★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

救世主がやって来た~ビリー・プレストンが参加(369)

レコーディングに参加したビリー・プレストン

※この記事は、映画「Get Back」の「ネタバレ」を含んでいるので注意してご覧ください。

1 ハーモニーの仕上げは翌日に持ち越し

ジョンにハーモニーの仕上げを求めるポール

21日のレコーディングの補足です。「She Came Through The Bathroom Window」のハーモニーにポールはまだ満足していませんでしたが、時間も遅くなったので明日にすることにしました。

帰り際にポールがジョンに話しかけました。「(ハーモニーの仕上げが)絶対要る。」ジョン「ハーモニーか?君が考えろ。ギターはリフだ。」ポール「今日は全然変わらなかった。全然だ。」ジョン「ハーモニーか?」ポール「もっとクリーンに。」ジョン「リフにもっていこう。僕はリフが好きなんだ。」

ポールは、自分の意見が取り上げられず苦笑いしてうつむきました。ただ、リリースされた音源を聴く限り、結果的には彼の意見が採用されたようです。

2 ビリー・プレストンが訪問

(1)ジョンがアレンジの改善を提案

撮影13日目の22日を迎えました。コントロール・ルームでジョンが「Dig A Pony」のドラムについてアイデアを出しています。「All I wantの所はこんな風に」とドラムを叩く素振りをしながら、「〜♪ドゥドゥドゥドゥ」と口でドラムの音をマネています。今までもこんな風なやり方で、お互いに欲しいサウンドを説明してきたんでしょうね。

ただ、ジョージは、一つ一つ音を重ねていけばいい、先へ進もうと促しました。しかし、ジョンは、「この曲は行けるよ。リズムを少し変えるべきだと思う。今はどっちつかずなんだ。」彼は、ポールほどの完璧主義者ではありませんでしたが、この曲の仕上げに関してはこだわっていたようです。

ビートルズがコントロール・ルームから出ようとしたとき、ジョージが「それと思ったんだけど。」と言いかけたところで、ビリー・プレストンの映像に切り替わりました。ジョージがプレストンをサポートに加えることを提案したと観客に思わせるような編集です。

(2)思わぬアシスト

ビートルズは、前日のレコーディングの際に、エレピが必要だがそれならサポート・ミュージシャンを加えないといけないという話をしていました。スタジオには前日にエレピがセッティングされていましたが、それは、メンバーの要求ではなくスタッフの配慮だったようです。しかし、結果的にこれが思わぬアシストになりました。

エレピがある→レコーディングにエレピを使いたい→ライヴだから奏者が必要→奏者を加えるという流れでピアノ奏者を参加させるという流れになりました。そして、白羽の矢が立ったのがビリー・プレストンです。

 

 

3 頼もしいピアニスト

(1)ビートルズとは旧知の間柄だった

プレストンは、1962年にビートルズの友人になりました。ビートルズが下積み時代に演奏していたハンブルクで、彼は、ビートルズがこよなく愛していた偉大なロックンローラーであり、天才的なピアニストとしても有名なリトル・リチャードの伴奏者を務めていました。彼は、ビートルズがカヴァーしていた「A Taste Of Honey」のリクエストをよくしていたのです。

ロックンロールとは縁遠いバラードですが、何か彼の心に響くものがあったのでしょう。ビートルズがこのスタジオでもチラッとそれを演奏して見せたので、プレストンも懐かしそうに笑顔を見せました。

(2)偶然か、招待されたのか?

ビートルズに歓迎されるプレストン

映画「Get Back」では、プレストンは、BBCテレビに出演するためロンドンに来ており、ビートルズがキーボード奏者を必要としていることを知らずに、アップルを訪れたとしています。これが事実なら物凄い偶然ですが、従来の説明とは異なります。

従来伝えられてきたところによると、ジョージがセッションの暗い雰囲気を変えるため、彼を招待したとされてきました。映画の説明はこれと異なり、プレストンの参加は、あくまで偶然に過ぎなかったとのことですが、残された映像の中に何かそれを示す根拠のようなものがあったのでしょうか?

(3)プレストンに参加を要請

プレストンに参加を要請するジョン

ジョンがスタジオに入ったプレストンに事情を説明しました。「曲にピアノ・パートがあり、普通は重ね録りする。でも、今回はライヴ。僕らだけで次々演奏しなきゃいけない。人が要る。やってくれるなら歓迎する。」これに対しプレストンは「いいね。」と笑顔で応えました。ジョンがアルバムへの参加も求めるとこれも快諾しました。ジョンは「良かった。」と胸をなでおろしました。ジョン「何テイクか撮ってるから、聴けば曲の感じが分かる。聴かせよう。」ジョージ「演奏を聴かせた方が早い。」

このやり取りを見る限り、「偶然来た」という解釈の方が正しそうですね。招待されたのなら、その時にこのような説明は聞いてきているはずですから。

ジョンは、その場にいたジョージ・マーティンをプレストンに紹介しました。彼らは、初対面だったと思います。ジョンは「リトル・リチャードのバック時代、ハンブルクで会った。」と紹介しました。ビートルズは、下積み時代にリチャードの前座を務めたことがありました。

 

 

4 ビートルズが求めていたサウンドだった!

