★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

「ハード・デイズ・ナイト」は単なるアイドル映画ではなく映画史に残る傑作である(467)

Prime Video:A Hard Day's Night

1 アメリカ・ツアーから帰国後すぐに撮影を開始した

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ビートルズは、キャリア初となるアメリカ・ツアーを大成功させ、イギリスに帰国しました。彼らは、一息つく暇もなく自身初の主演映画となる「A Hard Day's Night」の撮影をロンドンのメリルボーン駅で開始しました。なぜか勘違いされやすいのですが、パディントン駅ではありません。撮影は、1964年3月6日から4月24日までという記録的な速さで行われ、公開用に編集され、同年7月にアメリカでプレミア上映が行われました。

脚本家アラン・オーウェンの卓越した脚本は、ビートルズ・ファンでなくても楽しめます。ジョンは数年後、この映画は「(ビートルズとビートルマニアの)軽薄な再現だった」と語っています。彼独特のシニカルな批評ですが、この作品は、ビートルマニアが世界を席巻した当時に起こっていたことの多くをユーモラスにそして鮮明に描き出しています。この映画の公開は、ロックンロール作品の分水嶺となる出来事でした。

伝説的なアメリカの映画批評家であるロジャー・イーバートは、この映画は「Singing in the Rain(雨に唄えば)」と並んで、彼がこれまでに観たミュージカル映画のトップ5に入ると述べました。ちなみに彼は、1975年に映画評論家としてはじめてピューリッツァー賞の批評部門を受賞しました。「Singing in the Rain」といえばだれもが一度は聴いたことのある主題歌で広く知られるミュージカル映画の傑作ですが、それと肩を並べるとはいくらなんでも言い過ぎのように思われるかもしれません。しかし、これが存外、過度な賞賛ではないことはこれからご説明します。

 

 

2 当時流行した「ポップ・ミュージカル」の一つだった

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(1)ポップ・ミュージカルとは

「ハード・デイズ・ナイト」は、ミュージカル映画の歴史の中で興味深い位置を占めています。一方で、それは単なるジャンルサイクル(特定の映画ジャンルが時間とともに変化し、進化する過程)の産物です。1950年代半ばには、映画を観に行く10代の観客とロックンロールが同時に台頭し、需要と供給が合致した結果、低予算のポップ・ミュージカルが続々と誕生しました。

ポップ・ミュージカルとは、既にヒットしたポピュラー音楽を使用してミュージカル形式に仕上げた作品のことです。一般的なミュージカルとは違って、セリフを音楽に載せるのではなく、劇中で既にヒットした音楽が使用されます。最も代表的な作品としては、ずっと後の1999年製作ですが「マンマミーア!」があります。この映画の中では、要所要所でABBAの楽曲が効果的に使用されています。

(2)「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒット

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ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが主題歌を歌うエクスプロイテーションプロデューサー(興行成績を第一に考え、センセーショナルなテーマやコンセプトを用いて低予算で製作される映画のプロデューサー)である「ジャングル」サム・カッツマン監督の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1956年)が映画「暴力教室」で使用されて大成功しました。これに刺激された映画製作者たちは、カリプソからジャズ、サーフ・ロックに至る現代音楽の流行を紹介するために安価な媒体を大量生産し始めました。

これらのミュージカルは映画として興行成績を上げ、ほぼ確実に利益を生むと同時に、サウンドトラックの販売を通じてレコードの売上収入を得る機会も提供しました。スターになったミュージシャンを主人公に起用し、そのパワーを借りて映画もヒットさせ、それによってレコードの売り上げを伸ばすという相乗効果を狙った戦略です。「ハード・デイズ・ナイト」も、この風潮に乗っかろうと企画されたのです。動機は単純でしたが、それが思わぬ傑作を生みだすことになりました。

 

 

3 メディアミックス戦略の走りだった

(1)音楽と映画とのコラボレーション

A Hard Day's Night (1964)

メディアミックスとは、エンターテイメント業界では、小説やマンガなどの原作を別のメディアで展開することを指します。たとえば、小説の映画化やマンガのアニメ化などが典型例です。「ハード・デイズ・ナイト」が製作された当時は、まだそのような戦略は確立されてはいませんでしたが、この作品で図らずもそれを実践したということになります。

元々この企画は、ビートルズのアルバムをアメリカで宣伝したいというユナイテッド・アーティスツUA)のレコード部門からの依頼から生まれました。つまり、レコードと映画とでタイアップしてもっとレコードを売ろうという戦略ですね。エルヴィス・プレスリーの一連の主演映画は、その走りだったのかもしれません。

