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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

MBE勲章を授与されたビートルズ(391)

MBE勲章を授与されたビートルズ

1 MBE勲章の授与が決定

(1)内定の通知

MBEとは「ミスター・ブライアン・エプスタイン」のことだとビートルズが語ったと報じた新聞

1965年5月初旬、ビートルズは、ロンドンのトゥイッケナム・スタジオで、2作目の主演映画となる「Help!」の撮影に追われていました。撮影の休憩時間にブライアン・エプスタインが現れ「首相と女王が君たちにMBE勲章を授与するという知らせが届いた。」とビートルズに伝えました。

ブライアンは、ビートルズ歓喜の声を上げることを期待していたでしょうが、それは見事に裏切られました。それもそのはずで、当時、労働者階級出身の彼らは、MBE勲章が何であるかを知らなかったのです。

これは、イギリスで国王から国家に貢献した人に与えられる勲章です。彼らにしてみれば「MBE勲章?何それ?」って感じだったんでしょうね。ブライアンがそれがいかにすごいことかを説明したのでしょう。

(2)公式発表

6月12日、ビートルズの授与が公式に発表されました。リンゴは、こう語っています。「彼(エプスタイン)は言ったんだ、『君たちはどう思う?』って。僕は問題なかったし、僕らの誰もが最初は何の問題もなかった。みんな本当にスリリングなことだと思った。女王に会ってバッジをもらうんだ。『これはクールだ!』と思ったんだ」ポールは「僕たちは、純粋に光栄に思ったんだ。」と付け加えました。

 

 

2 ジョンは反発した

(1)政府に取り込まれた

ビートルズ・ファンは有頂天になり、一時はすべてが順調に進むかのように思えました。しかし、その後、いつも最も反抗的な態度を取っていたビートルだったジョンは、郵便で公式の通知書を受け取ったとき「他のファン・メールと一緒に捨ててしまった」と語っています。

さらに彼は、最初に公式の封筒を見たとき「(軍隊に召集されるのかと)思った。MBE勲章を授与されるってことが、みんなが思っているようにおかしいと思った。みんなで会ってバカバカしいと思った。それから、すべて自分たちが合意したゲームの一部と思えたんだ。」と語っています。彼は、自分が操り人形のように動かされていると感じたのでしょう。

(2)ウィルソン首相の人気取り?

一部のマスメディアは、ビートルズを叙勲したのは、当時の労働党首相ハロルド・ウィルソンが、若い有権者の支持を得るためのスタント・プレーだと報じました。あながちそれも否定はできないかもしれません。彼は、まさかその後「Taxman」で、高額な税金についてビートルズに皮肉られるとは思いもしませんでした。

ジョンは、自分たちがイギリスの政府の体制に組み込まれてしまった、あるいは宣伝材料に使われたと感じて反発したのです。彼らしいですね。しかし、流石に拒否するにはまだ若すぎました。

3 反発した人々も

ビートルズが叙勲を承諾して、すべてが決まりました。しかし、過去のMBE受勲者の中には、この決定を受け入れられない人もいました。あんな連中と一緒にしてもらいたくないと勲章を返還した人もいました。ただ、その時は感情的になって返還したものの、冷静になってから後悔した人もたくさんいたでしょうね。

面白いのは、最も反発したジョンが、ビートルズが授与されたことについて、最も説得力のある感想を述べたことです。「僕らがMBEをもらったことに文句を言った多くの人は、戦争での英雄的行為に対してもらったんだ。彼らは、人を殺して手に入れたが、僕らは、楽しませたから手に入れた。僕らの方がもっとふさわしいと思うね。」

それまで勲章を授与された人の中には軍人も多かったですからね。しかし、ビートルズは、彼らと違って誰も殺さず世界中の人々を幸せにしたのです。

 

 

4 バッキンガム宮殿へ

(1)ジョンが宮殿でマリファナを吸った⁉️

叙勲されるビートルズを一目見ようとバッキンガム宮殿に殺到したファン

1965年10月26日、騒動と論争の中、ビートルズは、ジョンの黒のロールスロイスでバッキンガム宮殿を訪れ、勲章を受け取りました。ジョンは、この日、公式の式典に出席するために、何度も電話でベッドから起こされました。あるいは、ドタキャンするつもりだったのかもしれません。

彼らは、式場で非常に緊張していました。あまりの緊張のためバッキンガム宮殿のトイレで「マリファナを吸った」とジョンは後に語っています。この信じられないようなエピソードは、何年にもわたって語り継がれました。

(2)ポールもジョージも否定

しかし、他のメンバーは、後にこの物議を醸す主張に反論しています。ポールは、宮殿のトイレでマリファナを吸ったことは「覚えていない」と語りました。彼は、物事を正確に記憶していたことで知られています。それに対してジョンは、忘れっぽいというか、記憶がいい加減だったり脚色されたりしていました。なので、この話も怪しいとされています。何しろ自分で作った曲の歌詞を間違えるんですから。

