- 1 同じリヴァプール出身のバンド
- 2 「How Do You Do It?」でチャート1位を獲得
- 3 マージービートを牽引した
- 4 リヴァプールではビートルズと肩を並べていた
- 5 メンバー全員が他界した
1 同じリヴァプール出身のバンド
(1)マージービートと呼ばれた
ビートルズのサウンドのことをマージービートと呼ぶことがあります。ビートルズを筆頭にイギリスのリヴァプールのマージー川の沿岸すなわちマージーサイドで活動していたバンドのサウンドが大流行しました。それでいつの頃からかそのサウンドがマージービートと呼ばれるようになりました。ちょうどジャズが1900年代から1910年代までアメリカ南部のニューオーリンズを中心に大流行したように、なぜか同時代に同じ地域で一定の種類の音楽が流行するという現象が起こるんですね。
実際、1950年代の終わり頃からマージーサイドでビートルズと似たようなバンドが、正確な数がはっきりわからないくらい登場して地元のクラブで演奏していました。ジェリー・アンド・ザ・ペースメーカーズもその一つで、ビートルズの良きライヴァルとしてお互いに切磋琢磨していました。
2021年1月初めにジェリー・マースデンが亡くなり、とうとうすべてのメンバーが亡くなりました。彼は、ジェリー・アンド・ザ・ペースメーカーズのリード・ヴォーカルであり、リヴァプールの二つのバンドはライヴァル関係であると同時に友情を共有していました。
(2)当時の典型的なバンド名
ジェリー・マースデンは、1956年に弟のフレッド、レス・チャドウィック、アーサー・マクマホンとともにジェリー・マースデン・アンド・ザ・マーズ・バーズを結成し、やがてジェリー・アンド・ザ・ペースメーカーズと改名しました。
ちょうどビートルズが結成したのと同じ時期ですね。当時のバンド名の特徴は、「〇〇アンド△△ズ」みたいに一人のフロントマンとそのバックバンドという感じでした。ペースメーカーズはその典型的な例です。ですから、ビートルズのようなシンプルなバンド名で、メンバーのポジションが平等というバンドはむしろ珍しかったんです。
2 「How Do You Do It?」でチャート1位を獲得
彼らは、キャリアの初期にビートルズとライヴァル関係にあり、リヴァプールの同じ地域でプレーしていました。彼らは、最初の三つのシングル「How Do You Do It?」「I Like It」「You’ll Never Walk Alone」のそれぞれでチャートのトップに立ったのです。良く知られているように「How Do You Do It?」は、ミッチ・マレーが制作した曲で、EMIのプロデューサーであるジョージ・マーティンがビートルズのデビュー・シングルとして用意した曲でした。
しかし、彼らは、レコーディングしたものの、自分たちのスタイルに合わないとデビュー・シングルにすることを拒否したため、ビートルズと同じマネージャーのブライアン・エプスタインがマネージャーを務めていたペースメーカーズにお鉢が回ってきたのです。彼らは、このおかげでUKチャート1位を獲得して華々しいデビューを飾りました。彼らにとってはまさに「ビートルズ様様」でしたね。
ただ、ビートルズがこれでデビューしなくて良かったなとつくづく思います。確かに、「Love Me Do」はチャート1位こそ獲得できませんでしたが、この曲は、現在でもなお世界中で愛され続けています。ビートルズは自分で曲を制作できるのに、デビュー・シングルが他人の制作した曲だったとしたら、自分で曲を制作して演奏できるアーティストという彼らの長所が幾分ボヤけてしまったかもしれません。
3 マージービートを牽引した
(1)ビートルズとともに
マージービートは、ビートルズとペースメーカーズが牽引していたといっても過言ではないでしょう。デビュー・シングルから3曲をチャート1位にしたことで、ペースメーカーズは、革新的なリヴァプールの音楽シーンを不動のものとし、ビートルズとともにこのジャンルの人気を強化する大きな力となりました。
2016年、ペースメーカーズのメンバーの一人であるレス・マグワイアは、インタヴューに答えてマージービートが60年代初頭にどのようにして本格的に軌道に乗ったのかについて語りました。
(2)熱狂はビートルズから始まった
「あの頃、誰かが600のバンドがあったと言っていた。その流行は、1961年、ジャズが中心だったキャヴァーン・クラブがロックンロールに移行するようになって本格的に始まった。リヴァプール周辺のさまざまなクラブで一晩に大体5つのバンドが演奏し、みんなが2回、3回と演奏していた。」