リヴァプール出身のビートルズは、イギリスのチャートでトップを獲得しており、アメリカでも1964年2月1日に「I Want Hold Your Hand」が全米チャートトップに立ちました。レコード会社にとってビートルズとタイアップしたアルバム付きの映画契約を結んだことは、とてつもなく大きなビジネスでした。プロデューサーのウォルター・シェンソンの監督の下、この映画の予算は50万ドルに設定されましたが、これはこのタイプのミュージカルとしては中程度の数字でした。

(2)「ビーチパーティー映画」を大量生産した

60年代を飾った「ビーチパーティー映画」の数々

アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)は、ビーチパーティー映画を1本約35万ドルの予算で製作しました。「ビーチパーティー映画」とは、1963年7月に予想外のヒットとなったその名の通り「ビーチパーティー」という映画を皮切りに、AIPによって 1963年から1968年にかけて製作および公開されたアメリカ映画の長編映画のジャンルです。エルヴィス・プレスリーミュージカル映画は、通常約100万ドルの費用がかかりました。1964年の夏に「ハード・デイズ・ナイト」がリリースされるまでに、ビートルズは、有名なエドサリヴァン・ショーに出演しており、UAは増え続けるビートルマニアを利用する絶好の立場にありました。

「ハード・デイズ・ナイト」のサウンドトラックは映画の公開に先行して発売され、最初の2週間で150万枚を売り上げ、映画は1,000部が劇場に配布され大々的に公開されました。1960年代半ばには、そのようなありとあらゆる媒体を駆使することはまだ比較的まれな流通戦略ではありました。しかし、次の流行が到来するのを心から待ちわびているリスナーに届ける必要があるポップ・ミュージカルにとっては、そういったありとあらゆる手段を使うことはとても効果的であることが証明されたことになります。

 

 

4 「ジュークボックス・ミュージカル界の『市民ケーン』」

(1)ほとんどの作品は忘れ去られた

「ハード・デイズ・ナイト」は、ポップ・ミュージック・サイクルの大半の映画と同様に製作され、そういった類のものとして扱われてきました。しかし、それが残した遺産は根本的に異なっています。ほとんどのポップ・ミュージカルは、すたれていき人々の記憶から消えていきました。それらは、もはや古き良き時代の遺物であって、当時の人々が感傷に浸るためにだけ存在するともいえるかもしれません。

それはおそらく、リチャード・レスターが初めて取り組んだ長編映画である「It's Trad, Dad!(1962年)」もそうなのかもしれません。タイトルを聞いても、よほど映画に詳しい人でない限りピンとこないでしょう。

(2)「ハード・デイズ・ナイト」は今なお高く評価されている

A Hard Day's Night (1964) | The Criterion Collection

しかし、「ハード・デイズ・ナイト」は、半世紀以上にわたり、視聴者からの人気と批評家の強い評判の両方を維持してきました。批評家のアンドリュー・サリスは、この作品を「ジュークボックス・ミュージカル界の『市民ケーン』」と評しました。「ジュークボックス・ミュージカル」とは、演劇のために新曲を書き下ろすのではなく、既存の楽曲を使用して制作されるミュージカルのことを指します。ビートルズの場合は、タイトルが決まってから楽曲の制作を開始したので少し事情は異なりますが、ジャンルとしてはここに分類されます。

市民ケーン」は、1941年に公開されたアメリカ映画で、オーソン・ウェルズの監督デビュー作です。主人公のケーンは、新聞王であったウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしており、彼の生涯を追う新聞記者の視点で描かれています。現在でも映画史に残る傑作とされています。この作品は、次の点で画期的だと評価されています。こちらをご覧ください。

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(1)撮影技術の斬新さ
(2)シナリオ的な物語構成の斬新さ
(3)「薔薇の蕾」という「謎の言葉」をめぐる、謎解き物語のテーマ的な面白さ
(4)本作が、当時まだ健在であった「新聞王」の人生をパロディにした批評性

上記の4点は(3)を除きそのまま「ハード・デイズ・ナイト」にも当てはまります。これらのテクニックは、その後の時代になって当り前のように用いられることになりましたが、「ハード・デイズ・ナイト」はアイドルを主役にしながらも決してその人気に依存することなく、上記のテクニックを駆使して素晴らしい映画を制作したのです。単なるアイドル映画として片付けられない理由の一つはそこにあります。

この映画については、次回以降ももう少し深掘りしてみたいと思います。

 

 

(参照文献)カルチャーソナー、シネマティック

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