会からは理解されることのなかったゲイだったのですが、少数者がいかに抑圧され、嘲笑されるかを目の当たりにしていました。このことは、彼の編集ヴィジョンに著しい影響を与え、社会正義を追求する方向へと彼を導きました。

ロックの歴史の中では、彼は、センセーショナリズムに乗っただけの単なる日和見主義者に過ぎなかったとされているのでしょうが、彼の目標は、もっと利他的なものだったのです。「この雑誌は.........子どもたちを助けようとする真剣な試みだった。」と彼は、後年に説明しています。

おそらく、この雑誌自体は、出版業界ではティーンエイジャー向けの安っぽい三流誌の扱いを受けていたのでしょうが、編集者のアンガーとしては、もっと深く少数者が抑圧されている社会問題に深く切り込んでいたつもりだったのです。

私は、意外に思いました。てっきり編集者が最初からビートルズに悪意を持ち、誹謗中傷しようとしてジョンの発言を取り上げたのだと思っていました。どうやら、その認識は改めないといけないようです💦

アンガーは、音楽マネージャーとしてラモーンズMC5イギー・ポップなどのアーティストを発掘して世に送り出し、パンクロックをジャンルとして確立させたダニー・フィールズを編集長に起用しました。

彼らは共同で、ジョン・F・ケネディ平和部隊に関する記事、家父長制社会への批判的なエッセイ、黒人有権者を登録するための1964年のミシシッピ・フリーダム・サマー・プロジェクトの特集、人種平等会議の登録情報などを掲載しました。これは60年代半ばのティーン向け雑誌にしては過激な内容でした。

全然ポップで軽薄な内容じゃないどころか、とても真摯に社会問題に取り組んでいたんですね。それも当時としては、かなり進歩的な考え方に基づいています。

 

3 ビートルズはアンガーを認めていた

(1)ビートルズは人種差別に反対していた

John Lennon's 75th birthday: The Beatles, Birmingham and 'Bigger than Jesus'  - al.com

なお驚くべきことに、こういった進歩的なアンガーの仕事は、ビートルズ陣営の好意的な注目を集め、デートブックには彼らの独占的なコメントやマイナーなスクープが掲載されることもあったのです。彼は、その後のビートルズアメリカツアーにも同行し、友好的な関係を築いていきました。つまり、ビートルズは、すでにアンガーとデートブック誌のことを良く知っていて、むしろ記事の素材を積極的に提供していたんですね。

1965年のツアーの取材で、アンガーは、リンゴのアメリカ南部での人種隔離政策の解消へ向けた姿勢に触れました。彼は、「隔離なんてくだらないことばかりだ。」とリンゴの発言を引用しました。「僕らが関心を持っていることは、人は人であり、お互いに何の違いもないということだ。観客を隔離するなら、南アフリカではプレイしないだろう。くだらない話だ。」

当時、南アフリカは、悪名高い「アパルトヘイト」と呼ばれた人種差別政策をとっていました。何とアンガーは、ビートルズをバッシングするどころか、彼らがアメリカの人種差別に反対していることを高く評価していたんですね。

(2)デートブック誌はビートルズの記事を独占していた

クリーヴの時と同じように、ビートルズは、ただの愛すべきアイドル以上の存在として描かれていることに感謝し、アンガーに記事の素材を送り続けました。「1966年までにデートブックは、イギリスからビートルズに関する素材を独占的に購入し、発行部数が劇的に増加していた。」とフィールズは数年後に語りました。

そのため、クリーヴの記事がイヴニング・スタンダード紙に掲載された後、ビートルズの広報担当者であるトニー・バーロウは、「このスタイルと内容は、デートブックが好んで使う素材とピッタリ合っていると思う。」というメモを添えて、アンガーに送りました。ただ、これが大きな騒動を引き起こすことになるとは、さすがの彼も予想できませんでした。