「音楽シーンがリヴァプールにとって特別であるという感覚はあったが、全国的にも世界的にもそれが違うとは考えもしなかった。そんなことは誰の頭にも浮かんだことはなかった。」
「バンドはみんなお互いのことを知っていたけど、観客同士もよく知っていた。ヒステリーはなかったし、ファーストネームでの呼び合いで、とても礼儀正しいものだった。みんなが集まるただのクラブだったし、バンドはコミュニティーの一員だった。そういうものだと思っていたんだ」
ちょうどイギリスでロックンロールが流行し始めた時期で、リヴァプールには数えきれないほどのバンドが登場して、あちらこちらのクラブで演奏していました。しかし、まだその頃は観客が熱狂するというわけではなく、静かに演奏を聴いていたのです。
これはちょっと意外ですね。ファンは、最初からマージービートに熱狂していたわけではなかったのです。おそらく、ビートルズが登場しなければこの傾向は変わらなかったのではないでしょうか。
4 リヴァプールではビートルズと肩を並べていた
(1)映画にも出演した
ビートルズとペースメーカーズは、デビューしたばかりの頃、ドイツのハンブルクへ一緒に巡業に行って演奏し、その後1963年にロイ・オービソンとビートルズのツアーで一緒にツアーを行いました。ペースメーカーズは、映画でもファブ・フォーに一泡吹かせました。
1965年に公開された映画「Ferry Cross The Mersey」は、彼らにとっての「A Hard Day's Night」とも呼ばれ、マージービート・ロックンロール時代の狂気を乗り切ろうとするバンドの物語でした。ビートルズの映画の二番煎じとも言われましたが、この頃は、ミュージシャンであるアイドルが主演する映画を制作することは普通だったんですね
(2)現在でもリヴァプールでは根強い人気がある
現在でもペースメーカーズの音楽は、リヴァプールでとても人気があります。彼らの曲「Ferry Cross The Mersey」は、そのタイトルの通りフェリーで演奏され、「You'll Never Walk Alone」はリヴァプール・フットボール・クラブのサポーターのアンセムとなっています。ジェリーは、2003年、ヒルズボロ事故(イギリスのサッカー場であるヒルズボロ・スタジアムで観客が過密状態になり、100名近い死者を出した事故)の犠牲者を支援した功績によりMBE勲章を授与され、2009年にはリヴァプール市の自由勲章を授与されました。
5 メンバー全員が他界した
(1)ポール、リンゴとヨーコ
マースデンが亡くなった時、ポールは、メディアに哀悼の意を表しました。「ジェリーは、リヴァプールの頃からの仲間だった。彼と彼のグループは、地元のシーンで最大のライヴァルだった。彼の忘れられない『You'll Never Walk Alone』と『Ferry Cross the Mersey』のパフォーマンスは、イギリス音楽における歓喜の時代を思い出させるものとして、多くの人々の心に残っている。彼の妻ポーリーンと家族に哀悼の意を表します。また会おう、ジェリー。いつも笑顔で君を覚えているよ」
リンゴとヨーコもまた、彼を「マージービートの伝説」「リヴァプールの誇り高きチャンピオン」と呼び、追悼の意を表しました。ビートルズと同様、ペースメーカーズもレコードをリリースするまで何年もハンブルクのクラブで長時間働いており、両バンドともブライアン・エプスタインがマネージメントしていました。
(2)ジョンは最高の友人だった
2013年、ジェリーは、ビートルズとの友情について次のように語りました。「ビートルズと我々は、ステージ上ではライヴァルだったが、ステージ外では最高の仲間だった。ジョン・レノンは私の最高の友人だったが、一緒に曲を書いたことはなかった」
ジェリーは、よくジョンに「(作曲を)手伝ってほしいかい?手伝うよ」と申し出ていました。するとジョンは、いつも決まった言葉で、その必要はないと丁寧にはっきりと伝えました。「You’ll never walk alone, Gerry.(君は、決して一人では歩かないだろう、ジェリー)」ジョークが得意なジョンは、ペースメーカーズのヒット曲にかけてこんな風に答えました。
ただ、私は、ジョンがこう言った意味がよくわかりません。「君は一人では歩けないかもしれないけど、僕は大丈夫だ」という意味なのか、「ポールが手伝ってくれるから大丈夫だ」という意味なのか、それとも違う意味なのでしょうか?「一人では歩けない」とはむしろ、手伝って欲しいという意味に聞こえるのですが、真意は何だったんでしょう?
(参照文献)ザ・ビートルズ・ストーリー
(続く)
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