1 ビートルズに「ピーク・アウト」はなかった!
(1)人気はピークを迎えていたが
最近、特集記事が続いたので、ここら辺りでGet backしてビートルズの足跡を辿るお話にしたいと思います。映画「ア・ハード・デイズ・ナイト」が大ヒットした辺りまでだったと思うので、その続きから再開します。
ビートルズは、アメリカの2大音楽雑誌、ビルボード、キャッシュ・ボックスの1位から5位までを独占するという離れ業をやってのけ、更に映画が大ヒットして、まさに絶頂期を迎えていました。並みのミュージシャンならここから後は落ちていく一方というところですが、彼らには普通の物差しは全く当てはまらなかったのです。
(2)ビートルズ自身は不安を抱いていた
もっとも、ビートルズ自身は、先行きに不安を抱いていました。実際、ジョンは、「抱きしめたい」を制作した時はヒットするという確信を持っていましたが、この曲に関しては手掛けた時は自信がなくて少々手こずり、リンゴにも助言を求め完成にこぎつけたと語っています。
ジョンは、こう語っています。「僕達は、アイ・フィール・ファインは、チャートNo.5になるだろう、そうなったらもう終わりだなと思ってた。ビートルズがこの曲の前に6曲でNo.1を獲得したなんて誰も覚えちゃいない。(この曲が)チャートNo.1を獲得したのは素晴らしいことだけど、獲得できる確信なんて無かったんだ。」
ジョンほどの天才ですら、もはやビートルズはピークを過ぎて、チャート№1は取れないだろうと悲観的に考えていたのです。
並みのミュージシャンなら嵐のようなピークは過ぎて、新たにヒット曲を生み出すなどということはできなかったでしょう。もう弾丸を撃ち尽くして、いくら引き金を引いても一発も撃てなかったかもしれません。しかし、ビートルズは違ったのです。
(3)いつ作ったのか?
ジョンは、リリース当時は「午前中にスタジオに行く途中で書いた」と説明していました。つまり、レコーディングの時にはもう完成していたということですね。ところが、1974年のインタヴューでは「レコーディング・セッションをやっている間に書いた」と応えていて、明らかに矛盾しています。書いた本人ですらこれですから、いかに人の記憶があいまいなものか分かるでしょ?
どうやら1964年10月6日のもう一つのシングル「エイト・デイズ・ア・ウィーク」のレコーディング・セッションでは、アイ・フィール・ファインはまだ完成しておらず、ギター・リフだけが完成していたようです。
そして、実際にこの曲がレコーディングされた1964年10月6日から18日の間に、ポールがブリッジの部分を手伝って完成させたと考えられます。 ポールが手伝ったことはほぼ間違いないようなので、1974年のインタヴューの答えの方が事実に近いでしょう。
まあ、どっちにしろ、エイト・デイズ・ア・ウィークもアイ・フィール・ファインもチャート№1、ミリオンセラーを獲得してますからね。つまり、片方で大ヒットナンバーをレコーディングしながら、もう一方で別の大ヒットナンバーを作曲してたんですよ。
それも殺人的なスケジュールの合間を縫ってですからね。
(4)マラソン・セッション
1964年10月18日は、ビートルズにとってマラソンともいえるレコーディング・セッションでした。年末までに新しいアルバム(ビートルズ・フォー・セール)とシングル用に、数多くの曲を完成させる必要があったからです。そこで、彼らは、EMI第2スタジオに集合し、午後2時30分から11時30分までレコーディングして8曲が完成しました。
ハンブルクの下積み時代で鍛えられていたとはいえ、驚異的な体力と精神力ですね。この頃は、水分補給などもあまりしていなかったはずですよ。
ハンブルクの下積み時代で鍛えられていたとはいえ、驚異的な体力と精神力ですね。この頃は、水分補給などもあまりしていなかったはずですよ。
2 ユニークなイントロ
(1)何だこの変なイントロは?
