★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズ解散後もファンレターに返信し続けたフリーダ(451)

ファンクラブの会報を読むフリーダ・ケリー

1 女性であるために唯一イライラしたこと

(1)ファンと間違われた

押し寄せるファンを制止する警官

ビートルズの秘書だったフリーダ・ケリーのお話の最後です。彼女は、女性であるために昇進できなかったことに対して何の不満もありませんでした。しかし、一つだけ女性であるためにイライラしたことがありました。

「女性であることで唯一イライラしたのは、私がビートルズのために働いていることを警備していた警官が信じていなかったことよ」その結果、フリーダは、演奏会場にバンドの給与明細を届けるために、大勢の群衆をかき分けて入るのに苦労することがよくありました。

(2)「中に入れてもらえますか?」

「試してみたの。『こんにちは、契約書を持ってきました』って言ってみたわ。彼らは、私が何かをしようとしているファンだと思ったのね。だから、いつも電話ボックスに行って誰かに電話してこう言わなければならなかったの。『私は、オフィスの外にいます。中に入れてもらえますか?』って」

彼女は、れっきとしたスタッフなのに、ファンと間違えられてオフィスに入れなかったのです。そりゃ、他の女の子たちと同年代ですし、彼女がビートルズの秘書だって知ってる警官は一人もいませんから、ファンの一人だと思われてもしかたなかったでしょう。この頃は、スターとファンとの動線が同じでしたから、関係者専用の通用門からコッソリ出入りするなんてことはできなかったんですね。

 

 

2 ビートルズの崩壊を目の当たりにした

ビートルズはバラバラになっていた

1960年代の終わりに向けて、かつてビートルズの魅力の中心にあった親近感が解け始めました。マネージャーで彼らの父親代わりでもあったブライアン・エプスタインが1967年に睡眠薬の過剰摂取で亡くなりました。フリーダに言わせれば、これは、ビートルズにとって「壊滅的」な出来事であり、バンドの中心部に空白が生じました。ジョンとポールは、何とかメンバーをまとめようとしましたが、求心力は働かず、ますます各メンバーは、自分のソロプロジェクトを追求するようになりました。

1968年以降、ジョンと前衛芸術家のオノ・ヨーコとの不倫がさらなる緊張を引き起こしました。「部外者はスタジオに入れない」という不文律を破り、ジョンは、ヨーコをスタジオに連れてくるようになったのです。彼女は、ビートルズのレコーディング・セッションに同席するだけでなく、色々とセッションに口を挟むようになりました。ルールは、一度破られてしまうとどんどん崩壊していきます。フリーダは、オフィスで勤務していて、彼らの音楽活動には携わっていませんでしたが、そんな彼女の目にもビートルズが音を立てて崩壊していく姿がハッキリと写っていました。

 

 

3 フリーダもファンも気づいていた

フリーダは、増大する解散の不安に気づいていたのでしょうか?彼女は、頷きました。「そのとき、私はもうたくさんだと思うようになったわ」彼女は、ビートルズの私生活について尋ねるファンからの手紙を受け取るようになり、「私自身も常にプライベートなことは公表していなかったから」そういったことは止めてもらうようファンに懇願する記事を会報に書きました。

当時、ビートルズが揃って公の場に登場することはなくなっており、ファンの間でも彼らが解散するのではないかという噂が広がっていました。彼らが公の場に出てこなくなってしまったので、様々な憶測が飛び交っていたのです。フリーダは、少なくともファンだけはそんな不安から解放させてあげたいと思っていたんでしょう。しかし、肝心のビートルズ自身がバラバラの状態でしたから、それは望むべくもありませんでした。

 

4 ポール・マッカートニー死亡説

ポールは死んでいるという記事を掲載した雑誌

その当時、ポールが1966年に亡くなり、そっくりさんと入れ替わったという都市伝説が世間に出回っていました。いわゆる「ポール・マッカートニー死亡説」ですね。フリーダは、この件についての電話の問い合わせがあまりにもオフィスに多くかかってきたので、とうとう電話の受話器を外してベルが鳴らないようにしてしまいました。

「本当にイライラした」と彼女は振り返って語りました。「私が『ジムおじさん』と呼んでいたポールのお父さんに電話したのを覚えているわ。『次にいつ会えるの、ポールはいつ家にいるの?』と聞かなければならなかったの」すると彼は『昨夜ここにいたんだよ!』って感じだったわね」

ポール死亡説は、当時かなり真実味を帯びた話として噂されていました。今も昔もこういう根も葉もない噂が広がるんですね。その原因の一つには彼らが公の場に一切姿を現さなくなったこと、特にポールは、スコットランドの自分の農場に引きこもっていましたから、そんな噂が広がる土壌が出来上がっていたのでしょう。ポールの父親であるジムがフリーダに嘘をつくメリットは何もないので、昨夜ここにいたというのも真実でしょう。彼は、自分の息子が死んだという噂が広まっていたことをどう感じていたのでしょうか?

