★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「Now And Then」が60年ぶりに全英チャート1位を獲得(449)

リヴァプールのポップ・ミュージック・ウォール・オブ・フェイム
・オヴ・ナンバー1ヒットの最新作となった「Now And Then」

1 60年6か月振りに全英チャート1位を獲得

(1)リリースから1週間後に1位を獲得

Now And Thenが1位であることを示すチャート

またまたビートルズがとてつもない記録を打ち立てました。ビートルズの最新にして「最後の」曲「Now and Then」がイギリスでトップシングルとなり、全英チャートで記録破りの1位復帰を果たしたのです。2023年11月2日にリリースされた「Now and Then」は、翌日にイギリスの公式シングル・チャートで42位に初登場すると、わずか1週間後に1位を獲得しました。ビートルズは、1963年5月に初の全英No.1「From Me To You」を記録してから60年6か月ぶりに新記録を樹立し、エルヴィス・プレスリーの47年6か月を破りました。

また、この記録は、1969年のバンドの以前のNo.1ヒット曲「The Ballad of John and Yoko」から54年ぶりであり、これは、それまでイギリスのシンガー・ソングライターであるケイト・ブッシュが1978年の曲「嵐が丘」No.1を獲得してから44年後の2022年に「神秘の丘」で再びNo.1を獲得するまでの記録を破りました。*1

(2)何から何まで記録づくめ

公式チャートによると、ポールとリンゴはそれぞれ81歳と83歳で、ビートルズが全英No.1シングルを獲得した最高齢のバンドとなりました。80歳を超えてチャート1位を獲得するなんて信じられませんね。

「Now And Then」はイギリスでこれまでのところ今年最速で売れたシングルで、初週のCDやレコードとダウンロードの売上は4万8,600枚、英国チャートでは販売とストリーミングを合わせて7万8,200ユニットを記録しました。公式チャートによると、イギリスで最も多くのNo.1シングルを持っているのはビートルズの18曲で、アメリカでそれ以上のシングル数である21曲を持っているのはエルヴィス・プレスリーだけだとされています。*2

 

 

2 ビートルズの曲といえるか

(1)4人が揃えばビートルズ

4人が一堂に会して演奏した

「この曲は、ビートルズ解散後のジョン・レノンのソロ曲であり、ビートルズの曲ではない」という意見もあると思います。そこには色々な考え方があるので否定はしません。ただ、そこでいう「ビートルズの曲」という定義をどう解釈するかにかかってくると思います。「ビートルズ結成から解散までにメンバーによって制作され、レコーディングされた曲」と厳格に解釈すれば、解散後にジョンがソロで制作した曲ですから外れることになります。

しかし、この曲に関しては、そこまで厳格に解釈する必要は無いのではないでしょうか。少なくともメンバーの誰かが作曲し、他のメンバーがそれをアレンジし、レコーディングして編集すれば、それがたとえ解散後であってもビートルズの曲といって差し支えないと思います。

(2)時期はズレているが

NEWS! Beatles "Now and Then" Song / Red & Blue Albums DETAILS - YouTube

例えば、「Yesterday」を思い起こしてください。あの名曲は、ポールが作曲からレコーディングまで一人で行い、他のメンバーは一切関わっていません。それでも、れっきとしたビートルズの曲です。これ以外でも、ビートルズの活動中に全員が演奏に参加しなかった曲はいくつかあります。しかし、それらもやはりビートルズの曲なのです。

確かに、バンドとしてのビートルズはもはや存在していませんが、時間がズレていたとしても、メンバー4人が一堂に会して自分たちの楽曲を制作し、レコーディングし、編集してリリースすれば、その時点で一時的に再結成したとも言えるわけです。

ジョンもジョージもレコーディングの時点では既に故人でしたが、ジョンは、生前に曲を制作してリードヴォーカルを担当し、ジョージはギターで参加し、最後にポールとリンゴがベース、ドラムを加えて完成させました。時期はバラバラではあるものの、4人が一堂に会して完成させたという意味では、ビートルズの曲と言って差し支えないと思います。

 

 

3 ジャイルズがジョージの意志を受け継いだ

(1)ジョージ・マーティンは断念した

二人のジョージ

ポールと「Now And Then」を共同プロデュースしたジャイルズ・マーティンは、このリリースにまつわる感情的、そして文化的意義を十分に理解しています。彼は、こう語っています。「この曲は、当時彼らが取り組んでいたもう一つの曲だった。彼らは、ただイライラしていたんだと思う。(父親でありプロデューサーの)ジョージ(・マーティン)がそうだったのは知っている。というのも、どうしても元のテープの音質が悪くてできなかったからだ。」

「でも今回、出来上がったのは、『Free As A Bird』のときよりもいいサウンドになった。父ジョージは、たぶん、『2曲はやれたけど、これは本当に難しい』と思っていただろう。たぶんこう言ったんじゃないかな『今日はここまでにしよう』って。それは曲が良くないからじゃない。曲は素敵だし、曲調も素晴らしいし記憶に残る」*3

