★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ビートルズの切った髪と破れたシャツを送り、ファンを自宅に宿泊させたフリーダ(450)

ビートルズに囲まれた秘書のフリーダ・ケリー

1 エスカレートするファンの要求に応えた

ビートルズの秘書だったフリーダ・ケリーのお話の続きです。彼女自身もビートルズのファンでしたから、ファンと同じ目線に立って、女の子たちの要求に応えるために並外れた努力をしました。ビートルマニアが国中を席巻する中、彼女は、ますます奇妙な依頼が殺到していることに気づきました。

ある女の子が、リンゴに一晩寝てほしいと枕カバーを送ってきました。フリーダは、それをリンゴの母親のエルシーの所へ持っていき、彼にそれをやらせると約束させました。多分ですけど、本当に彼は一晩その枕で眠ったのでしょう。

あるいは、別のファンがいきなりフリーダの玄関先に現れました。「彼女を私の家に2週間泊めてあげたの」とフリーダは語っています。「私は、彼女に食事を与えた。そのうち出て行くだろう思ってたわ。私は、彼女を仕事に連れて行っていったりもしたけど、その後、彼女は少し重荷になったわね」

時代が違うとはいえ、フリーダは、なんと献身的なファンサービスをしていたのでしょう。こともあろうに自宅に押しかけて来た見ず知らずの女の子を泊めてやるとは。この当時は、芸能関係者と一般人の垣根がほとんどなかったんですね。今では信じられないお話です。

 

 

2 ビートルズの切った髪や破れたシャツを集めてプレゼントした

(1)切った髪と破れたシャツを集めて送っていた

オークションで落札されたジョンの髪の毛

フリーダは、理髪店でビートルズの髪の切れ端を集めてオフィスの袋に保管しておき、ファンからビートルズの髪の毛を欲しいという手紙がくるたびにそれを送っていたこともありました。「私が彼らの家に行って、彼らのシャツを盗んでいたと誰かが噂してたわ」と彼女は笑いながら語ります。

「盗んだわけではないけど、もしシャツが破れていて、彼らがそれを捨てるのなら、私は、それをもらいに行ったわ。私はいつもルイーズ・ハリスン(ジョージの母親)に『それをもらってもいいですか?』と尋ねていたの。後は、シャツを切って送るだけだった。」

余談ですが、2016年、切り落とされたジョンの髪の毛がアメリカのオークションで35,000ドル(約385万円)で落札されました。この髪は、1966年に「How I Won The War」の撮影を控えていたジョンの髪を、ドイツ人の理髪師が10cmほどカットしたものですが、10cmも切ったため結構なヴォリュームでした。*1この整髪は、アルバム「Revolver」のリリースからわずか1か月後に行われました。映画撮影のためとはいえ、トレードマークの長髪をバッサリ切った頭ではジャケット写真を撮影できませんからね。

(2)サインは毎日もらって送り返していた

バンドメンバーは、ほとんど毎日オフィスに出入りしていて、フリーダは、毎回彼らにサインを求めていました。彼女は、ファンから送られてきたサイン本の束を机の後ろの戸棚に保管していました。

「ポールは、いつでも頼れる人よ。彼はいい人だった。ジョージは、とても思慮深い人だった。彼は、いつも私にこう言ってたの。『僕にもらったサインをどれだけ戸棚の中に仕舞い込んでるの?』って」ジョージにしてみれば、彼女が毎日彼らにサインを求めては、大事に戸棚で保管しているのが不思議だったんでしょうね。毎日サインするビートルズも律義でしたが、それを保管してファンに送り返すフリーダも彼らに負けず劣らず律義でしたね。

 

 

(3)ウブだったフリーダ

フリーダ自身の告白によると、ビートルズで働き始めた頃の彼女は、ある意味「無邪気な」人でした。「私は、素朴なアイルランドカトリック教徒で、ガールスカウトから直接音楽業界に進んだの。何も知らなかったわ」

彼女の上司であるブライアンが同性愛者であることを彼女に説明したのはジョンでした。当時、同性愛はまだ非合法でした。「ジョンにこう言ったのを覚えているわ。『私は、彼(エプスタイン)のことが分からない。彼には何かある』」

「すると彼は笑い始めて、それをとても簡単な言葉で私に説明してくれた。『それはこういうことさ。もし、君と彼が無人島に二人だけで取り残されても君は大丈夫だってことさ』と言ったの」LGBTQ+への理解が進んだ現代とは異なり、まだティーンエイジャーだったフリーダには同性愛が理解できなかったのです。でも、彼女なりにブライアンが一般の男性とは違うことを何となく感じてはいたんですね。

 

 

