★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

映画「ハード・デイズ・ナイト」の撮影とリヴァプール凱旋から60年(487)

1964年、マインヘッドでビートルズが乗車する客車に殺到するティーンエイジャー

1 It was 60 years ago today

(1)人が少ない場所をロケ地に選んだ

群衆に笑顔を見せる出演者たち

今から60年前の1964年3月2日、ビートルズは、高い評価を受けたデビュー映画「ハード・デイズ・ナイト」の撮影を開始しました。その月曜日の朝、この映画にはまだタイトルがついておらず、仮タイトルで「ビートルズ・ナンバーワン」と呼ばれていました。

ビートルズは、もう人気絶頂期を迎えていて、どこへ行ってもファンの群衆に出迎えられることになっていたため、映画監督のリチャード・レスターは、ミュージカルコメディーの撮影場所としてイギリス西部で混雑の少ない場所を探すことになりました。ロンドンで撮影したら群衆がパニックを起こして事故が発生していたかもしれません。

(2)セミ・ドキュメンタリー形式

当時の名作とされるこの映画は、バンドの実際の生活を反映しています。ビートルズが、何十人ものティーンエイジャーの女子生徒に追いかけられながら混雑した駅を走り抜け、テレビ番組のためにロンドン行きとされる列車に飛び乗る場面が描かれています。言うなれば「セミドキュメンタリー映画」ですが、これが大ヒットした要因の一つです。

5両編成の特別チャーターされたた機関車と客車には、ディック・レスター監督の指揮下にある大勢の映画技術者のチーム、有名俳優、そしてリヴァプール出身のビートルズの4人の若者が乗っていました。列車は、パディントン駅からデボン州とサマセット州の支線まで彼らを輸送しました。ウェスト・カントリーの野原が外を通り過ぎる中、彼らは、数回に分けて映画の最初の15分間を占めるユーモラスなアクションシーンを撮影しました。

もちろん、ロケの日時は秘密にされていましたが、この当時ですから情報はダダ漏れだったでしょう。敏感なファンは、すぐに場所を探し当てて殺到しました。日頃は比較的平穏なマインヘッド駅の周囲は、何百人ものティーンエイジャーたちの叫び声で静寂が打ち砕かれました。地元の学校の教師たちは、児童たちに授業を休むよう要求しました。外出すること自体が危険だと判断したんでしょうね。でも、ほとんどの子どもたちはビートルズを見に行ったでしょう。

 

 

2 ビートルズを見られる千載一遇のチャンス

(1)行かずにはいられなかった

あまりに興奮したため警官に連れ出される女生徒

興奮したティーンエイジャーの大群が線路のそばに集まりました。コンサート以外でビートルズがすぐそばで見られるなんてこんなチャンスは滅多にありません。彼らは、最初の映画「ハード・デイズ・ナイト」のシーンを撮影するため街に来ており、誰も彼らのヒーローを見るチャンスを逃すつもりはなかったのです。

現在はウェスト・サマセット鉄道の歴史ある路線の一部となっているマインヘッドでは、一人の女子生徒があまりにも興奮して、ビートルズに会いに行こうとしたため、警察官によって線路から連れ出されました。何人かの若者が線路脇で整然と立っている一方で、他の若者は線路に押し寄せ、食堂車の窓から自分たちのアイドルを一目見ようと騒ぎ立てていました。

この映画は、ハリウッドのスタジオであるユナイテッド・アーティスツから、イギリスでのビートルズの人気に便乗して、ビートルズの新曲を集めたベストセラーのサウンドトラック・アルバムを作るための「急ごしらえ」として依頼されました。それにしては傑作ですね。

(2)駆けつけたファンの手紙

群衆の中には、祖母に宛てた手紙でその日の出来事を綴ったシーナ・ハドソンもいました。

「私たちは全員、線路まで走って行き、そこに行くには野原を横切らなければなりませんでした」と彼女は書いています。「到着するとものすごい群衆がいて、列車の周りでみんなが叫び声を上げていました。どうにかして、ビートルズが乗っている列車の窓を見つけましたが、予想通り、そこにはものすごく大勢の群衆がいました。」

「私たちのクレイジーな6年生の何人かが『あなたたちの王国は崩壊している』や『ブラームス万歳』と書かれた横断幕を掲げました。ビートルズは窓の外を見て、顔をしかめました。私の友人サンドラは彼らの顔を見たとき、横断幕を引き下ろさずにはいられなかったと言いました。ビートルズは横断幕がなくなったのを見て、みんなで拍手し始めました。私たちが彼らに会ったとき、彼らはずっと夕食を食べていました」ティーンエイジャーの中にもビートルズが嫌いな人たちはいたんですね。

(3)大騒動が新聞で報道された

やがてシーナと友人は列車にたどり着き、ポールは、窓から手を振って彼女たちに微笑みました。興奮のあまりシーナは靴を片方失くし、ポールは、彼女の足を指差して笑いました。