 

 

5 解散後もファンレターに返信し続けた

(1)すぐには辞めなかった

映画「グッド・オール・フリーダ」の監督ライアン・ホワイト(左)

プロデューサーのキャシー・マッケイブ(右)

ビートルズの解散は、1969年の新聞のインタヴューでポールが脱退宣言という形で公けにしました。当然、スタッフも職を失ってしまったのですが、フリーダは、この時点で結婚し第一子を妊娠していて生活の心配はありませんでした。彼女は、結婚生活と母親としての人生を進めていく準備ができているのを感じました。彼女は、1972年にバンドでの仕事を正式に辞めましたが、その後も3年間、毎晩自宅で夕食後にファンレターに最後の返事を書き終えるまで返信を続けました。

ビートルズが突然解散して、彼女は、路上に放り出されたも同然でした。彼女は、結婚していましたから生活に不安はなく、すぐにファンクラブを閉鎖してビートルズとの関係を断ってしまっても責められることはありませんでした。しかし、責任感が強い彼女は、最後の一人になるまでファンレターに対する返事を書き続けたのです。解散後もファンを大切にした彼女の姿勢は本当に立派だと思います。

「ファンクラブを一夜で閉鎖することはできない」とフリーダは語ります。彼女が振り返ってみると、自分自身がその時代の数少ない生存者の一人にいつの間にかなっていたことが不思議だと感じるようになりました。ビートルズを支援してくれた人々も、一人また一人とこの世を去っていったのです。

(2)ジョンとジョージの死

1980年12月、ニューヨークでジョン・レノンが40歳で射殺されました。友人がアメリカからフリーダにそれを知らせるために電話をかけました。「私は、ただただびっくりして、その日はどうしたらいいのか分からなかったわ」夫は、インタヴューしようと彼女に殺到するマスコミを避けるため暫く家を空けるよう勧めましたが、それでもマスコミは彼女を追跡しました。「私は、ただ一人になりたかっただけよ…話すことさえできなかった。私は、ただそうしたかっただけ」彼女は、話を途中で止めました。「そんなとき、私は、なんとか対処しようとするんだけど引きこもってしまうの」

ジョンは、よく彼女に自分は若くして死ぬのではないかと打ち明けていました。「(彼が亡くなったとき)最初に頭に浮かんだのは、彼がよく言っていたことだったわ。『40歳になったらオレはここにはいない。40歳にはならない』って」と彼女は言う。「今彼が生きていたらどんな感じだったのかしら」ジョンは、自分は40歳までしか生きられないだろうと周囲に語っていました。いかにも向こう見ずな彼らしい発言ですが、まさか、それが現実になるとは本人自身も思いもしなかったでしょう。

2001年にジョージが肺がんで亡くなったとき、フリーダは、彼の余命が長くないことを知っていましたが、それでも彼の死はショックでした。4人いたメンバーが2人になってしまったのですから。

(3)今彼らに会ったとしたら

当時を振り返るフリーダ

現在、生き残っているビートルは2人だけです。リンゴは、映画への応援の短いメッセージを録音し、それがエンドクレジットで流されましたが、彼女は、もう何年も彼やポールと話していません。彼女は、数年前にリヴァプールで開催されたリンゴのコンサートを観に行きましたが、恥ずかしくてバックステージに行くことができませんでした。映画「マジカル・ミステリー・ツアー」ではビートルズと一緒にバスに乗り、いくつかのショットで彼女がリンゴの隣に座っていたんです。リンゴとは長い付き合いなのに、かなりシャイな人ですね。

もし、今彼らに会ったら、フリーダは何と言うでしょう?彼女は、目を輝かせて微笑みました。かつての優しくて興奮した17歳の彼女が突然そこに現れます。彼女は、まるでビートルズの一人が駐車場から歩いてくるのを想像しているかのように、髪を横に振りながらドアの方をちらっと見ました。「私がヒステリックになったり失神したりする姿は想像できないわ」と彼女は私の方を振り返りながら言いました。「できれば『お茶でも飲みませんか?』と言えたらいいわね」

ビートルズのそばでずっと仕事をしているにもかかわらず、フリーダは冷静でした。ファンでありながら、すぐそばで仕事をしながら冷静でいるというのはなかなかできることではありません。彼女以外の女性ではこの仕事は務まらなかったでしょう。映画のプレミア公開の後、ファンが彼女に殺到したのもその功績に感謝していたからです。

(参照文献)ザ・ガーディアン

(続く)

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