3 ビートルズの人気ぶりが実感できなかった

1964年7月10日、リヴァプールに凱旋したビートルズを出迎える大群衆

フリーダにとって、彼らと毎日会い、彼らと友達になることは、彼らの名声が彼女の気づかぬうちに彼女に忍び寄ることを意味しました。「慣れてしまうものよ」と彼女は説明します。「彼らが1位になったり、テレビに映ったのは素晴らしいことだから、私は本当に喜んでいたけど、その頃はそれほど大したことだとは思ってなかったわ」遅くとも1963年にはイギリス国内での彼らの人気はとんでもないことになっていたのですが、フリーダはそれほど実感していませんでした。

彼女が初めてビートルズの人気がいかに凄まじいかを実感したのは、1964 年にリヴァプールで開かれた市民レセプションに招待されたときでした。ビートルズは、ロンドンで多くの時間を過ごしており、映画「A Hard Day's Night」のイギリス北部でのプレミア上映のために故郷の街に戻っていました。市庁舎のバルコニーに彼らが現れるのを見ようとなんと20万人の観衆が集まったのです。「窓の外を見て、この人たちを見たとき、『なんてことかしら、彼らは本当に有名なんだ』と思いました。」

事務所のスタッフとはいえ、ビートルマニア現象をよく知らなかったとは驚きです。確かに、彼女は、マルやニールらと違ってコンサートに帯同することは少なく、もっぱらオフィスで事務に携わっていましたから。

連日のようにテレビや新聞で彼らのことは話題になっていたにもかかわらず、それを知らなかったのは、彼女がちょっと浮世離れしていたのかもしれません。それはともかく、彼女が裏方に徹していたことを示すエピソードには違いありません。だからこそ、ビートルズもブライアンも彼女に絶大な信頼を置いていたのです。ゴシップ好きのイギリス人にしては珍しく、フリーダは、水の入った鉄の桶のように秘密を絶対に漏らしませんでした。

 

 

4 ジョンが既婚者であることは秘密にされた

ジョンの最初の妻シンシア

彼らの知名度が上がるにつれて、ファン層も広がっていきました。ジョンは、リヴァプール芸術大学の学生時代に出会った女性シンシアと1962年に結婚していました。彼女の存在はバンドの他のメンバーには知られていましたが、ブライアンは女性ファンを逃がさないよう、彼が結婚していることとその後の妊娠(息子ジュリアンは1963年生まれ)は秘密のままにしておきました。

彼は、寛大でビートルズに対する忠誠心がありましたが、気性が激しいことでも有名でした。ですから、誰も彼を動揺させたくなかったので、方針に黙って従いました。フリーダは、こう語っています。「本当に辛かったわ。当時、ジョンは私の友人と付き合っていたけど、何も言えなかったの。私が知っていたジョンの大ファンだった別の女の子は、私にこう言ったわ。『彼が結婚していることは知っているわ。彼には赤ちゃんの娘がいるのよ』私は、目をそらしてこう言ったの。『彼には赤ちゃんの娘はいないわよ』少なくともそれは本当だったからよ」

確かに、ジョンに娘がいなかったのは事実ですが息子はいましたからね。フリーダが嘘を言ってはいませんが、ブライアンの方針に従って彼女は、ジョンが結婚して子どももいることを隠していました。彼女の友人がジョンと付き合っているのに、本当のことを言えなかったのはさぞ辛かったでしょう。ただ、ヒタ隠しにしていてもファンは薄々感づいていたんですね。

5 ビートルズは活動の拠点をロンドンに移した

(1)秘書を辞めようとした

1965年、ブライアンは、ビートルズ活動の中心をロンドンに移しました。フリーダの父親は、彼女がロンドンへ行くことにいい顔をしませんでした。しかし、彼女が辞表を提出しようとしたとき、ブライアンはそれを受け取ることを拒否し、月に数日ロンドンのモンマス・ストリートにある事務所に通いながらリヴァプールに残るよう説得しました。彼女がリヴァプールからロンドンに引っ越さなくても済むよう配慮してくれたのです。

そのおかげで彼女は、ファンクラブの運営とニュースレターの執筆を続けることができました。もはや彼女は、ビートルズにとってもブライアンにとっても、欠かせない存在になっていたんですね。それにしても、すでにビートルズが世界的なスーパースターになっていたというのに、まだ彼らの下で働くことを認めなかったお父さんって相当な頑固オヤジですね(失礼!)。

(2)ずっと秘書のままだった

男性優位の業界で働く若い女性として、フリーダは、自分が置かれている地位を超えることは決してないことを知っていました。彼女と同期で働き始めた男性たちは、すぐにブライアンの「アシスタント」になりました。その一方、彼女は、ずっと秘書のままでした。先進国のイギリスでも女性差別は普通だったんですね。それでも彼女は何の文句も言いませんでした。彼女は、管理職になるようなタイプではないと自覚していたのでしょう。

(参照文献)ザ・ガーディアン

(続く)

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