バロウの言う通りでした。9月の「Shout-Out」号は、異人種間のデートを支持する記事も掲載されており、偏狭なアメリカ南部の価値観を揺さぶるために仕上げられたように見えました。アンガーは、人種差別と宗教を攻撃するために、表紙の見開きにクリーヴの記事のうちの二つを使用していました。最初の発言、「It's a lousy country where anyone black is a dirty n--r (黒人はみんな汚いと言われる最低な国だ)」という発言はポールからのものでした。

しかし、導火線に火をつけたのはジョンの発言でした。「ロックンロールとキリスト教、どっちが先に消えるかわからない。」という発言を掲載したデートブック誌は、7月29日に発刊されました。これらは雑誌の表紙の見出しを飾りました。爆弾が爆発するのは、もはや時間の問題でした。

ここまでで分かることは、デートブック誌は、あくまでビートルズの発言について、社会を改革する進歩的なものとして捉えていたのであり、誹謗中傷するつもりはなかったということです。

 

4 真犯人はラジオ番組だった

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トミー・チャールズとダグ・レイトン

(1)ラジオ局がキャンペーンを開始した

この雑誌に目を付けたのは、アラバマ州バーミンガムのラジオ局のディスク・ジョッキー、トミー・チャールズでした。過激な発言をするジョッキーの先駆けとなったチャールズは、朝のトップ40を照会する番組に取り入れるために、毎日定期刊行物を読み漁っていました。

扇動的なジョンの発言は、番組を簡単に盛り上げられる方法のように思えました。記事のメインテーマであった一人のビートルが、日常生活においていろいろな悩みを抱えているなどという事実は、チャールズにとってはほとんど意味がありませんでした。パートナーのダグ・レイトンと共同で、チャールズは、急いで「バン・ザ・ビートルズキャンペーン(ビートルズ禁止キャンペーン)」を立ち上げ、ジョンの「キリストを冒涜する発言」への報復として、ラジオ番組でビートルズのいかなる曲も放送しないことにしました。彼らのこの行動は、おそらく信仰心よりもむしろ世間の注目を集めたいという動機に駆られたものだったといえるでしょう。

チャールズは、アメリカの若者を堕落させようとした無神論者の外国の長髪の若者たちに対抗するために、自分自身を道徳的に権威がある者としてのポジションを獲得するために血道を上げたのです。「世界中で絶大な人気を誇る彼らのおかげで、特に若い世代の人々には、判断力や成熟度、意味を気にすることなく、自分たちの言いたいことを言うことができた。」と彼は主張しました。

彼らは彼らなりに、世界各地で暴動を起こしている若者たちを危惧し、反保守の象徴ともいえる存在になったビートルズを攻撃して、若者たちの血が上った頭を冷やさないといけないと真剣に考えていたのです。

(2)ビートルズは「怒れる若者の先導者」だった

50 Years Ago: A Look Back at 1966 - The Atlantic

当時の時代背景を理解していないと、この辺りのお話は理解しづらいかもしれません。1960年代は、日本ではいわゆる「団塊の世代」、第二次世界大戦後に生まれた世代の人たちが20代に到達した頃、特に先進国において、若者たちが社会を支配していた大人たちに対する反発を強めていました。

保守的な人々は、その先鞭をつけたのはビートルズだと考えていたのです。彼らがパンドラの箱を開けたために、若者たちの暴走が始まったというわけです。まあ、確かに、そういう側面もありますが、気化したガソリンが室内に充満していないと引火・爆発は起こりません。

若者たちは、第二次大戦後からずっと大人から抑圧され、不満を抱えて爆発寸前だったのです。特に、アメリカでは泥沼化したヴェトナム戦争で多くの若者の命が失われていました。そういった若者たちの不満に火を付けた人々の中にビートルズが含まれていたことは否定できない事実でしょう。彼らによって若者たちは「真の自由」に目覚めたのです。

 

(参照文献)RollingStone

(続く)

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