★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

映画「Get Back」〜ゲット・バック・セッションが始まった(350)

「ザ・ビートルズ:Get Back」<br><span class="fnt-70">(C)2021 Apple Corps Ltd. All Rights Reserved.</span>

1 スケジュールや環境にも問題があった

(1)貴重な記録が残された

Luz Verde&quot; para &quot;Get Back (Take 8)&quot; de The Beatles - La CarteleraMX

※この記事は、映画「Get Back」の「ネタバレ」を含んでいるので注意してご覧ください。

大勢の撮影クルーがいて、カメラがずっと回っているところで作曲するというのは、モーツァルトでも難しいのではないでしょうか?ましてビートルズはバンドで、しかも3人が作曲できますから、お互いの意見をすり合わせるだけでも大変です💦

ただ、メンバーにストレスをかけることにはなりましたが、リンゼイ=ホッグがカメラを回しっぱなしにしていたおかげで、貴重な記録が残されたことも事実です。考えてみれば、楽曲の制作やレコーディングなどの様子が、これほど克明にしかも長時間記録されることはまずないでしょう。

元々の目的は、テレビ特番用の撮影でしたが、結果として楽曲制作及びレコーディングの記録フィルムを残すことになりました。未使用のテープが廃棄されずに保管されていたことは、ファンのみならず音楽史にとっても歴史的な幸運でした。

(2)不仲だけが原因だったのではない

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トィッケナム・スタジオ1

この頃のメンバーは、音楽の方向性の違いなどから意思疎通が十分に図れず、楽曲の制作やレコーディングにおいても集中力を欠き、全体を通してまとまりのないセッションだったのは事実です。従来は、それがこのセッションがうまくいかなかった原因とされてきました。

しかし、今回の作品を観るとそれだけが原因なのではなく、そもそもスケジュールや環境に問題があったため、彼らに過度なストレスがかかり、イライラがつのっていたということが分かります。

ビートルズのために用意されたスタジオは、機材が何もない倉庫のような場所でした。しかも、真冬なのに暖房もなく、寒々とした空間が広がるばかりです。それもそのはずで、ここの正式名称は「トゥイッケナム・フィルム・スタジオ」であり、本来は、映画撮影用のスタジオなんです。ですから、レコーディング用の機材があるはずもありません。なぜ、こんな場所を選んだのか疑問です。

映画を撮影する時は、ここにセットを作って撮影するわけですね。レコーディングの様子を撮影するのに、このスタジオを選んだこと自体がそもそも問題だったんです。おまけに1月のロンドンで、こんなだだっ広い場所で暖房もなければ寒いに決まってますよ(^_^;)ジョンやジョージが屋内なのにずっとコートを着ていたのも当然でしょう。屋外と変わらない室温だったとしたら、逆にポールが防寒着を着なくても平気だったのは驚きですね。彼は、ルーフトップでもスーツ姿でしたが、よほど寒さに強いんでしょうか。

最初からアップルかEMIのスタジオにしておけば、少なくとも環境はもっと良かったわけです。そうなるとやはり、全体を統括してマネジメントする人物の不在が響いたということになるでしょうね。ブライアン・エプスタインが生きていたら、こんな無茶なプロジェクトは絶対にやらなかったでしょう。彼の不在がこういうところにも影響していたのです。

 

2 多くの曲が未完成だった

(1)セッションが始まった

さらに信じられないことに、この時点で多くの曲がまだ作りかけで完成していなかったのです!いくらなんでも、あまりにも無謀ですよね💦レコーディングだけならまだしも、2日からセッションを開始して18日には有観客のライヴをやるというのに、そこで演奏する曲が未完成ってあり得ないですよ。まあ、結果的には、何らクオリティーを落とすことなく間に合わせてしまったのが、ビートルズの偉大なところですが。

ここからカレンダーの1969年1月2日がアップになり、スタッフがだだっ広いスタジオの床をモップで清掃しているシーンに切り替わります。映画のテイク1でローディーのマル・エヴァンズが、右手にリンゴのバスドラムのスキン、左手にポールのベースの入ったケースを持ってスタジオに運んできます。

(2)メンバーの仲はそれほど悪くなかった

メンバーは、初日から集まって来ました。最初にジョージ、続いてジョンとヨーコ、リンゴがスタジオに入ってきました。バックにはジョンの「On the Road to Marrakech」が流れています。お互いに笑顔で「新年おめでとう」と挨拶を交わしました。ごく普通で険悪な間柄などといった気配は全くありません。

この時点で観客は、すでに今まで見聞きしてきたこととは違うという印象を持ちます。この頃は、メンバーの仲は最悪で、全く口もきかないか曲の制作やレコーディングを巡って、しょっちゅう言い争っていたというような暗いイメージで語られてきました。しかし、実際にはそのようなことはなかったのです。

