- 1 レコーディングを再開
- 2 エレクトリック・ピアノが運び込まれた
- 3 カメラマン、イーサン・ラッセルの登場
- 4 ホッグがまた屋外ライヴを提案
- 5 「I’ve Got A Feeling」はジョンとポールの協力の賜物
※この記事は、映画「Get Back」の「ネタバレ」を含んでいるので注意してご覧ください。
1 レコーディングを再開
(1)歌詞を書き換えた
ビートルズは、「Dig A Pony」のレコーディングを再開しました。ジョンは、レコーディングしながらアイデアが湧いたようで、歌詞の一部を書き換えました。歌詞は、綺麗にタイプ打ちされていましたが、ジョンは、スタッフからペンを受け取ると、その一部を消して新しい歌詞を余白に書き加えました。
結果的には、こちらの方が採用されました。おそらく、どの曲もこんな風に作り込まれていったのでしょうが、その過程が全て残されていれば、音楽史に残る貴重な記録になっていたでしょう。
(2)音源をチェック
テイクが終わり、メンバーは、コントロール・ルームに入って、レコーディングしたばかりの音源をチェックしました。ジョンは、リンゴのドラムに対して改善を要求しました。彼は、右手で壁を左手でコンソールを叩きながら、君はこうやっているが、こんな感じでやってくれとリンゴに要求しています。
どうやら、ヴァースの頭のところのドラムの音が少し弱いのが気に入らなかったようです。ジョンから意見を求められたポールは、リンゴに「シンバルを入れたら?」と提案しました。リンゴは、自分で両手を叩いてリズムを取り「そういうことか。」と納得しました。ジョンの指示は、ポールほど細かくはなく、また、ジョージにもポールにも意見を求めました。ポールとの違いは、こういうところですかね。
この時期になっても、ビートルズは、ちゃんとメンバー全員で話し合いながら曲を作り込んでいたのです。サウンドチェックが終わると、彼らは、もう一度レコーディングに戻りました。
2 エレクトリック・ピアノが運び込まれた
(1)どう使う?
再びレコーディングを続けていると、スタジオにエレクトリック・ピアノが運び込まれました。メンバーは知らなかったようですが、一体誰が機材の搬入を指示していたんでしょうか?「ピアノを足すのか?」「でも、どう使う?ギターが1人になる。」「ピアノ奏者がいるな。」「ストーンズとやってた奴がいたろ。」「ニッキー・ホプキンス」こんなやり取りがメンバーの間で交わされました。
ビートルズは、「She Came Through the Bathroom Window」のレコーディングを再開しました。ジョンがエレクトリック・ピアノの前に座り、「こうか?」とアレンジをポールに尋ねました。すると、ポールは、彼の隣に立って実際に鍵盤を叩き、こんな感じでと指示しました。
(2)ポールの指示は相変わらず細かかった
ポールは、ジョージにこんな風に指示しました。「コードは少しソリッドに。上を歌って。いいぞ。こんな感じだ。ここは3声でタイトに歌ってくれ。こう…。(ジョンを見ながら)そこの伴奏はもっと…平坦に。」相変わらず指示が細かいですね。ただ、メンバーもそれほどイヤがっている感じはしません。この前に話し合って、少し距離が縮まったようです。次第にアレンジが仕上がっていく様子が伝わってきます。それによって、曲のクオリティーがより高まっていると感じます。
ジョン「エレピを入れよう。他のバンドもライヴで入れてる。テレビで観た。」ジョージ「もう一人要る。」ポール「そこだ。」重ね録りはしない方針でしたから、エレピを入れるとなればサポート・メンバーが必要となります。徐々にではありますが、それぞれの曲が完成に近づいていることは確かです。しかし、まだ完全に仕上がったとまでは言えません。ともかく、これで21日のレコーディングは終わりました。
3 カメラマン、イーサン・ラッセルの登場
撮影13日目の22日を迎えました。ビートルズは、既にスタジオに入っていて、その日のデイリー・メール紙の記事を話題に雑談していました。相変わらずデタラメな記事のオンパレードです。今でいう「フェイクニュース」ですね。
ここでスタジオの中で盛んに写真を撮っている人物が映像に現れます。アメリカ人カメラマンのイーサン・ラッセルです。普段は撮影する側の人物なのに、こうやって撮影される側に回るのは珍しいですね。ラッセルは、ロックンロール界を代表するカメラマンとして、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、リンダ・ロンシュタット、ドアーズなど数多くのロックスターたちを象徴する写真を撮影してきました。
彼は、このプロジェクトに招待され、その時撮影された写真は、「Let It Be」のジャケットに採用されました。また、1968年7月28日に行われたビートルズ最後のフォトセッション、いわゆる「マッド・デイ・アウト」に参加した数少ないカメラマンの一人でもあります。
