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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

(号外)リジー・ブラボーさんからメッセージを頂きました

ビートルマニアとして、若い頃にビートルズの追っかけをしていたことで世界的に有名なリジー・ブラボ-さんからメッセージを頂きました。以前からお話ししているスチュアート・ケンドールさんから彼女を紹介してもらっていたんです。

 

簡単に彼女のプロフィールをご紹介します。

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彼女は、ブラジルのリオデジャネイロの出身で、本名をエリザベス・ブラボーといい、1964年からビートルズの追っかけをしていました。リジーというのはエリザベスという名前から、ジョンがビートルズ時代にカヴァーした曲「ディジー・ミス・リジー」にちなんで付けてくれた愛称です。彼女は、ケンドールさんとも長い友人関係にあります。

 

何と彼女は、15歳で1967年2月14日に友人のデニスと一緒にロンドンへ行き、そこに住み着いてしまいました。いやはや、物凄い行動力ですね(^_^;)っていうか、両親は彼女が帰ってくるものだと思っていました。当たり前ですよね、未成年者ですから。そして、毎日アビイロードのEMIスタジオに通いつめました。もちろん、内部には入れませんから外にいるだけです。

 

そして、彼女の名を一躍世界的に有名にしたできごとが起こります。それは、1968年2月4日の夜のことでした。彼女は、その時16歳でいつものようにEMIスタジオの外にいると、ふいにポールがスタジオから出てきて彼女や彼女の友人が高音でヴォーカルができるかどうか尋ねました。というのも、ポールは、女性のヴォーカルでバックコーラスを入れることを思いついたのですが、もう夜だったのでプロを手配することができなかったんです。それで、彼は、毎日スタジオの外をうろついているリジーを思い出し、彼女ならできるかもしれないと考えたのです。

 

ポールの問いかけに彼女はできると答え、すぐに友人で17歳のゲイリーン・ピースを連れてきてスタジオの中に入りました。彼女たちはそこで「Across the Universe」の曲と歌詞を見せられた後、2時間以上そこにいました。

 

彼女たちは、「Nothing's gonna change my world」のフレーズをテープの第4トラックに収録するため何度も歌いました。彼女たちは、ポールがスタジオの建物の中だけでなく、スタジオにまで招き入れ、ビートルズといっしょに歌えることにとても興奮していました。セッションは上手くいき、彼女は、ビートルズがとても面白かったと回想しています。彼女たちは、お茶をごちそうになりながら彼らと談笑しました。「スタッフ以外は絶対にレコーディングに参加させない」というビートルズの「鉄の掟」を破った極めて珍しい例です(笑)

 

ブラボーさんもビートルズは滅多に外部の人間をスタジオには招かなかったと言っています。時々友人や奥さんが来ることはありましたが、それも毎日ではなかったとのことです。しかし、単なるファンがビートルズとセッションできるなんて、それもレコーディングに参加できるなんて夢みたいな話ですね。これも彼女たちが毎日せっせとスタジオに通っていたおかげでしょう。それでも高音のヴォーカルができなければアウトだったところです。

 

その時にスタジオにいたのは、ビートルズジョージ・マーティン、ニール・アスピノール、マル・エヴァンスと彼女たちだけでした。ブラボーさんは、若い男性がマイクを調整していたのを覚えているといっています。ビートルズの伝記作家のマーク・ルイソンは、レコーディング技師のマーティン・ベングとフィル・マクドナルドだとしています。

 

誰が一番良かったかと尋ねられると彼女はポールだと答えました。時間があれば彼らは途中でサインしたり、写真を撮ったり、彼女たちに話しかけたりしてくれました。彼女たちはインスタントカメラしか持っていなかったのですが、それで写真を撮りまくり、サインももらえるだけもらったんだそうです。

 

彼女と友人は、アビイロードを何時間もうろついて笑顔を見せるか、「おやすみなさい」と声を掛けました。ポールは、ファンを大事にしました。ブラボーさんは、他のメンバーが良くなかったとは言わないが、彼女たちがポールの自宅の近くに住んでいたので、どうしても彼は他のファンよりも彼女たちに気を配らなければならなかったと言っています。彼は、ある日「お願いだから、家の周りをうろつかないでくれるかな?近所の人から苦情が来てるんだよ。」と彼女たちに告げました。それで、彼女はもうやめると約束して、10分後には帰宅しました。彼女は、警官に名前を呼ばれて職務質問されたこともありました。

 

でも、彼女はジョンのファンだったんですね(^_^;)ケンドールさんも前に書いてましたが、彼がジョンやポールと一緒にポールの自宅に帰るところで、彼女からカメラを渡されてジョンの写真を撮ってくれと頼まれたんです。

 

さて、彼女の紹介はこの位にして、以下は、私がもらった彼女からのメッセージです。

 

「晋司さん、こんにちは。私は、来月65歳になります。私は働きながら86歳の母の世話をしています。私には娘と孫娘がいます。」


「私にはフェイスブック上で5000人の友人がいるので、それぞれにメッセージを書くことができないんです... ごめんなさい。」


「私は、ビートルズの200点以上の未発表の写真を、ポルトガル語で本として出版するつもりです。なので、あなたにそれらを送ることはできません。」


「スチュアートさんは偉大な友人です。彼の話は、私の本で初めて公けにされます。翌年のいつかには英語で出版したいと考えています。」


「あなたが私に対して求める情報は、私のファンページにあるので、そちらに参加してください。ほとんどはポルトガル語で書かれていますが、少しは英語で書かれたものもあります。」

 

「ありがとう。それではまた。体に気を付けて下さい。」

 

う~ん、残念。彼女と直接コンタクトはできたものの、上記の事情でそれ以上の情報は得られませんでした。近いうちに彼女の本が出版され、ビートルズの未公開写真も掲載されると思います。私はポルトガル語はできないので(^_^;)、英語で出版されたら買おうかなと思っています。

(参照文献)lizziebravo.com, Neatorama, An interview with Lizzie Bravo

(続く)