★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

英王室とビートルズとの交流(390)

ビートルズと握手するマーガレット王女

1 英王室にも早くから人気があった

ロイヤルバラエティショーで演奏するビートルズ

エリザベス2世女王陛下が2022年9月8日に逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。今回は、英王室とビートルズとの関係についてお話ししようと思います。

1963年に入ると、ビートルズは、イギリス全土で熱狂的に迎えられていました。もちろん、ティーンエイジャーが中心で大人たちは、彼らの長髪と騒音に眉をひそめていました。

しかし、意外なことに、ビートルズは、お堅いはずの英王室にも早くから人気があったのです。一時期、チャールズ皇太子は、ビートルズのサインを要求して、実際に受け取ったことがありました。残念ながら、それは本物ではなく、ロードマネージャーのニール・アスピナルが彼らに代わってサインした何千もの偽造品の一つでした。

この話を聞いてびっくりしたんですが、何で皇太子に偽のサインを渡したんでしょうかね?確かに、スタッフたちは、とてもうまくマネしていたので、素人が見ても分かりません。そうはいっても、相手は皇太子ですから、バレたら大変なことになるとは思わなかったんでしょうか?というより、王室に対する彼らの反骨精神の表れだったのかもしれません。

 

 

2 ファースト・コンタクト

(1)ロイヤル・ヴァラエティ・ショーでコンサート

www.youtube.com

(動画は後に着色されたものです)

ビートルズと王室との関わりは、1963年11月4日にロンドンのプリンス・オヴ・ウェールズ劇場で行われたロイヤル・ヴァラエティ・ショーに、エリザベス皇太后、マーガレット王女、スノードン卿が出席して出演したときから始まりました。このとき、ジョンが観客に向かって「最後の曲になりました、皆さんのご協力をお願いします。安い席の人は拍手をしてください。それ以外の人は宝石をジャラジャラ鳴らして下さい」と言ったのは有名なエピソードです。

労働者階級出身の彼が王室に対して見せた、精一杯の皮肉だったのかもしれません。しかし、王室の人々は、ユーモアと受け取り笑って拍手してくれました。マネージャーのブライアン・エプスタインは、ジョンがとんでもないことをしでかさないだろうかと冷や冷やしていました。もちろん、絶対に失礼な真似はするなと事前に太いクギを刺してはいましたが。

(2)皇太后に気に入られた

ショーの後、ビートルズは、ロイヤルラウンジで皇太后に紹介されました。彼女は、彼らにショーを楽しんだことを告げ、次はどこで演奏するのかと尋ねました。この時彼女は63歳だったのですが、年配だったのにビートルズを楽しめるなんて相当進歩的な方だったんでしょうね。

彼らは「スラウです」と答えました。ロンドン中心部(チャリングクロス)の西方30 km位の場所です。すると彼女は「ああ、ここから近くね」と喜びました。ビートルズの印象について聞かれた彼女は「彼らは、とても新鮮で活気があって大好きよ」と応えました。

フィリップ殿下は、1964年3月23日、レスター・スクエアのエンパイア・ボールルームで、ビートルズに「世界ダンス界のオスカー賞」ともいわれるカール・アラン賞を二つ贈り、ジョンと本について語り合いました。

 

 

3 マーガレット王女が大ファンだった

1)映画「A Hard Day's Night」のプレミア上映会に招待

プレミア上映会に出席したマーガレット王女

ビートルズと最も関係の深い王室メンバーは、ジョンが自著の中でプライスレス・マーガリンと称したマーガレット王女です。1964年7月6日、王女とスノードン卿は、ロンドン・パビリオンで行われた「A Hard Day's Night」のプレミア上映会に出席しました。

上映会の終了後、ドーチェスター・ホテルでプライベート・パーティーがあり、プリンセスとスノードン卿は、友人たちを連れて立ち寄りました。王女一行が楽しそうにしていると、ジョージが映画のプロデューサー、ウォルター・シェンソンに近づいて「いつになったら食事ができるんだ?」と尋ねました。

シェンソンは、マーガレット王女とスノードン卿が帰るまで食事はできないと言っていたんです。王族の二人が帰るまで、他の人々は、食事に手をつけてはいけないという王室のルールがあったのでしょう。でも、ジョージは、お腹が空いて早く食べたかったんですね。シェンソンは「マーガレット王女とスノードン卿がお帰りになるまで食事はできないんだ。とにかく我慢してくれ」と頼みました。

(2)マーガレット王女に直訴した

ところが、15分後、ジョージは、王女のところに行き「殿下、私たちは本当にお腹が空いているんですが、お二人が帰られるまで食事ができないんです」と直訴しました。いや、ジョージの大胆な行動には驚かされますね。