4 ホッグがまた屋外ライヴを提案
(1)プリムローズ・ヒルでの撮影
ホッグがまた屋外ライヴを提案しました。何度も断られているのに、驚異的な粘り腰です。彼が新たに提案したライヴの場所はプリムローズ・ヒルで、一曲演奏するごとに観客を増やす演出を提案しました。
ここは、ロンドン郊外の小高い丘でロンドン市街が一望できる絶好のロケーションが好まれ、著名人の自宅がある高級住宅街として有名です。ポールは、ホッグの提案に賛成しました。とにかくどこでもいいからライヴをやりたかったんですね。
ポール「期間は2日間かな。予定があれば頑張れる。今は目標がない。」ホッグ「2日あれば改善できる。」ポール「きっと魔法が働いてうまくいくさ。」ホッグ「時間的に見て1週間前後かな?」ポール「だな。」
ポールもホッグも未だに曲が完成していないにもかかわらず、1週間後には予定通りライヴを実施するつもりだったんです。まあ、楽天的というか、相当な自信家ですね。並のミュージシャンなら、とっくにギブアップしてますよ。でも、実際にやっちゃったんだから、スゴいんですけどね。
(2)フリートウッド・マックの話題に
ここで、コントロール・ルームのジョンズから、ポールのベースのサウンドが不調だとアナウンスがあり、ポールがベースやアンプを調べている間に、ジョンが雑談しました。
「フリートウッド・マックのライヴ観た?リード・シンガーがいい。静かに歌う。シャウト系じゃない。」「とにかくいいんだ。ギターもいい。」とやや興奮気味に話しました。フリートウッド・マックは、1967年にイギリスで結成されたバンドで、この頃にはもうセカンドアルバムをリリースして高く評価されていました。
ジョンが観たライヴかどうかは分かりませんが、彼らの映像が残されています。確かに、ヴォーカルのピーター・グリーンは、ロックにしては珍しく静かなヴォーカルですね。ですが、ギターは対照的にパワフルな演奏です。
5 「I’ve Got A Feeling」はジョンとポールの協力の賜物
(1)ジョンが自分のパートを歌いだした
ビートルズは、「I’ve Got A Feeling」を完成させようと再び取り組みました。リハーサルを続けていると、コントロール・ルームからジョンズがジョンに対し、ギターの低音の音量を下げるよう指示が飛びました。彼の耳には音量が大きすぎると聴こえたようです。ジョンは、言われた通りトーンヴォリュームを調節してギターの音量を下げましたが、あまり納得していなかったみたいです。
一々指示されることにフラストレーションが溜まったのか、彼は「オレの本当の気持ちを教えてやる!」と叫んで「I’ve Got A Feeling」の自分のパートを歌い始めました。ジョンとポールがこの曲の中で別々のパートを同時に歌うというアイデアは、既に1月2日のトゥィッケナム・スタジオのレコーディングで披露されていました。ということは、前年の時点で既に彼らが打ち合わせていたことを示しています。ジョンがヴォーカルを続けましたが、その一瞬を撮影した写真がアルバムのジャケットに採用されました。
(2)ジョンとポールは協力していた
ビートルズの伝記作家バリー・マイルズは、ポールの著書「Many Years From Now」から、1968年12月のある日、ロンドンのセント・ジョンズ・ウッド、キャベンディッシュ・アヴェニュー7番地にあるポールの自宅で、実際に次のようなことが行われていたと記述しています。「ジョンは、自分のセクションをキャヴェンディッシュ・アヴェニューに持ち込み、対等な50対50のコラボレーションとして一緒に曲を仕上げた。」とマイルズは語り、さらにこう付け加えています。「『I've Got A Feeling』は、彼らの持続的なパートナーシップを示す良い例だ。」
ジョンは、1969年1月2日にトゥイッケナム・スタジオで他のメンバーと合流し、ラストパートの2人のヴォーカルのシンクロに至るまで、すでにこのやり方でいくとアレンジを決めていました。後は、ジョージとリンゴと一緒にアレンジを完成させ、レコーディングに向けて何度もリハーサルを重ねるだけでした。*1
このようにこの時期においてもジョンとポールは、互いに協力しながら一つの作品を2人で完成させようとしていたのです。そうでなければ、メロディーが違う2つのヴォーカルをあれほど見事に対位法を使って合体させることなどできません。彼らは、仲が悪くなっていながらも、ちゃんと協力して作品を作っていたのです。第三者には窺い知れない、彼らだけにしか分からない不思議な関係が見て取れます。
(続く)
この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。
下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。