靴を失くした彼女の写真は、翌日のウエスタン・デイリー・プレス紙に「ビートルズが西部へ」や「シャンパン休憩でファンが学校に遅刻」という見出しで掲載されました。他の新聞の見出しはさらにセンセーショナルで、「ビートルズとの戦いに500人の少女」などというものでした。ビートルズの到着とファンの群衆はBBCポイント・ウェストのクルーによって撮影され、BBCの全国ニュースで報道されました。

路線沿いのもう一つの人気停車駅は、トーントンとバーンスタプルを結ぶ旧デヴォン・アンド・サマセット鉄道の線路沿いにある旧サウス・モルトン駅でした。ビートルズの列車が到着すると、熱心な報道写真家のグループを含む約200人の群衆が待っていました。

 

 

3 リヴァプールに凱旋したビートルズ

(1)スピーク空港で大勢のファンが出迎えた

ビートルズを出迎えたリヴァプールの市民

ビートルズは、1964年7月11日の前夜、映画「ハード・デイズ・ナイト」の北部プレミアに出席するためにリヴァプールに帰りました。この頃にはもうビートルズは世界的アイドルとなっていたのでまさに「凱旋」でした。ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインは、この凱旋公演を計画するにあたって不安を抱いていました。世界的に成功したビートルズを地元のリヴァプール市民がどう出迎えてくれるか予想が付かなかったからです。しかし、その心配は杞憂に終わりました。

ロンドン発の飛行機がスピーク空港に到着するずっと前から空港の屋上は、叫び声を上げるティーンエイジャーでいっぱいでした。また、勤務中の警官は非常に多く、まるで互いを守るためにそこにいるかのようでした。

(2)市庁舎から群衆に手を振る

飛行機が着陸するのを見ただけで、屋上からヒステリックな悲鳴が上がりました。ティーンエイジャーたちは、飛行機の貨物室から取り出される荷物にさえ歓声をあげました。不思議なことに「おかえりなさい」の横断幕がないことにジョンは気付きました。彼は、その代わりに空港に「裸火と喫煙禁止」という標識があるのを指差して、あれは一体どういう歓迎なのだろうといぶかしく思ったのです。

騎馬警官が群衆を市庁舎の階段から遠ざけていましたが、バルコニーに現れたビートルズのメンバーが王族のように手を振ると、大きな音で悲鳴が上がりました。さすがに市庁舎内はやや静かでしたが、警察のブラスバンドが楽譜に書き起こしたビートルズの曲を演奏しました。リヴァプール全体を上げての歓迎だったことがわかります。

 

 

4 歓迎レセプションに出席した家族

(1)家族もユーモアのセンスがあった

庁舎のバルコニーから手を振るビートルズ

歓迎レセプションにはビートルズの家族も出席しましたが、彼らは皆、ビートルズと同じようにユーモアのセンスを持っていました。ジョージの母親は、パーティーで唯一残念だったのは、トップレスのドレスを着てこなかったことだと語りました。また、口ひげを生やした元陸軍兵士であるジョンの叔父は、「私がジョンに与えた唯一のアドヴァイスは、髪を切ることだった。彼がそれをしなかったのは幸いだった」と語りました。出席者は多数で、その中にはビートルズの映画の脚本を書いたリヴァプール生まれの劇作家アラン・オーウェンもいました。

(2)ドアがロックされた!

レセプションの終わりにビートルズは立ち上がって、みんなに帰郷の礼を述べました。ポールは、みんなが映画を楽しんでくれることを願っていると語りました。しかし、みんなが帰ろうと振り向いたとき、すべてのドアがロックされていました。出席者の一人が、強いリヴァプール訛りで「エプスタインはパーティーをとても心配していたに違いない。彼は私たち全員をここに閉じ込めたんだ」ブライアンは、出席者が途中で帰ってレセプションが白けるのを心配してドアをロックしちゃったんですね。

 

 

5 映画は世界的に大ヒットした

この映画はイスラエルでは上映禁止となり、ブリスベンでは卵攻撃を受けましたが、人々は、ロンドン・パビリオンで絶叫をあげて帰ってきました。映画として優れた作品であり、ビートルズの一時的な人気に便乗しようとする、よくあるアイドル頼みの作品ではありません。この映画は、監督のリチャード・レスターや照明ギルバート・テイラーらの技術が注ぎ込まれ、ビートルズのパフォーマンスに価値ある映画的貢献を加えています。

アラン・オーウェンは、軽快かつしっかりと脚本を書きました。長髪で画面を駆け回り、ジョークを飛ばしたり、予想外のことをしたり、決して退屈させない4人の少年たちを見ていると楽しくて仕方ありません。ビートルズはプロの俳優ではありませんが、セミ・ドキュメンタリー形式を採用したため、彼らは、日常の延長のようにリアリティーのある演技ができました。

(参照文献)wsrオルグ、サマセット・ライヴ、ザ・ガーディアン

(続く)

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