ビリー・プレストンが参加したセッション

早速、プレストンは、キーボードの椅子に腰かけてスタンバイしました。そして、ビートルズが「I’ve Got A Feeling」の演奏を始めると、それを聴きながら間奏のところに、即興で鍵盤を叩いてエレクトリック・ピアノサウンドを重ねたのです。正に「それだ!」と思わず叫んでしまうくらい、この曲のイメージにピッタリのサウンドでした。それを聴いたポールが、目を見開いて輝かせ、喜びと驚きの入り混じった顔でプレストンを見ました。弾いているプレストンも楽しくて仕方がないといった感じでした。

プレストンの演奏に目を輝かせて喜ぶポール

演奏が終わると、ジョンは、破顔一笑してプレストンに「君は、グループの一員だ。」と語りかけました。ハンブルク時代から彼の腕は知っていたとはいえ、それから10年も経っていましたからね。それが事前に何の打ち合わせもなく、曲をちょっと聴いただけで即興でピッタリのサウンドを叩き出したのですから大したものです。まるで、長年やってきたメンバーのようでした。

彼の参加は、ビートルズサウンド作りに大きく貢献しただけではなく、緊張関係にあったスタジオの雰囲気を和ませ、思うようにレコーディングが進まず、行き詰っていた彼らに活路を見出させたという絶大な効果をもたらしたのです。救世主がやって来た瞬間でした。

見事なサウンドを提供するプレストン

5 スタジオの雰囲気が一変に明るくなった

笑顔がこぼれるメンバー

プレストンは、引き続き「Don’t Let Me Down」のレコーディングも行いました。ここでも小気味のよいエレクトリック・ピアノサウンドが響き渡りました。演奏が終わると、ビートルズから口々に「素晴らしい。」「ビリーのおかげだ。10日も行き詰ってた。」と賞賛の声が上がりました。

その後もこの曲のレコーディングを続けましたが、それまでと違ってメンバーの表情が明らかに生き生きとしているのが映像でもはっきり分かります。それまでスタジオを覆っていた重苦しい雨雲が吹き飛ばされて、明るい太陽が燦燦と照らし始めたのです。それは、まるで「Here Comes The Sun」を地で行っているようなものでした。1人が加わるだけで、これほど雰囲気が変わることがあるんですね。

その後、何度もテイクを重ね、ジョンは、間奏に入ると「ビリー、行け!」と声をかけるほどノっていました。プレストンの演奏は即興だったので、テイクのたびにタッチが違っていたのだろうと思います。

 

 

6 自信を付けたジョン

(1)プレストンの参加で

今後の方針について話し合うジョンとホッグ

一通りレコーディングを終えた後、ホッグがジョンに語りかけました。「ニールと話した。何かやるなら来週の前半だろうって。」

ジョン「曲を仕上げたらね。今ほぼ3曲仕上がった。やれるよ。ビリーがいるからね。」

ホッグ「彼、残る?」

ジョン「もちろんだよ。問題を解決してくれた。ポールはここでやり、ブリムローズでもやると。」

ホッグ「ここでやり、間を空け…。」

ジョン「あるいは、アルバムの半分をここ。残りを屋外でも。トゥイッケナムの分も集めたら最高の物ができる。テレビじゃなく映画になる。僕らの3本目のね。今よくなってる。」

一方、レコーディング・ルームではジョージがポール、リンゴ、プレストンと話しています。「アルバムならこれで決めようと結論を出す。でも、ツアーで弾き続けていくと曲が変わっていく。リハーサルも永遠に続きそうだぞ。」彼は、もうこの辺りでアレンジを決めて、アルバムを完成させるべきだと考えていたようです。

(2)2会場でのライヴも

ジョンは、プレストンの加入でビートルズのモチベーションが高まり、ライヴでもレコーディングでもやれると自信を深めたようです。彼は、ここで一気にアルバムを作ってしまおう、トゥイッケナムの分も含めたら十分可能だと話しました。

しかも、ライヴをアップルだけではなく、プリムローズヒルでも行うという意気込みです。屋外ライヴにあれほど消極的だったのに、2箇所でやろうというのですから、大変な変わりようですね。

(3)アルバムにはできなかった

確かに、このレコーディングで彼らが制作に取り組んでいた曲の多くは、後のアルバム「Abbey Road」に収録されました。ですから、曲自体のクオリティーは高かったのです。ただ、数曲を除き、アルバムを制作できるまでには仕上がってはいませんでした。

もっと時間に余裕があり、じっくりとレコーディングできれば、アルバムが完成していた可能性はあったでしょうが、あまりにも時間がなさすぎました。プレストンの参加は、ビートルズにとって大きな福音となりましたが、アルバムを完成させるという目標を達成するには、行き当たりばったりではない明確な方針が必要だったのです。

 

 

(続く)

この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。