腹が減ったから早く食べさせてくれと、側近にならまだしもマーガレット王女に直訴するなんて、普通の人が聞いたら卒倒してしまいそうな行動です。よほど空腹で我慢できなかったのでしょう。というより、自分たちは労働者階級出身で、王室なんて何とも思っていないという意識が根底にあったのかもしれません。

「分かったわ」と彼女は応えました。「それなら、逃げたほうがいいわね」彼女がいる限りビートルズは食事ができません。たとえマーガレット王女といえども、王室のルールを破るわけにはいかなかったのです。かといって、彼女がレセプションの途中で退席してしまったら「何か気に入らないことがあったのか?」と関係者に余計な気を使わせてしまいます。

それで、彼女は、ビートルズにこっそり会場を抜け出すように勧めたのです。彼女も機転が利きますね。本来ならジョージの無礼な行動を咎めるところですが、彼女にはそんな気持ちはサラサラなくて、むしろ、誰も傷つかない一番穏当な解決策を提案してくれました。

 

 

4 マーガレット王女はトゥイッケナムも訪問した

(1)トゥイッケナム・フィルム・スタジオを突然訪問した

マジック・クリスチャンに出演したリンゴ

1965年3月8日、再びレスター・スクエアのエンパイア・ボールルームで開催されたカール・アラン賞で、マーガレット王女は、ブライアンにビートグループ賞を贈呈しました。マーガレット王女とスノードン卿は、1965年7月29日にロンドン・パビリオンで行われたビートルズの映画「Help!」のプレミア上映会に再び出席しました。

1969年3月4日、マーガレット王女は、突然、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでリンゴの主演映画「マジック・クリスチャン」を撮影中のリンゴとピーター・セラーズを訪問しました。彼女は、午前11時から午後5時まで撮影現場にずっといました。ここまで来るともうガチのファンですね。

この日、撮影現場を訪れたのは、ポールとリンダ、メリー・ホプキンでした。ポールと王女は、午後のほとんどを一緒に会話して過ごしました。

1969年12月11日、ケンジントンのオデオン座で行われた「マジック・クリスチャン」のプレミア上映会に王女も出席しました。リンゴと妻のモーリーン、ジョンとヨーコも出席しました。

(2)ジョージが王女に救済を求めた

1969年3月12日、ジョージとパティは、ポールの結婚式に出席しようとしていました。その時、彼らの家に警察の家宅捜索が入りました。あの悪名高き麻薬取締官ノーマン・ピルチャーです(337で取り上げました)。薬物が発見され、彼らは警察署に連行され、尋問を受けることになりました。弁護士が彼らを保釈し、彼らは、その夜のパーティには出席できたのです。そこには、マーガレット王女とスノードン卿がいました。

ジョージは、二人のところに行き、逮捕されたことを告げました。「まあ、なんてことでしょう」と王女は言いました。「私たちを助けてくれませんか?あなたのお力で」とジョージはお願いしました。マーガレット王女は、申し訳なさそうに「ごめんなさい、それは無理だわ」と返事しました。そりゃそうですよね。王女が警察の捜査に介入するなんてできませんから。

パティの妹のポーラも出席していましたが、財布からマリファナを取り出して火をつけました。みんなに見られていることに気づいたポーラは、自分がマリファナを回さないからみんなが気を悪くしているのだと勘違いしたのです。

こともあろうに彼女は、それをマーガレット王女に差し出し「吸いますか?」と勧めました。王女とスノードン卿は、パーティーから逃げ出しました。いやはや、いくらマリファナを王女に差し出すとはどうかしてますよね。

 

 

5 MBE勲章の授与

The Day the Beatles Received Their MBEs

英王室との関係といえば、ビートルズは、1965年10月26日のMBE勲章授与式でバッキンガム宮殿の内部を見学しました。ブライアンは、授与されなかったことでうつ病になり、自分が同性愛者でユダヤ人であるために外されたと感じたようです。彼は、大功労者ではありますが、メンバーじゃないですから仕方ないですよね。

MBEとは、Most Excellent Order of the British Empireの頭文字をとったもので、毎年授与される名誉ある賞です。爵位としては最も低いもので、1917年に国王ジョージ4世によって創設されました。「メロディ・メーカー」は、1965年3月の見出しで、政府に「ビートルズに敬意を払え!」と提言していました。ペンシルバニアの75人の若者がすでにビートルズ爵位を与えることを提案する手紙を女王に出していました。

ビートルズが授与されたのは、イギリスに多大な貢献をしたからであって、ウィルソン首相が若者の人気を取ろうとしたためではありません。表向きはね。裏があったら知りません。

(参照文献)マージー・ビート

(続く)

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