ジョージもメンバーは確かに緊張していたが「授賞式でマリファナを吸ったことはない...タバコは吸ったよ、あの頃はみんな喫煙者だったからね。」と主張しました。この「マリファナ吸引事件」は、ジョンが度々記憶違いのエピソードを披露してきたために信用されず、現在では都市伝説扱いになっています。

 

 

5 エリザベス女王から授与

(1)女王との短い会話

ビートルズエリザベス女王

数百人の受賞者を迎えてエリザベス女王が入場し、ビートルズ一人一人に勲章が授与されました。女王との実際の対話は短いものでしたが、その中の一節が残っています。女王は、リンゴに近づき「グループを始めたのはあなたですか?」と尋ねました。それに対してリンゴは「いいえ、女王陛下、私は最後に参加しました...私は小さな仲間です。」と応えました。彼らしいユーモラスな応えですね。

ジョンは、勲章を受け取ると、すぐに育ての親であるミミ叔母さんの家に持って行きました。ジョンは、彼女の家に入ると勲章をピンで留め「ほら、叔母さんの方がこれにふさわしいよ。」と彼女に預けたのです。彼の勲章は、その後4年間、ミミのテレビの上に飾られることになりました。彼女は、自分が苦労して育てたジョンが、こんな立派な勲章を授与されて夢みたいな気持ちだったでしょう。

(2)ジョンの不満

しかし、ジョンは、勲章を受け取ったことで自分が体制側に売られたという思いを拭い去ることができませんでした。彼は、メンバーの中でも特に体制に強い反発を抱いていたのです。実際、ジョンとポールの間には、この賞を受けたことをめぐって対立があったと言われています。

ポールは、常に最もエスタブリッシュメントなビートルでしたが、勲章を「偉大な名誉」だと主張したのに対し、ジョンは、くだらないことだと軽んじました。ポールとジョージは、2年後のアルバム「サージェント・ペパーズ」のジャケットと中面の折り返し部分に、誇らしげに勲章を着けているのがはっきりと見えます。  

 

6 ジョンは勲章を返還

(1)女王に宛てた手紙

MBE勲章を返還することを記した女王宛の手紙

受賞から4年後、イギリス政府は、ナイジェリア政府の内戦を支援しており、未承認国家のビアフラが攻撃され、1969年の夏にかけて激化した流血の紛争で数多くの子どもたちが飢餓に追い込まれました。

1969年11月25日、ジョンは、声明を出すことを決意しました。彼は、ミミに預けていた勲章を返してもらい、アップル本社のオフィスに戻りました。彼は、そこでジョンとヨーコの新会社「バッグ・プロダクション」製のメモ用紙に、女王に宛てた手紙をタイプで書きました。

「陛下

私は、ナイジェリア・ビアフラ問題へのイギリスの関与、ヴェトナムへのアメリカへの支援、そして「コールド・ターキー」のチャート下落に対する抗議として、MBEを返上します。

愛をこめて。バッグのジョン・レノン

「バッグのジョン・レノン」とは、当時、ジョンとヨーコが「バギズム」を提唱していたことに因んでいます。人がすっぽりと袋の中に入ることにより、外見に関係なくコミュニケーションが取れるというあらゆる差別に対する抗議運動です。

(2)メンバーそれぞれの想い

ジョンは、ソロ・シングル「コールド・ターキー」について軽々しく言及したことで自分の発言の価値を下げたと後悔しました。リンゴは、後にこう言っています。「僕は、決して自分のものを送り返すつもりはなかった。ジョンにはジョンなりの理由があったけど、僕は違った。当時、僕は、とても誇りに思っていた。そのおかげで、ハロルド・ウィルソンに選挙で勝つことができたんだから。女王に会うのはウキウキした気分だったし、型破りなできごとだった。」

1997年にポールが、2018年にリンゴがナイトの称号を受けました。ジョージは、2000年にOBE(大英帝国勲章)の授与を断ったのですが、それはポールと同じように自分もナイトの称号を受けるべきだと思っていたからだと伝えられています。残念ながら、彼は、その翌年に亡くなりました。

(3)もし生きていたら

ナイトの称号を授与されたポール

ナイトの称号を受けるリンゴ

もし、ジョンもジョージも生きていれば間違いなくナイトの称号を得られたと思いますが、ジョンは辞退したでしょう。もう一つ、彼の友人のボブ・ディランは、2016年にノーベル文学賞を受賞しましたが、ジョンが生きていれば同時に平和賞を受賞したのではないかという人もいます。こちらの方は、世界平和に貢献したことを評価されたのですから、辞退はしなかったのではないかという気がします。これも「たられば」のお話ですが。

(参照文献)トゥデイ・アイ・ファウンド・アウト、ラジオX

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