★ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ★

ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

ケン・タウンゼント~ADTを開発してビートルズのサウンドに多大な貢献をしたエンジニア(488)

ADTを開発したケン・タウンゼント

1 ビートルズに大きく貢献したエンジニア

(1)画期的なレコーディング・テクニックを開発した

ケン・タウンゼントは、ビートルズのレコーディングにおいて多大な功績を上げたことで知られています。彼についてはジョンのヴォーカルの時に少し触れていますが、もう一度掘り下げてみたいと思います。彼は、色々なレコーディング・テクニックを開発してビートルズのレコード制作に大きく貢献しました。

アビイ・ロード・スタジオ…かつてEMIレコーディングスタジオとして知られたこのスタジオ複合施設は、1930年代から稼働していました。多くの点で、タウンゼントは、スタジオの燃え上がる守り神として存在していました。彼は、ロンドンのヘイズ地区にあるEMIの施設で4年間の見習い期間を経て、1954年にレコーディングエンジニアとしてEMIスタジオに勤務し、EMIスタジオで繰り広げられたビートルズのすべてを目撃しました。

(2)ビートルズのレコーディング・デビューに参加した

彼は、ビートルズがEMIスタジオでレコーディングした最初の日、1962年6月6日にそこにいたのです。その荘厳な雰囲気の中でバンドが最初のセッションを始めようとしていたとき、ポールの使い古されたベースアンプがスタジオの床に倒れ、とんでもない騒音がスタジオ中に響き渡ったことで、図らずも彼はビートルズの音を初めて聞きました。

EMIスタジオの方針で白衣を着たタウンゼントは、騒々しい騒音の原因をスタジオ2だと突き止め、地下のエコー室にあった非常に大きくて重いタンノイスピーカーを運び込んで状況を改善しました。これにより、ポールは、セッションで演奏することができ、最終的にプロデューサーのジョージ・マーティンの指導の下、ビートルズは、他に類を見ない音楽キャリアを歩み始めました。

 

 

2 ADTを開発した

(1)画期的な開発だった

タウンゼントは、様々なレコーディング・テクニックを開発しましたが、中でも特筆すべきなのは ADTです。ADTとは、アーティフィシャル・ダブル・トラッキングの略で、ヴォーカルなどのサウンドを二重にする場合、一度ヴォーカルをレコーディングするだけで良くなるようにしたものです。

サウンドを二重に重ねることで厚みを持たせられることはすでに知られていて、バディ・ホリーなどのアーティストが、レコーディングでこのテクニックを使用していました。しかし、当時はヴォーカルを二回レコーディングして重ねるという方法を採っていたのです。この場合、正確に同じヴォーカルを二回繰り返さないといけません。

しかし、ジョンはこれが苦手で、何度やってもテイクの度にヴォーカルが変わってしまい重ねられなかったのです。彼だけでなく他のメンバーも、何度も同じ作業をしないといけないことに苛立ちを覚えていました。何とか一回でできるようにできないかと相談されたタウンゼントは、あれこれと知恵を巡らせADTを思い付いたのです。それは、アルバム「Revolver」を制作していた時でした。

(2)2台のテープマシンを接続した

www.youtube.com


タウンゼントが開発したADTは、メインのテープマシンをスピード・コントロールされたセカンド・マシンに接続することで、同じ信号の2つのヴァージョンを同時に再生できるというシステムです。そして、オシレーター(音の元になる波形を作り出す発振器)の周波数をゆるやかに調整して2台目のマシンのスピードを変化させることで、再生された信号を別のテイクのように聴こえるように十分に移動させることができました。

ADTの導入は、音楽のレコーディングの歴史における画期的な出来事であり、この技術は、アビイ・ロード・スタジオでの多くのレコーディング・セッションで頻繁に使用されました。ADTは、制作プロセスにおいて非常に重要かつ不可欠な要素となったため、アビイ・ ロードの4トラックから8トラックへのレコーディングの重要な移行は、新しいM3 8トラックテープヘッドを改造して、ADTの実現に必要な独立した同期出力を可能にするまで、数か月(1968年5月から9月)延期されました。上の動画ではタウンゼント自身がインタヴューに答えており、動画も添付されていてとてもわかりやすく解説されています。

 

 

3 「ケンのフランジャー

Paperback Writerをレコーディング中のジョン

ジョンは、ADTを「ケンのフランジャー(オーディオエフェクターの一種で、元の信号をわずかに遅延させ、変調させたものと組み合わせて作成する)」と名付けたと言われており、この開発によってフランジングが世界中のスタジオで専門用語として定着するきっかけになったという人もいます。音楽の中でシュワ〜というサウンドが聴こえるのはこの効果ですね。

タウンゼントは、次のように回想しています。「ある夜、我々は、ポールのヴォーカルをダブル・トラックでレコーディングしていた。トラックをヘッドフォン経由でスタジオに送り、ポールが自分のヴォーカルに重ねて歌うというものだった。これは時間のかかる作業で、テープマシンの貴重なトラックを無駄にしていた」

「早朝に車で家に帰る途中、Studer J37の同期出力を送り、これをキャプスタンモーターの周波数制御を備えたBTR2を使用して遅延させ、Studerの再生出力からの元の信号に追加すれば、これを実現できるというアイデアを思いついた。翌朝急いで仕事に戻り、自分のアイデアを試してみたらうまくいった。翌日の夜にビートルズにデモしてみせたところ、彼らは、その後頻繁にそれを使用するようになった。約6か月後、私は、ゼネラル・マネージャーのオフィスに呼び出され、技術的に承認されるまで使用しないようにと言われた。その夜、ビートルズが再びそれを使用したんだ!」ビートルズやエンジニアは、お偉いさんの命令を無視してこのテクニックを使ったんですね。

 

 

4 タウンゼント自身が必要としていた?