この曲を初めて聴くと、イントロのヘンテコなサウンドに驚かされます。「ボン、ンニョ〜〜〜〜ン」って、いきなりこんな怪しげなサウンドが聴こえてくるんです。まあ、一度聴いてみて下さい。「なんじゃ、こりゃ⁉️」と思いますよ。
この曲は、ギター・リフ(ギターで同じフレーズを繰り返すこと。曲をキャッチーにしてリスナーに強く印象付ける効果があります。)が躍動する、ブルースをベースにしたものです。
ジョンは、次のように語っています。「レヴューでも書いてある通り、ジョージと僕は同じギター・プレイをやったんだけど、思わず足でリズムを取りたくなるような感じだね。ちょっとカントリー&ウエスタンっぽい感じがするのは、僕たちの曲の中でも良く出てくると思う。特にミドルエイトのところは、僕にとっては一番音楽的なパートだと思ってるんだ。だって、典型的なビートルズの曲って感じだから。」
(2)初めてリフから書いた曲
ジョンは、こう語っています。「この曲は、バックでずっと鳴っているリフを中心に演奏するように書いた。僕は、それをアルバムの全ての曲でやろうとメンバーに提案したけど、他のメンバーは賛成しなかった。僕は、リフのために特別に曲を書きたいと他のメンバーに言ったんだ。もうアルバムは殆ど完成してたんだけど、みんなは、『ああ、良いよ。やってみたら。』と言ってくれたよ。」
「ある朝スタジオに行って、リンゴに『この曲を作ってみたけど、どうもイマイチだからやり直したい。』って言ったんだ。それで一緒にやり直してリフを完璧に仕上げた。そしたらA面にピッタリの曲に仕上がったんで、シングルとしてリリースすることにしたんだ。僕とジョージは、ギターで同じパートを演奏した。
リンゴがリズムに関してジョンに何らかのヒントを与えたのかもしれません。
ジョンあるいはビートルズがリフをベースに曲を書いたのは、これが初めてではないでしょうか?少なくとも明言したのはこれが最初だと思います。「ア・ハード・デイズ・ナイト」も印象的なイントロが特徴ですが、あれは、曲が完成した後にジョージ・マーティンのアイデアで付け加えたもので、あのイントロから作曲したわけではないですから。
これがそれぞれのパートのカヴァーです。確かに、ほぼ同じでダブルトラックしたみたいになっています。
アイ・フィール・ファインでジョンは、ギブソンのセミ・アコースティック・ギターJ-160Eを弾いていましたが、アンプを繋いでいたので、まるでエレキ・ギターを弾いているかのように聴こえました。ジョージは、エレキ・ギターのグレッチ・テネシアンです。
(3)リフにはヒントがあった
ビートルズは、当初エイト・デイズ・ア・ウィークを次のシングルにする予定でしたが、この曲が先に完成したので、その計画は先延ばしされました。
ジョージは、「このギター・リフは、実際には、ボビー・パーカーの『Watch Your Step』に影響された。まあ、こういったテンポのリフは、大体似たようなサウンドになるもんなんだ。ジョンが弾き、僕も彼とすべて同様に弾いたから、ダブル・トラックしたみたいになった。」確かに、イントロは「Watch Your Step」に似ています。ジョンは、「『ウォッチ・ユア・ステップ』は僕の好きなレコードの一つで、ビートルズは、色んな形でそのリック(短いフレーズ)を使わせてもらった。」と語っています。実際、ビートルズは、1961年~62年の下積み時代にキャヴァーン・クラブでこの曲をカヴァーしていて馴染みがあったのです。
さて、肝心の「ビートルズが、世界で初めてレコーディングでフィードバック奏法を採用した」お話なんですが…ここまででかなり長くなってしまったので、次回にお話ししたいと思います。いえ、決して出し惜しみしてるわけじゃないので悪しからず💦
(続く)
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