2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧
1 ジミー・ニコルのステージ 2 ニコル、ロンドンへ帰る 3 ニコルのその後 4 「Getting Better」のヒントになった 5 ニコル、ついに沈黙を破る 6 ビートルズの裏話が聞けた 1 ジミー・ニコルのステージ 13日間、リンゴの代役を務めたジミー・ニコル…
1 香港へ次の行き先は香港でした。 6月8日に、1,000人を超えるファンが、香港のカイ・タック空港でビートルズを出迎えました。彼らは、税関と入国審査をVIPルートで通過し、カオルーンにあるプレジデントホテルに直行して、15階の部屋に宿泊しました。 (LI…
1 まずはデンマークから 映画「A Hard Day's Night」の撮影が終了した後、1964年6月からビートルズは、初の本格的なワールドツアーへ出発しました。 ビートルズは、1963~66年にワールドツアーを1回行っただけでした。1964年6月4日にデンマークのコペンハ…
1 リッケンバッカーのサウンド ビートルズは、1964年2月にアメリカを初めて訪れた時、あの有名なギターの製造元であるリッケンバッカー社の社長のフランシス・ホールに会いました。 ホールは、新しい楽器とアンプのデモをするために、ニューヨーク市で会議…
1 スチュアート・ケンドールさんに尋ねてみた 2 ケンドールさんの証言 3 事実だった! 1 スチュアート・ケンドールさんに尋ねてみた 私が参加しているフェイスブックのビートルズのファングループの間で、「ジョンとポールの関係って結局どうだったんだ…
1 鮮烈なイントロ 2 長きに亘った論争 3 論争の歴史をたどる 4 数学者による研究 (1)ジェイソン・ブラウン教授の研究 (2)ケビン・ヒューストン博士の研究 5 ついに真相が解明! 1 鮮烈なイントロ 正に名曲の一語に尽きます。リリースから50年以上…
かなり寄り道しましたが、「ア・ハード・デイズ・ナイト」のアルバムの制作に話を戻します。この写真は、レコーディング・セッションの様子です。 1963年において、イギリス国内でファンのハートを鷲掴みにしたビートルズは、1964年に活躍の場を世界へと拡大…
ビートルマニアとして、若い頃にビートルズの追っかけをしていたことで世界的に有名なリジー・ブラボ-さんからメッセージを頂きました。以前からお話ししているスチュアート・ケンドールさんから彼女を紹介してもらっていたんです。 簡単に彼女のプロフィー…
リンゴのドラミングについて最後の解説です。 3 I FEEL FINE(シングル、1964) この作品で、リンゴは、ジョー・チェンバーズに匹敵するテクニックで、シンバル/タムタムでR&Bシャッフルをやってのけました。実際、このドラム・トラックを聴けば、リンゴが…
ジョンやポールと親交のあったスチュアート・ケンドールさんからメッセージを頂いたので、ご紹介します。 ジョンは、4人の中で最も繊細な人で、それを隠すために自分が嫌いな相手に対しては、ワザと攻撃的な態度を取っていたという話は以前にしました。しか…
リンゴのドラミングの凄さについて、具体的な作品での説明に戻ります。 2 RAIN www.youtube.com リンゴのドラミングを評価する方で「Tomorrow Never Knows」を一番に挙げなかった方は、この作品の方を挙げたかもしれません。現にリンゴ本人も「The Big Beat…
ここで、再度ビートルズとマーティンの出会いから解散に至るまでを振り返り、マーティンの偉大な功績を総括します。 1 ビートルズとの出会い マーティンもテープを聴いた時には全く興味を抱かなかったと語っています。雑音が酷いし、サウンドのバランスは悪…