★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ジョージはまだ2年間はビートルズとして活動を続けるつもりだった(331)

George Harrison during the recording of Abbey Road...

1 ジョージの実力は認められたのか?

(1)ジョンはどう考えていたか?

ビートルズの会議を録音したテープをもう少し掘り下げてみましょう。ジョージのことについてジョンが語っています。語り口から推察すると、ポールに話しかけているようです。

「僕らは、いつもシングルの市場を2人で分け合っていた。(ジョージとリンゴには)何も与えてこなかった。ジョージにB面を提供したことは一度もなかった。彼にB面をもっと提供することもできたが、我々は2人だったので、君がA面を僕がB面を分け合っていた。」

これもジョージの不幸なところでしたね。当時のシングルレコードは、A面にチャート1位を狙う曲、その裏を余らせてしまうのはもったいないので、B面としてもう1曲を収録していました。

ビートルズには天才コンポーザーが2人もいたため、シングルのA面とB面はいつも彼らに独占されてしまい、ジョージが入り込む余地はありませんでした。しかも、ビートルズの場合、そのB面ですら「何でこの曲がA面じゃないんだ?」と思えるほど、とんでもない名曲が数多くあったのです(^_^;)

 

(2)ポールはどう考えていたか?

ポールの反応は、ジョージの1969年以前の曲は規格外だと思っていたという冷淡なものでした。「ポールは、1mほど離れたところに座っているジョージには目もくれず『今まで、つまり今年までは、僕らの曲の方がジョージの曲よりも良かったと思うんだ。今年は、彼の曲が少なくとも僕らの曲と同じくらい良いんだ。』」

「たかだか1曲や2曲、良い曲を書いたぐらいでオレたちと対等になったなんて思い上がるなよ。」とポールが言いたそうな気持ちがテープから伝わってきます。だからさあ~、そういう上から目線の態度とか物の言い方がメンバーの反発を招いたんだって💦って、今さら言っても始まりませんが…。

2 まだ2年間はビートルズとして活動を続けるつもりだった

(1)ポールに反発したジョージ

George Harrison during the Abbey Road sessions (10...

ポールの言葉にジョージがすぐ反応しました。「そんなことはないさ。今年の曲のほとんどは、去年かおととしに書いたものだからね。たぶん、今の僕は、君が気に入るかどうかなんて気にしないで、ただやるだけさ......もし、それで上手くいかなかったら、無理はしないで忘れてしまうよ。でも、この2年間は、とにかくもうちょっとやってみようかなと思う。」

相変わらず自分を見下した態度をとるポールに反発したジョージでした。クラプトンがこんなことを言われたら、とっくに席を蹴って脱退していたでしょう(^_^;)

しかし、彼の言葉の中にも解散に関する重要なヒントが隠されています。それは、ジョージが少なくともあと2年間は、ビートルズとして活動するつもりであったということです。つまり、彼は、この時点では解散してソロになることなど全く考えていなかったんですね。彼がこの前の「Get Back/Let It Be」セッションで一時的に脱退したもののすぐに復帰したのも、本気で脱退するつもりがなかったことを裏付けています。

ポールの言動に問題があったのは事実ですが、ジョージにはまだ実績が乏しかった点も否定できません。彼は、「Somethig」「Here Comes the Sun」という名曲を制作しましたが、それがまぐれだった可能性もありましたから。ジョージもその点は自覚していて、「ビートルズジョージ・ハリスン」としてもう少し実績を積んでから、ソロデビューしたいと考えていたことが窺えます。

(2)ジョンは本当に認めたのか?

「ポールが言っていることは分るよ。」とジョンは話しました。「僕は、色んな人からジョージが以前よりもずっと良くなったと言われているからね。」

おやおや珍しくジョンがポールの意見に同調しましたね。というよりも、話しぶりからしてポールがまだまだジョージの実力を認めていなかったのに対し、ジョンは、他の人の言葉を引き合いに出しながらも、彼の実力を認めたかのような口ぶりです。だからこそ、次のアルバムにはジョージの曲を四曲も採用しようと提案したのです。

 

(3)2人に反発したジョージ

これに対し、ジョージは「僕は、別に自分の評価を求めているわけじゃないよ。そんなことはどうでもいい。ただ、何か邪魔なものを取り除いて道を開こうとしているだけさ。本当にそれだけだ。それに加えて、僕は、少しでも金を稼げればいいなと思っている。僕が君たちほど金を使っていないのは、君たちほど稼いでないからさ。」と応えました。

これは、ジョージのジョンやポールに対する恨み節とも嫌味ともとれますね(^_^;)若気の至りとはいえ、彼らは、音楽出版者のディック・ジェイムズに丸め込まれて著作権を売り渡してしまいました。そのあおりを食らって、ジョージまでもが作曲してもわずかしか収入が得られなくなってしまったのです。

それと同時に「いつまでもお前らの弟分扱いするな。」というジョージの2人に対する反発心が垣間見えますね。ジョンは、どちらかといえば素直に、ポールはまだまだ条件付きながら、それまで格下に見ていたジョージのコンポーザーとしての実力をようやく認めたのです。

しかし、ジョージは、彼らの評価を決して素直に受け止めてはいません。「こいつらは、まだオレのことを認めてない。」とジョージは感じていたのでしょう。

3 ジョージが不満をぶちまけた

(1)誰もバックで演奏してくれない!