Levell TG-150m オシレーター

タウンゼントの話を聞く限り、よく言われているようにビートルズからADTの開発を要求されたというよりは、彼が必要に迫られて考え出したという方が事実に近いのかもしれません。彼も連日スタジオに泊まり込んでまで仕事したくなかったでしょうし、テープもたくさん使わなければいけませんでしたから。それを何とか解決したいと思ったのは、エンジニアとしては当然の動機であり、ビートルズも同じことを考えていたというところでしょうね。ただ、そこはレコーディング・テクニックの分野なので、タウンゼントの方が専門でした。

しかし、タウンゼントがせっかく画期的な発明をしたというのに、お堅いEMIのゼネラルマネージャーは、それが技術的に承認されるまで使うなと命じたのです。いやはや、EMIの頭の固さには呆れますね。確かに、レコードの品質を重視すれば、新しい技術がすぐに使えるかどうか慎重にならざるを得ないことも理解はできますが、サウンドを聴けばすぐに結論が出ることだったんですけどね。

やがてアビイ・ロード・スタジオのADTは、アビイ・ロードのすべてのテープ・エフェクトの中で最も伝説的なものとなり、数え切れないほどの歴史的なレコーディングで聴けるようになりました。長年にわたり、多くのレコーディング・エンジニアがこの効果を再現しようと試みてきましたが、部分的にしか成功しませんでした。これは主に、アビイ・ロードで使用された正確なプロセスに関する明確な説明が、これまで厳重に守られた秘密であったためです。

 

 

5 アビイ・ロード・スタジオはレコーディングの聖地となった

(1)スタジオはアーティストとスタッフがアイデアを共有する場

1966年4月14日、EMIスタジオでレコーディング中のビートルズ

アメリカのアーティストであり音楽史家のブライアン・サウスオールは、「60年代から70年代にかけて、イギリスを拠点とするEMI所属アーティストは全員アビイ・ロードを使うよう奨励され、他のレーベル所属アーティストはそこでレコーディングすることは許されなかった」と指摘しています。タウンゼントにとって、アビイ・ロード・スタジオの長期的な財政健全性は、スタジオを満室で稼働させ続けることにかかっていました。

プロのレコーディングスタジオは、アーティストとスタッフがアイデアを共有する場として機能するべきであり、お互いだけでなく、業界全体とアイデアを共有する場であるべきだというのが彼の哲学でした。私は、プロ・ミュージシャンではありませんが、これはその通りだと思います。スタジオ全体が一つになって初めていい作品ができあがるし、外部からの刺激を受けることも重要です。

(2)EMI所属のアーティストだけが使用できた

しかし、上記のような考え方は、長期に亘りスタジオの慣習とはなりませんでした。ヤマハミュージックUSAブログの編集者であり、ジェフ・エメリックの2006年の自伝「Here, There and Everywhere」の共著者にもなったハワード・マーシイは、こう語っています。「ある時点でデッカとEMIのスタジオマネージャーの間で、スタッフがお互いに他のスタジオで仕事をすることがないようにしようという協定があったようだ」

タウンゼントが後に回想しているように、EMIとデッカのスタッフは「独自のレコーディング・テクニックがあり、それが完全に秘密だったため」お互いに話すことさえ許されませんでした(なお、彼の名前は、日本語でマッセイと表記されることが多いようですが、本人はマーシイと発音しています)。

この二つの会社は当時熾烈な競争をしていましたから、企業秘密が漏れることは死活問題でした。外部のアーティストへのスタジオを貸すなど普通に行われている現代からすると隔世の感がありますが、当時は、レコーディング・テクニックが著しく進歩していた時期だったので、企業秘密として厳重に管理する必要があったのでしょう。

(参照文献)コーネル・ユニヴァーシティ・プレス、ウェイヴス

(続く)

この記事を気に入っていただけたら、下のボタンのクリックをお願いします。

にほんブログ村 音楽ブログ ビートルズへ
にほんブログ村

下の「読者になる」ボタンをクリックしていただくと、新着記事をお届けできます。

オンライン無料公演のご案内です。よろしければご視聴ください。9月15日(日)16時開演の「誰がために警鐘は鳴る」Bチームに出演します。2週間のアーカイブ配信もあります。コミカルなスタートからスリリングな展開に最後まで目が離せません。

放映時間は45分程度です。オンラインでチケットを入手してください。購入が完了すると、後日メールで視聴用のURLが送信されますので、配信日時にクリックしていただくと視聴できます。備考欄にはアビイ玄と記入してください。 

販売期間は、2024/08/08 12:00 〜 2024/09/15 16:00です。

生配信用チケット

https://gekidan-focus.stores.jp/items/66b24ef64f4ab609adadcedf

2週間アーカイブ配信用チケット

https://gekidan-focus.stores.jp/items/66b24fb2dacada098441e009