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ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログです。メンバーの生い立ちから解散に至るまでの様々なエピソードを交えながら、彼らがいかに偉大な存在であるかについてご紹介します。

スタッフが残した解散直前のビートルズの貴重な未公開写真と記録(442)

1969年7月、アップルコア社のジョンの机で仕事をしているマール・フライマーク

1 スタッフが記録を残していた

今回はビートルズ自身ではなく、彼らを陰で支えたスタッフについてお話しします。もちろん、マル・エヴァンズのようにファンなら誰でも知っている有名な人もいます。しかし、当然のことながら、スタッフは他にももっと大勢いました。

今回はその中で、マール・フライマークという女性にスポットを当てます。彼女は、ビートルズが解散する直前にスタッフになりました。彼らが「Come Together」の最後の仕上げをしている部屋にいたことを回想し、その時に撮影した未公開の写真を2023年に公開しました。この記事中の写真は、解散直前のビートルズを記録した貴重な資料です。  

 

2 ニューヨークからロンドンへ

(1)アビイ・ロードのレコーディング中

「Come Together」をレコーディング中のジョン

当時を振り返ってフライマークはこう語っています。「1969年7月23日の午後、18歳のアメリカ人の私は、緊張しながらEMIスタジオに向かっていた。スタジオでは、ビートルズアビイ・ロードに収録され『Come Together』の仕上げ作業をしていた」彼女は、ビートルズがアルバム「アビイ・ロード」を制作している最中にスタッフになったんですね。

「中に入ると、声と泣き叫ぶギターのサウンドが聴こえてきた。アシスタントのマル・エヴァンズが出迎えてくれた。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴは、スタジオのあちこちに散らばっていた。スタジオではスタッフが忙しくセッティングをし、機材やマイクを移動させ、ドラムのヘッドにタオルをかけている。そしてイントロが流れ出した。」*1

ちょうどレコーディングの最中だったんですね。スタッフになったからこそ、この貴重な瞬間に立ち会えたのです。

(2)スナップ写真を撮影した

ギターを弾くジョージ

「みんな彼らのことを『ボーイズ』と呼んでいたようだが、そのことで私がニューヨークのオフィスから何も知らずに来たことを思い知らされた(昔からの関係者でなければ知らない事実だから(筆者注))。みんな笑顔で、私は温かく迎えられたと感じた。そして、彼らは仕事を始めた。彼らの邪魔にならないように気を付けながら、私は、何枚かスナップ写真を撮った。私は決してプロのカメラマンではないし、これが初公開となる。」*2

もはや世界的なアーティストになっているのに、ビートルズは、スタッフからは「ボーイズ」と呼ばれていたとは面白いですね。彼女は、ビートルズやスタッフに歓迎されただけではなく、撮影まで許可してもらえたのです。しかし、彼女がこの貴重な資料を公開したのは、撮影から54年も経った2023年8月24日です。なぜ、こんなに時間が経ってから公開したのかはわかりません。

 

 

3 偶然採用されてスタッフになった

(1)オフィスを見に行っただけなのに

「高校時代、ビートルズがマンハッタンにオフィスを構えていると聞いた。地下鉄でタイムズ・スクエアの中心にあるオフィス・ビルに行き、エレベーターで18階に上がった。ドアにはビートルズ(USA)リミテッドとネンペラー・アーティスツ社の看板があった。ノックして中に入った。『いらっしゃい、面接を受けに来たの?』と受付の女性に聞かれ、何の面接を受けるのか見当もつかなかった私は、即座に『はい』と答えた。」*3

フライマークは、ただアメリカにあったビートルズのオフィスを見に行っただけなんです。何を思ったか彼女は、ドアをノックしてオフィスの中に入り、受付の女性に面接を受けに来たのかと聞かれて、思わずはいと答えてしまったのです。まさに「成り行き」ですね。

(2)アルバイトから正社員に

「オフィスは、ファンレターの仕分けを手伝ってくれる10代の若者を探していて、私はすぐに採用された。毎日放課後、地下鉄に飛び乗って事務所に通い、1968年に高校を卒業した後、正社員として雇ってもらえることになった。『Back in the U.S.S.R.』のデモが発売前にオフィスに届くと、みんなが興奮してすぐプレーヤーにかけ、何度も繰り返し大音量で聴いたことは忘れられない」*4

偶然、オフィスは、その時10代のスタッフを募集していたんです。受付の女性スタッフは、てっきりフライマークがそれに応募してきたと思い込んだわけです。彼女もまだ高校生なので、訳もわからずはいと答えてしまいました。しかし、なんとも微笑ましいお話です。「Back in the U.S.S.R.」をファンよりも先に聴けたのはラッキーでしたね。これが「役得」というヤツでしょう。