Happy Birthday George - 50 years ago today - George Harrison

ジョージが話を続けました。「僕の曲のほとんどは、ビートルズのメンバーが誰もバックで演奏してくれないじゃないか。」ジョンとポールの曲は、イヤイヤながらでもメンバーがバックで演奏してくれましたが、ジョージの曲のレコーディングには消極的でした。

「おいおい、冗談はよせよ、ジョージ!」とジョンが声を張り上げました。「君の曲には『Don't Bother Me』みたいな曲だって、オレたちは沢山の仕事をノリながらこなしてきたじゃないか。君が弾いていたリフを覚えてるよ。この2年間、君がインドっぽい曲にハマって僕らが必要とされない時期があったんだぜ!」

ジョージの不満に対して、今度はジョンが反発しました。しかし、ジョンは、このテープの声とは裏腹に、ジョージのコンポーザーとしての才能を公然と批判しており、あまりバッキング演奏には参加しなくなっていました。

それに、この言い方にもちょっとトゲがありますよね。「Don't Bother Meみたいな曲」って、裏を返せば大した曲じゃないということを言っているようなもんじゃないですか。まあ、作ったジョージ自身も大した曲じゃないとは自ら言ってましたけど。

クワイエット・ビートル(静かなビートル)と呼ばれたジョージでしたが、このときばかりは、堰を切ったように日頃抱えていた不満をぶちまけました。そのため、ジョンが彼の曲のレコーディングにまったく協力してくれなかったと、事実とは少し異なる話をしています。これはあながち的外れともいえず、実際、「I Me Mine」のレコーディングでは、演奏しているジョージを無視してジョンとヨーコがダンスに興じているシーンが映画「Let It Be」に登場します。

ノーザンソングス社の束縛からようやく解放され、「Something」などの自作曲からの印税を享受できるようになったジョージは、それがどれほど自分に恩恵をもたらしてくれるかを実感しました。こうなればますますやる気が起きますよね。

ジョージは、ビートルズに在籍しながらソロ活動も開始していましたが、あくまでも独立後に向けての準備活動でした。ビートルズではできないような実験的なサウンド作りに取り組んでいたのです。

 

(2)メンバー同士のすれ違い

「あれは、たった1曲だけだよ。」とジョージは応えました。どの曲か具体的には言及していないのですが、話の流れからするとメンバーがレコーディングに参加しなかった「Within You Without You」のことを指しているのでしょうか。

「最後のアルバム(ホワイト・アルバムのことです。)では、君は、僕の曲には1曲も参加していなかったと思うよ。僕は、気にしていないけどね。」

「そうだな、エリック(クラプトン)とかがいたな。」と、ジョンは、傷付いたような口調で応えました。ジョージに痛いところを突かれて、ちょっとへこんでしまったんでしょうか。ここにもジョンの繊細さが表れているような気がします。

ホワイト・アルバムの頃から、このようなメンバー同士のすれ違いが目立つようになりました。もっと早い時期にメンバー同士でじっくり話し合った方が良かったのか?それでも、結局は上手くいかなかったかな。

4 ポールでさえ弱音を吐いた?

Beatle Paul McCartney, 1969, Abbey Road Studios, London England | Paul  mccartney, Beatles love, Abbey road

それからしばらく沈黙が続き、ビートルズのメンバーは、何を話すべきか言葉を探しているようでした。ポールは、自分たちが既にソロミュージシャンになっている事実を認めたくなくて、もはやバントとして消えかかっているビートルズに残された僅かばかりの事実を指摘し、ゆっくりとそしてほとんどささやくように話しました。「スタジオに入ったら、最悪の日でも僕はベースを弾いて、リンゴはドラムを叩いて、みんなそこにいるんだよ。」

僕たちは、もうバラバラになっているかもしれないけど、スタジオに入りさえすれば一つにまとまるんだ、という意味のことをポールはメンバーに対して言ったのですが、むしろ、自分に言い聞かせているように聞こえます。ほとんど彼らの絆が失われかけているという事実をさすがのポールも認めざるを得なかったのですが、それでもスタジオでビートルズとしてレコーディング活動を続けていきたいと、藁にもすがるような気持ちだったのでしょう。

しかし、そう思っていたのだとしたら、なおさらジョージに対して見せた態度はいただけませんね。もっと彼の実力をちゃんと評価すべきだったと思います。

ビートルズは、会議の初めこそ今後のことについて話し合うという前向きな姿勢でスタートしたものの、後半からは尻すぼみになった挙句、何の成果も得られませんでした💦「会議は踊る、されど進まず。」だったのです。

 

(参照文献)ジョン・レノン「ワン・デイ・アット・ア・タイム」アンソニー・フォーセット、ザ・ビートルズ・バイブル

(続く)

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