確かに、意見が衝突する場面もありましたが、複数の人間がプロジェクトに取り組めば当然起こりうることであって、別に珍しいことではありません。むしろ、複数の人間がクリエイティヴなことをやろうとしているのに、何も衝突が起こらない方が不自然でしょう。

ドラムキットに座ったリンゴは別として、残りの3人は、ギターやベースを持ってイスに座り、サークルになりました。お互いに話ができる位の距離です。そもそも本当に仲が悪いのなら、こんな近くには座りません。前作の映画のイメージが強く残っているので、この頃のメンバーはとても仲が悪かったように思いがちですが、この映像を観れば決してそんなことはなかったことが分かります。

むしろ、ホワイトアルバムのレコーディングの時の方がもっとバラバラだったのかもしれませんね。みんな別々の部屋に籠って、レコーディングしていたんですから。

 

(3)無計画ぶりが明らかに

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現在のトィッケナム・スタジオ(ミキシング・コンソールがある)

ジョージは、ジョンに「コンソールはどこ?」と尋ねました。レコーディングで使用する ミキシング・コンソールのことですね。映画撮影用のスタジオですから、そもそもそのような音楽用の機材はおいていません。この辺りからもレコーディングするのか、演奏している様子を撮影するだけなのか、方針が定まっていなかったことが窺えます。

そして、字幕でビートルズが新曲14曲を仕上げて、それを2週間後に生演奏するという大変な課題に直面していたことが説明されます。多作だったアイドル時代でも、さすがにこれは厳しかったでしょう💦まして、この頃にはコンポーザーが3人もいて、曲も演奏も複雑になり、お互いの意見をまとめるだけでも大変になっていました。それでこのスケジュールは、無謀というほかありません。

一体、こんな無謀なスケジュールを誰が組んだんでしょう?おそらく、ビートルズではなく、プロデューサーや監督などの制作サイドでしょう。ビートルズが何も言わずにあっさり受け入れたのも不思議ですが、マネージャーの不在が無理なプロジェクトを生み出したともいえます。ただ、そのおかげで数多くの名作も誕生したのですが。

 

3 「Don’t Let Me Down」が登場!

(1)サラッと名曲が登場

www.youtube.com

この時点では3人で「On the Road to Marrakech」を演奏していましたが、途中からサラッと名曲「Don’t Let Me Down」に変わります。実際には編集で繋いだのでしょうが、それにしてもビックリしますよね(^_^;)

これも未完成でここから仕上げていくことになるのですが、この時点ではどうでしょう、8割位の仕上がりだったという印象です。曲も完成していなければ、アレンジも決まっていません。曲が完成してアレンジも決まり、リハーサルを重ねてやっとレコーディングやライヴが可能となります。こんな状況で2週間後にライヴなんて不可能です。しかも、他にこんな曲が13曲もあるんですから。

コンポーザーを3人もいるとまとまりにかけるというデメリットもありますが、色々なアドバイスをしてもらえるメリットも大きかったのだなと思わされますね。実際、お互いにそこはこうしたら、ああしたらといったアドバイスをしていました。

(2)ポールがスタジオ入り

ここで遅れてボールがスタジオ入りしました。彼も笑顔でヘフナーを手にしながら、ジョン、ジョージが座っている椅子とサークル中の椅子に座りました。ここで大きくタイトルの「Get Back」がスクリーンに映し出されます。GetのGの字がSみたいに見えるのですが、これはポールが書いたのではないかとファンの間では噂されています。彼の手書きの文字にこういうクセがあることが知られているのですが、真偽のほどは分かりません。

シャムスンダー・ダスという名のジョージの友人がスタジオの隅でずっと座っていました。風貌からしハレ・クリシュナ関係の人物のようですが、スタジオの隅でずっとぶつぶつマントラを唱えている様子はちょっと不気味ですね(^_^;) 

4 ちゃんとディスカッションしていた

ポールがセッションを主導していたのは事実ですが、ジョンやジョージは、ただ一方的にポールの主張を聞いているのではなく、自分の意見も言っています。この点は、今まで語られて来たこととは違いますね。つまり、ちゃんとディスカッションしていたのであって、必ずしもポールに言われるがままだったわけではなかったのです。どうしても、ポールとジョージとの口論の末、ジョージが一時脱退する場面ばかりが強調されてしまいがちですが、それがほんの一コマに過ぎなかったことが改めて分かりました。

しかも、他のメンバーも自分の作品も含めて、全ての作品を期限までに完成させようと努力している姿が印象的でした。これまでは、ポールが一人で他のメンバーを盛んに叱咤し、彼らが渋々それに従っていたという印象が強かったのですが、それは偏った見方だったのです。

特にジョージが積極的に意見を言っているところが印象的でしたね。おそらく、ホワイトアルバム 以降でしょうが、彼がコンポーザーとしての才能に目覚め、ジョンやポールに自分の意見を言えるようになったことがはっきり分かります。

(続く)

 

 

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