 

 

4 アップルコア社へ

(1)自腹を切って渡英

スタジオを歩き回るポール

「1969年7月、私は、自分で費用を負担してロンドンに2週間の休暇を取って旅行した。アップルコアのサヴィル・ロウの本社で過ごしたが、外にはビートルズを一目見ようと待つファンがいた。私は、ドノヴァンと一緒にオフィスの小さな白黒テレビで月面着陸を見た。」

「その後、デレク・テイラーが、EMIスタジオに行くように手配してくれた。髭を生やしたジョージは、ブルーのジーンズとお揃いのシャツでオルガンの上に座り、髭を生やしビーズをつけた真っ白な服装のジョンはドラムキットの前に座り、ポールは、白いTシャツに裸足というカジュアルな格好でスタジオ内を常に動き回り、真っ赤なズボンをはいたリンゴがドラムを叩いていた。ジョージ・マーティンもそこにいて、あらゆることをチェックしていた。」*5

アビイ・ロードのジャケットでポールだけが裸足だったことが「ポール死亡説」の根拠にされたりしますが、彼は、スタジオの中でも裸足で歩き回っていたんですね。これは、初めて知りました。

(2)レコーディングはポールが主導していた

メンバーに指示するポール

「『Come Together』のセクションのリハーサルを始めると、ポールが主導権を握っているように見えた。ある箇所では、ポールはレコーディングを止めて「4拍子だよ、リンゴ」と示唆し、「オール・グッド」と声をかけていた。ジョージが泣くようなギター・ソロを弾いている時、ポールはそれに合わせてハーモニーを奏で、ジョンは、ギターのネックに指を走らせながらチューニングをしていた。」このアルバムは、ポールの主導でレコーディングしたことは多くの人々が伝えていますが、フライマークのような素人でもそれはわかったんですね。

「その日は、ポールが一番溌溂としていた。ジョンは、スコットランドでの交通事故の後、最近スタジオに戻ったばかりだったので、どちらかというと静かだった。私は、彼のために白い花を持っていったが、彼は、その花を隣のアンプの上に置いた。ジョージは、物思いにふけっていたが、リンゴは、辛抱強く落ち着いていた。」*6

話し合うポールとジョージ

(3)かけがえのない時間

「私は、つま先で歩き回った。見えないようにしながら、彼らの演奏に耳を傾けていた。ジョンとポールと何度か目が合った。私は冷静さを保ち、微笑んだ。時間は止まったままだった。出発の時間だった。私は手を振って別れを告げ、思い切ってあの有名な階段を降りた。」仕事で来たわけではありませんから、いつまでも留まれなかったんですね。さぞ名残惜しかったでしょう。

「その時、私はこれから何が起こるのか全く想像していなかった…年内にバンドは解散してしまうのだ。1970年、解散が間近に迫り、私は、ニューヨーク支社を去った」*7

フライマークは、スタッフになって日が浅かったため、彼らが解散する直前まで気づかなかったようです。

 

5 ショービジネスの世界で裏方として活躍した

話し合うポールとリンゴ

「母は、私がミュージシャンになりたいと思っていた子どもの頃、占いをしていた祖父にミュージシャンになれるかと尋ねると『いや、ショービジネスの裏方になるだろう』と予言した。私に影響を与えたくなかった母は、それを私に黙っていた。その後、私はこの街でトップクラスの演劇PR会社に就職し、ミュージカル『ヘアー』のオリジナル・ブロードウェイ作品などに携わった。」

「その後、1980年8月、セントラルパークでサイクリングをしていたとき、私は偶然、ジョンが赤ん坊の息子ショーンとベンチに座っているのに出くわした。私は近づいて挨拶をし、少し話をした。彼は、とても幸せそうだった。それから4か月後、彼はこの世を去った。彼や彼のバンドメンバーとともに、歴史に残るあの短い、一瞬の時間を過ごせたことは、なんという特権であり、光栄なことだろう。」*8

フライマークの祖父は占いで彼女の将来を的中させていたんですね。そして、彼女は、偶然、ジョンとショーンに出会ったのです。しかも、それはジョンが亡くなる僅か4か月前でした。彼女は、短期間でしたがビートルズの下で働き、亡くなる直前のジョンにも会えました。彼女の常に前向きな姿勢が強運を手繰り寄せたのではないでしょうか。

(続く)

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(追記)

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*1:ザ・ガーディアン

*2:ザ・ガーディアン

*3:ザ・ガーディアン

*4:ザ・ガーディアン

*5:ザ・ガーディアン

*6:ザ・ガーディアン

*7:ザ・ガーディアン

*8:ザ・ガーディアン