(2)ジョンからポールへのラヴレター

Así fue la última conversación entre John Lennon y Paul McCartney — Futuro  Chile

ジョージ・マーティンは、なんとかしてこの曲を完成させたかったのですが、当時の技術ではどうしようもありませんでした。ピーター・ジャクソンにも話したんだけど、この曲はある意味、ジョンからポールへのラヴレターのようなものなんだ。(1982年のアルバム『Tug Of War』でジョンにあてて)ポールが書いた『Here Today』のようにね。そこがいいんだ。そこに明らかな深みもあるだろ」*4

涙がこぼれるような素敵なお話ですね。「Now And Then」がジョンからポールへのラヴレターだとすれば、「Here Today」はポールのジョンに対するアンサーソングだったのかもしれません。

 

 

4 実際の作業

(1)ポールが事前にかなり作業を終えていた

「Now and Then」でベースを演奏するポール

「Now and Then」は、近年でのビートルズのリリースで奇跡的に進歩したスタジオの恩恵を受けています。ジャイルズはこう語っています。「ポールは、私たちが『Revolver』でやったデミックスや『ザ・ビートルズ: Get Back』の制作過程を分かっていた。そして、彼は『Now And Then』の素材を倉庫で保管していた。というのも、彼らはライ(イングランドサセックス州)にあるポールのスタジオでジェフ(・リン)とオリジナルのレコーディングを行ったからね。ポールは、彼がやっていたことを私に聴かせてくれて、私に色々尋ねてきた。私は、その方向性について自分の意見も交換して一緒に作業を始めたんだ。だから、ポールは、私がテーブルに着く前にかなりの作業を終えていたんだ」*5

(2)ストリングスのフィーチャーはポールのアイデア

「ポールは当然、かなり慎重だった。彼は、決して陳腐にしたくなかったんだ。彼は『漠然とストリングスが合うかもしれない』と思っていたので、私たちはストリングスのアレンジをしたんだ。それから私は、LAのキャピトル・スタジオに行って、ポールがベストだと思うようにアレンジを調整した。それからレコーディングして、同時にバッキング・ヴォーカルを入れたんだ」

アビイ・ロード・スタジオの説明によれば、デミックス技術とは、対象となる楽器で学習されたアルゴリズムを使ってそれらの成分を抽出し、ヴォーカルの分離や除去を初めて可能にしたというものです。ジャイルズは、デミックスについてこう説明しています。

「ジョンの声の響きが本当に良くなって、ジョンの声らしく、より力強くなり、ある意味、より感動的になった。元々の考えではもっと楽器の編成が多かったんだけど、それを変えることにした。有機的なプロセスだったよ」*6

 

 

5 最新技術とビートルズ何も変えないこと

ジャイルズ・マーティン

彼はまた、ビートルズの熱狂的ファンが新しい技術に対して抱くかもしれない不安を喜んで和らげています。「デミックスを使用する際、私たちの最優先事項のひとつは、何も変えたり取り除いたりしないということなんだ。純粋なままであること。デジタルのトランジェンスやサンプリングといったものは一切行わない。それは本当に重要なことで、ビートルズサウンドを、彼らのハートとソウルを皆さんが聴くんだからね。『AIを使ったトラック』というと、誰かがコンピューターに『ビートルズ』と入力し、AIが作り出したもののように聞こえるけど、それは真実とはかけ離れているね」

ジャイルズは、さらに新しいツールを使って、ビートルズの名曲「Here, There And Everywhere」「Eleanor Rigby」「Because」のバッキング・ヴォーカルを織り込んで、新しい声を拡張することができました。彼にはどの素材が必要かはわかっていたようです。

「どのキーなのかはわかってるんだ。私は、キーとかそういうものを覚えるのは得意なんだよ。うまくいくといいんだけど、たまにうまくいかないこともよくあるから、そうしたらまたやり直す。ビートルズのハーモニーを聴きたかったんだ」

ジャイルズにとってこの作業は、2006年に発表されたアルバム「Love」とライヴショーのために新しく手の込んだミックスを作った、彼が初めてビートルズの仕事を任された場所に戻ることでした。

「これは、『Love』のショーと同じように、かなり未来志向だともいえる」彼はそう同意し、当時は(ビートルズ原理主義者の怒りを買うことを十分に予期していたと笑いながらこう付け加えました。「(当時「Love」の)音源を公開したとき、自分の家が本当に燃やされるんじゃないかと思ったよ」*7何より恐ろしいのは、一部の熱狂的なファンの過激な行動ですが、幸い、そのようなことにはなりませんでした。

(続く)

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*1:CNNニュース

*2:CNNニュース

*3:ユーディスカヴァーミュージック

*4:ユーディスカヴァーミュージック

*5:ユーディスカヴァーミュージック

*6:ユーディスカヴァーミュージック

*7:ユーディスカヴァーミュージック